⑫孤軍奮闘

細い船縁ふなべりを走り抜けながら、横目で甲板の構造をさらう。


目視もくしできる限りでは、搭乗とうじょうしている赤鬼の数は、四、五十人。そのうち武器を手にした二十人ほどがこちらへとむかってきていた。


東雲しののめは甲板へ飛び降りた。

赤い肉壁が行く手をはばむ前に、武装した鬼のわきをかすめるようにして走る。


頭上を鈍色にびいろの光が一閃した。

馬鹿みたいに長大な両刃の剣が風を斬り裂き、信じがたいほど重い音が鼓膜こまくを襲う。

強靭きょうじんな筋力から繰り出された斬撃ざんげきが、船のへりを深々と傷つけた。

ヘドロの化け物といい勝負である。


東雲しののめは次々と襲いくるきらめききを紙一重でかわしながら、甲板の中央を目指した。


間違っても手に握った半月刀はんげつとうで応戦しようなどとは考えない。

暴力的な種族の格差は明らかである。


それに加えて、得物えものの格差もかんばしくなかった。

というのも、裏切り者の青鬼から奪った半月刀は、お世辞にも物が良くなかったのだ。

すでに青鬼を一人と、帆綱ほづなを斬った刀身とうしんは小さく刃こぼれを起こし、せまりくる長刀どころか赤鬼の分厚い肌ですらまともに斬りつけられるか不安なありさまである。


まさしく下っ端にあつらえむきの武器というわけだ。


かといって赤鬼のアホほど長く重い得物をあつかえるわけもなく、東雲しののめはまたしても逃げの一手を選ばざるをえなかった。


しかし種族差という観点から述べるならば、弱者には弱者なりの利点がある。

地獄に迷い込んで数日、彼のそばにはいつも最良の師がいた。


大振りな刃のあみを潜り抜け、東雲しののめ帆柱ほばしらに張られた縄へ飛びついた。

猿のごとき軽業かるわざで瞬く間にてっぺんまで登りきると、見張みはり台にいたひとりを半月刀で斬りつける。

やはり刃はほとんど通らない。しかしそれでよかった。


遠眼鏡とおめがねしか所持していなかった見張り役は、斬り裂かれた痛みと急襲の混乱でひるんだ。

その一瞬を見逃さず片足を抱えこみ、ひと息に見張り台からひっくり落とす。


高所を制するのは戦術の基本である。


東雲しののめは、追っ手が登ってくる前に縄梯子なわばしごを斬り落とそうとした。

しかしいよいよ役立たずになった刃は、帆船はんせんの太い縄にすら四苦八苦する体たらくである。

なんとか切り離しに成功した頃には、下の連中もまた正体不明の侵入者に対して仕切り直していた。


突然、無数の黒い光の線が走った。

咄嗟とっさに身をかがめた直後、凶悪な音とともに木片もくへんはじけ飛んだ。


見張り台すら貫通かんつうしたそれは、巨大な金属のもりの矢である。

甲板にずらりと並べられたえ置き式の弓は東雲しののめの背丈ほどもあり、たかが侵入者一匹のためにしては大掛かりすぎる。


東雲しののめはすぐにそれらの真の用途に思いあたった。

第二射がつがえられている間に視線を遠方へと投げれば、短い舌打ちが口をついて出る。


トトたちを乗せた貿易船が、艦隊かんたいの一隻に捕まっていた。


ヘドロの化け物に舵板かじいたを破壊させたものの、すでに近くまで接近していた赤鬼の船から、これと同じもりの矢を穿うがたれたのだ。

あちらの矢尻やじりには太い縄が取り付けられており、乗り移ってこようとする赤鬼との交戦が勃発ぼっぱつしていた。


いくら決起けっきした青鬼たちといえど、本格的に乗り込まれてしまえば長くはもつまい。これは早々に戻らねば。


東雲しののめは突き刺さったもりを一本引っこ抜いた。

対艦用の武器だけあって素材の鋼鉄こうてつ木偶刀でくがたなとは比べるべくもない硬度とねばりがあり、やや重いが長さは片腕ほどと使い勝手が良さそうだ。


東雲しののめはあっさりと浮気した。


大きく腕を振りかぶり、ここまで連れ添った半月刀と一方的な別れを告げる。

散々に酷使こくしされボロボロとなった彼女は、一目散に本来のあるじ の胸の中へ飛んで帰った。

二度目のもりを放つべく命令をくだそうとしていた指揮官の口が、驚きでふさがれる。

大鍋おおなべのようなよろいにはじかれて傷を負わせることはできなかったが、数秒間の空白が生まれれば十分である。


その隙に東雲しののめは帆の上へと移動していた。


改めて、やや怒りのにじんだ号令が発せられ、同時に東雲しののめも宙へと踊り出る。

帆桁ほげたに結びつけた縄を片手に、振り子の要領ようりょうで白い帆をすべると、その軌跡きせきを追って鋼鉄こうてつの矢が次々と放たれた。


あわてて指揮官が制止をかけるも時すでに遅く。

帆にはいくつもの大穴が空いた。


赤鬼たちは歯ぎしりした。

侵入者が帆から離れない以上、次の矢を撃つことはできない。


そんな彼らの葛藤かっとうを承知の上で、東雲しののめはこれみよがしに柱に刺さったもりを抜き、先端のかぎになっている部分を破れた穴へ引っ掛けた。

すると、鋼鉄の銛はその自重じじゅうでひとりでに降下こうかし、帆布はんぷを縦に引き裂いた。


いわずもがな、帆船はんせんにとっては海を進む動力源であり、本格的にこの船を航行不能こうこうふのうにしてやろうという魂胆こんたんである。


東雲しののめはせっせと他の穴にももりをかけては、威風堂々いふうどうどうとはためく赤鬼の国章こくしょうをズタズタにした。


怒号どごう罵声ばせいの波が下から勢いよく噴出ふんしゅつした。


誰もが天をあおぎ、いかにしてあのなめくさった侵入者を引きずり降ろしてやろうかといきり立っている。


――だがしかし、本当に彼らをおびやかす存在は、彼らのすぐとなりに立っていた。



突如として、赤い血潮ちしおを描いた。


船のへり漆黒しっこくの人影がたたずんでいる。

まるで夜の闇を人間のかたちに切り取ったような姿である。


それ・・はあまりにも静かに動いた。


光をまったく反射しない黒々とした刃がひるがえり、ひとつ、またひとつとあざやかな飛沫しぶき虚空こくうを赤くいろどっていく。


たて続けにられた命のしずくが、あたかも彼岸花ひがんばな華路はなみちのごとく、影のとおった場所にみだれた。


「アイツは……ッ」


帆柱ほばしらの上から甲板を見下ろしていた東雲しののめは、誰よりもはやくその異質な来訪者らいほうしゃを瞳に映し、ぞっと背筋を強張こわばらせた。


尋常じんじょうならぬ早業はやわざにおそれをなしたからでも、倒れゆく赤鬼の亡骸なきがらに青ざめたわけでもない。

ひと目見た瞬間に、そいつのありえない正体に気づいたからだ。


アレはおそらく、先ほどまでヘドロのかたまりであったはずだ。

しかし今では、指先から髪の一本にいたるまで、鮮明せんめいな人間のからだしている。

そしてその面差おもざしを東雲しののめは知っていた。



ひぐらし……?」


呆然ぼうぜんとこぼれ落ちたつぶやきは、混乱した鬼どもの叫声きょうせいによってかき消された。




――――――――――

遠眼鏡とおめがね=望遠鏡のこと

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