⑧反撃の狼煙


「俺は西大陸へ行くぞ」


赤鬼の艦隊かんたいと合流間近であるこの状況で、勝率は風前ふうぜん灯火ともしびである。


だが、たとえどれほど無謀むぼうだろうと、東雲しののめの覚悟はとうに決まっていた。


ここで身を捨てに行かなければ、かぶもまたないのだ。


「死にたくなければじっとしていろ。たとえしくじっても、俺は鬼ではないからな。仲間ではないと言い張れば、アンタらの処遇しょぐうが重くなることもあるまいよ」


あまりにもさらりと自分の死後について語るので、青鬼たちは数秒の間、真顔まがおのまま固まっていた。

台詞の内容を正しく解釈するのに手間取てまどったのだ。


しかしながらひとりだけ、東雲しののめならば当然こう言うだろうと待ちかまえていた者がいた。


「トトも御供おともしますぞ!」


気持ちいいほどに打てば響くようなこたえの直後、またしても船がかたむいた。


ぎょっと目をむく青鬼たちの隙間すきまを、縄団子なわだんご状態のネズミがころころ転がっていく。


どうにもまらない旅の相棒を拾い上げ、東雲しののめは微妙な面持おももちで鼻頭はながしらをつきあわせた。


「一応いておくぞ。もし命の恩人だとか、そういう理由で付き合おうってんなら願いさげだが?」


トトはつぶらな瞳をしぱしぱとまたたかせ、すぐに真剣な表情で首を振った。


「トトはシノ殿どの心中しんじゅうするつもりはございません。なぜならこのいくさ、かならず勝たねばならないからです」


今度は東雲しののめが瞳を瞬く番であった。

一方、島民の何人かは、トトの言葉にハッと顔をあげた。


「このまま海図が奪われてしまえば、西大陸ユーラヘイム赤鬼オグルどもの手によって荒らされてしまいます。トトの夢の大地を、けがされるわけにはいかんのです」


恐怖でくもっていた青鬼たちの双眸そうぼうに、一筋ひとすじの小さな火がともった。


西大陸にあこがれ、夢にたのはトトだけではない。

ここにいる全員があの場所を目指し、死を覚悟で海へ出たのだ。

その情熱は、一朝一夕いっちょういっせきで渡航を決めた東雲しののめの比ではない。


トトは並々ならぬ決意と、深い悲哀ひあいのこもった声で続けた。


「昨夜、トトはシノ殿に嘘をつきました」


「嘘?」


「ミクトランを奪還だっかんし、一族の夢は果たされたと……。しかしあのいくさには、まだ続きがあったのです」


赤鬼からかつての故郷・ミクトランを取り戻したという世紀せいき快挙かいきょは、瞬く間に各地のチミー族を歓喜のうずへ巻き込んだ。


岩と砂だらけの過酷かこくな土地で、明日あすをも知れぬ暮らしをしていた彼らは、ぞくぞくとミクトランへ大挙たいきょした。

――そして、都市はたちまちの内にあふれれ返ってしまった。


これまで厳しい生活であるがゆえにお互いが助け合い、貧しいながらも温かな親愛しんあいをなによりも大事にしてきたチミー族であったが、ひとつまたひとつと移り住んでくる一族が増えるごとに、その金剛こんごうきずなに明らかなヒビがしょうじていった。


特にミクトラン奪還戦だっかんせんに参加した一族と、そうでない一族との亀裂きれつ顕著けんちょであった。


命懸いのちがけで赤鬼と交戦したゲリラ部隊は自らの特権を主張し、後から来た者たちは一族の戒律かいりつである平等を求めた。


次第しだいに、都市のあちこちでいさかいが起きるのが日常になっていった。


「トトはとんだおろものでございました。あの頃はただ無邪気むじゃきに、悪い赤鬼オグルさえ倒せば、我々は幸せになれるのだと信じていたのです」


しかしついに、同族が同族を殺害する事件が起きた。

奪還戦を生き残ったトトの最後の友人が、いさかいをとめようといかれる暴徒ぼうとの前に立ちはだかり、その凶刃きょうじんによって刺されたのである。


彼の死ががねとなり、抗争こうそう激化げきか一途いっとをたどった。


トトは、友や親兄弟の命をいしずえきずかれた勝利の末路まつろに、おおいなる失望と、背負いきれない徒労感とろうかん心折こころおれ、一族としてのほこりをつぶされた。


そうして、直視ちょくししがたい現実から目をそらし、逃げるように海へと飛び出したのである。


おのれの道が見えなくなったら、旅に出ろ――。祖父のその言葉を信じ、トトは東大陸ホルンガルドをあとにしました。しかしここでもまた、種族しゅぞくは違えど同族が同族をおとしいれようとしている……。ならばもはや、目はそらしますまい。やるべきことは明白めいはくでございます。トトはシノ殿とともに、赤鬼オグルとそれに加担かたんする者たちへ、宣戦布告せんせんふこくをいたします」


「そうか……」


東雲しののめは真顔でうなずいた。

なんだか、ものすご大義たいぎかかげている様子だが、あくまで自分の動機どうき我欲がよくである。


しかし、とてもそうは言いづらい空気であった。


彼の話を聞いて、仲間の裏切りに面食めんくらい、同族とあらそうことに抵抗を感じていた青鬼たちの迷いがかれた。


相変あいかわらず、このネズミは無自覚に他者を鼓舞こぶするのが上手い。


もはやこの場に、無気力にうなだれてヤツらの思惑おもわくどおりになることをとする者はいなかった。


静かに立ちあがった青鬼たちを見て、東雲しののめは頭をいた。


「あー、一応いておくぞ。全員、死闘しとう覚悟でいいんだな」


「わかってんならくんじゃねーや」


老獪ろうかいな航海士が、さっきまでのしなびた様子が嘘のように、好戦的な笑みをひらめかせた。


他の者も自由の大地をまもらんとする使命感や、裏切られたいきどおり、ゆずれない尊厳そんげんなどを胸に、決意を固めた面持ちで頷きあった。


ならば、早急さっきゅうに策を組み立て直さねばなるまい。


「そういうおめぇはどうなんだ」


「……ん?」


「鬼でもねぇ、西大陸ユーラヘイムへ行ったこともねぇくせに、どうして命を張ってやがる」


これからお互いに背中をあずけ合うのである。

誤魔化ごまかしを許さない問いかけに、東雲しののめは仕方なく、自身のしょうもない決意を白状はくじょうした。


「そうさな、ひとまずは酒だ。西の大陸の美味うまい酒をたらふく飲み歩くまでは死ねねぇな」


「は?」


「ああそれと、――アイツらの泣きっつらおがんでみてぇ」


「…………」


赤鬼と五十歩百歩なえげつない言種いいぐさに、青鬼たちの表情がさっと青ざめた。


――はなはだ遺憾いかんである。

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