⑦縄抜けの術

「どうしてこんなことに……」


島民たちは暗鬱あんうつとしていた。


特に海賊のとりでから脱出し、これから夢の西大陸で暮らそうと渡航を決めていた者たちの失望は底がない。


しかし、せてもれても彼らは絶望することに慣れた元奴隷である。

しおれている理由のおおもとは、期待が無残むざんにもついえたからではなかった。


青鬼が、青鬼を裏切った。


同族にこっぴどく出し抜かれたという事実が、彼らにはよほどの衝撃だったらしい。

先ほどから「なぜ、なぜ……」と、自分の尾を追う犬のごとく終わりのない問いを繰り返している。


東雲しののめにはこれが解らない。


自ら高潔をうたう武士ですら、旗色はたいろが悪くなると蜘蛛の子を散らすように謀反むほんへ走るのが戦国の世のつねである。


さらに言えば、親が子を、弟が兄を、伊賀者いがものにんを、人間が人間を――そむそむかれ殺し殺され、そうして連綿れんめんと巡る負の連鎖が呪詛じゅそのように絡みついた国。


それが東雲しののめの知る日ノ本である。


ここからは勝手な憶測だが、おそらく東大陸ホルンガルドという鬼のは、彼の想像以上に種族という見た目があらゆる価値をひもづける社会なのだろう。


それがたとえ虚像きょぞうであろうとも、外見がもたらす根拠なき先入観は、忍もよく逆手さかてに利用するところである。


日ノ本でも、いまだに交易へやってくる南蛮人なんばんじん天狗てんぐかモノノたぐいだと信じ込み、十把じっぱひとからげに忌避きひするおろか者が後を絶えない。


自分とは異なるモノを人は恐れ、本能的に遠ざけたがる。

その相手が強大であればあればあるほど、弱者側の団結は強固になるものだ。


青鬼たちの困惑と失意の源泉げんせんは、このような下地したじから噴き出したものと思われた。


しかしだからといって、彼らのなげきに同調するつもりも、ましてやなぐさめてやる暇も東雲しののめにはない。


その役割にあたる古参の島民たちは、事切こときれた同胞の亡骸なきがらを抱いて悲憤ひふんに水没している。


こちらは裏切り者が同族であったという以前に、ともに暮らした仲間の情が、怒りと困惑に拍車はくしゃをかけ、応報おうほうへとむかう足を引っ張っているらしかった。


どちらにせよ、彼らが立ち上がるまで付き合っているいとまはないのだ。


「どっこい」


ゴキリ、と東雲しののめの身体からおかしな音が鳴った。


部屋中の青鬼たちから異様なモノを見る目をむけられながら、身をよじり、なに食わぬ顔で手足の縄を解く。

そのあまりにも自然な縄抜なわぬけに、彼らはしばし唖然あぜんと口を半開きにした。


「あ、あんた……」


驚愕のままに言葉を発しようとした青年を、初老の航海士が小突いて黙らせる。


それを尻目に、東雲しののめは音もなく部屋の扉へ身を寄せて、外の気配を探った。

左右に二人立っている。

地獄では出入口に見張りを二人一組で配置するのが流行はやっているのだろうか。


身じろぐ音の重さから、どちらもじりもののようである。

赤鬼よりは小柄な彼らも、東雲しののめとくらべると頭ひとつぶんは大きい。


十中八九、ダネルという男の指示であろう。

これが青鬼であったならもっと楽にことが済んだものを、と室内にいる島民にはいささか失礼なことを考えながら、拾った情報を即座に組み立てていく。


かすかに金属がこすれる気配に、両者とも半月刀をたずさえていることがわかった。


部屋にはしばられた青鬼以外なにもない。

脱出に際し、これを当座とうざの武器としてぶんるのがよいだろう。


ふむふむ、とひとりで公算こうさんをはかる東雲しののめに、老いた航海士が声をひそめた。


「小僧、テメェなにをおっぱじめる気だ」


言外げんがいに、軽率な真似はするなとくぎをさされたのだ。


たった今しがた身内をひとり失ったばかりである。

余所者よそものの勝手な行動で、これ以上の犠牲は看過かんかできないというのだろう。

――なるほど賢明な、老人らしい腰の抜けた判断である。


もしもこの状況で彼らが抵抗の意志をみせれば、少なくない数の死者が増えるのは必至である。


だがしかし、ならばこのままヤツらの言いなりとなって、むざむざ赤鬼どもにしいたげられる人生へと逆戻りするのか。

――そう言いかけて、東雲しののめは言葉をつぐんだ。


死ぬまで伊賀の里に縛られ続けた自分が言えた立場ではない。

たとえどれほど自由を失おうとも、命だけは奪われたくないと保身に走ってしまう気持ちは、誰よりも理解している。


なにより、東雲しののめはこの世界の住人ではないのだ。


正直に白状はくじょうすれば、ダネルという男がこれみよがしに見せびらかしてきた海図の価値も、鬼の社会の実情も、酒のさかな程度にしか知りえない。

完全なる部外者である。


したがって彼らが自由の闘争によって命を投げうつより、他者に束縛された明日を選ぶというのであれば、口をはさむ権利などない。


しかしその決定に、自分があわせてやる義務もまた、ひとしくありはしないのだ。


「俺は西大陸へ行くぞ」


扉から離れて、東雲しののめは静かに、しかし決然けつぜんと言い放った。

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