⑪海中の攻防


東雲しののめせまりくる化け物をひたと見据えながら、腰帯に指をすべらせ、ささくれた船底の木目もくめを強くこすった。

そしてすぐさま身をひるがえし、船を蹴りつけ水をいた。


化け物は、憎悪と殺意をまき散らしながら、一心不乱に猛進してくるものと思われた。


しかし突然、ヤツの動きがぴたりと止まった。

からだの表面に浮き出た無数ののっぺらぼうが、一斉に赤鬼の船を見た。

直後、鼓膜こまくを引き裂くような叫声きょうせいをあげ、化け物は巨大な船底へ襲いかかった。


ヘドロ状の肉体からいくつもの爪が飛び出し、まるできそうように船板を突き刺し、斬りつけ、めちゃくちゃに掻きむしる。


みるみるうちに、分厚いかじが細切れの木片と化し、船底に穴が空いた。

東雲しののめはその隙に、泳いで距離をかせぎながらも、ひくりと頬を引き攣らせた。


計画どおり――と言いたいところであったが、あの惨状さんじょうは期待を遥かにいっしている。


東雲しののめは全力でしゃにむに水を掻いた。

あんなモノとまともに組み合っては、次こそ確実に死んでしまう。


護身用に半月刀はんげつとうを口にくわえてきたが、化け物の凶刃きょうじんとくらべれば、こんな物ただの棒きれに等しい。


艦隊が密集していたおかげで、ヤツがおとりに気を取られている間に次の目標へ辿たどりついた。

同じように、舵の根元へエサをねじこむ。

――例の宝石のような種である。

数粒残っていたそれがこの場の命綱いのちづなであった。


しかしそれもあと二粒、無駄にすることはできない。


化け物がこちらへむかってきた。

東雲しののめは餌をまいた場所から直線上に逃げ、最後の一隻を目指した。


化け物が二つ目の餌に食いつくのを視認しにんしようと泳ぎながら振り返った彼は、その瞬間奇妙な現象を目撃した。

のっぺらぼうのひとつが、ずるりと化け物のからだから抜け落ち、切り離されたトカゲの尻尾のように、無気力に身悶みもだえながら海底へ沈んでいったのである。


気味の悪い光景であった。

本能的な寒気と、いくつもの漠然ばくぜんとした憶測が脳裏にひらめいたが、即座に東雲しののめがとった行動は水を蹴る脚を強めることであった。


今は化け物の正体についてあれこれと謎解きをしている場合ではない。


三隻目は少し離れた地点に停留ていりゅうしていたが、二つ目の種を取り込んだ化け物は再びのっぺらぼうをひとつ産み落とし、その分からだの体積が小さくなった。

比例して泳ぐ速度も目に見えて遅くなり、無事に東雲しののめは最後の餌を仕込み終えた。


息も限界である。

すぐに海面へと顔を出し、船の側面へ指をかけ、化け物から距離をとる。


直後に船が衝撃で揺れた。

三隻とも、船上では原因不明の水漏みずもれと操舵不能そうだふのうの事態にどよめきが広がっている。


東雲しののめは呼吸を整えながら、混乱の度合いをはかった。

さすがは本国直属の観測部隊だけあって、ひとりの上官らしき男のもと、的確に状況把握に動いている。


これはもうひと働きすべきか、と戦略をっていると、唐突に海中から黒い影が飛び出した。


「!」


咄嗟とっさに身をひねり漆黒のやいばをかわす。

わずかな木目の隙間に身体をあずけた状態での回避である、致命傷ちめいしょうはまぬがれたが左腕から鮮血せんけつが散った。


眼下がんかの海面近くに、小さなヘドロがへばりついている。

化け物本体ではなく、どうやら産み落とされたはしくれの方らしい。


小さなヘドロのかたまりから長い爪が伸び、側面の肋材ろくざいに深々と突き刺さっていた。

抜けないのかヘドロが不気味にうごめいている隙をみて、少しでも離れようと上へ手をかける。


だがしかし、物音を聞きつけた船員がひとり船べりから顔を出した。


「いたぞ! 侵入者しんにゅうしゃだっ!」


「げっ」


複数の足音があわただしく集まってくる。


瞬時に海中か甲板か、化け物か鬼かを天秤てんびんにかけ、東雲しののめは船の側面をななめに駆けあがった。


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