⑥絶望の転換点


――じりものの男はわらっていた。


これから、この船に乗っている者だけでなく、島の住民たちも亡命者ぼうめいしゃ狩りの標的となる。


一度でもかせを解いて脱走した奴隷は、その背中に咎人とがびと烙印らくいんをおされ、死よりも過酷な処遇が待ちうけているのだ。


しかしながら、彼の胸に同情や罪悪感といったものは微塵もなかった。

仮にも五年の歳月をともに過ごしたというのに、むしろ清々しいと言わんばかりに、男の心は満ち足りていた。


「たいした忠誠心ね」


ダネルの高話たかばなしを聞き終えたレイラは、冷ややかに言った。


「よく情が移らずにいられたもんだわ」


軽蔑をふくんだ感想に、彼もまたそれ以上の軽蔑を返した。


「混ざり者も同胞だ、ってか? 笑わせる。あんな言葉を本気で信じたのか」


「…………」


欺瞞ぎまんだ、もしくは偽善ぎぜんだ。これまでのみじめな人生をやり直そうと、自分を美しく着飾って、善人ぶりたいだけさ」


腹の底に堆積たいせきして黒く腐った憎悪と私怨しえんを、男はこれみよがしに並べたてた。


「国にいた時、ヤツらが俺たち・・・ になにをした? 汚らわしいとさげすみ、鬱憤うっぷんばらしにしいたげ、視界に入るなとののしった。そうしておいていざ国を離れれば、可哀想かわいそうだったね、なんて他人事みてェにあわれみやがる。何度殺してやろうと思ったことか」


レイラは否定することなく押し黙った。

男は気分を良くして、大海へむかって高々と両腕を広げた。


「だがこれですべてがむくわれる! さぞ見物みものだろうよ。あの島の連中や、西大陸でのうのうと生きる元奴隷どもの顔が、恐怖と絶望でゆがむ光景は!」


艦隊はもうすぐそこまで迫っていた。


甲板で船を操る者たちの赤黒い屈強な体躯たいくと、ひたいにそびえる牛のようなずんぐりとした二本角まではっきりと目にすることができる。


彼らは、とりでの寄せ集め海賊とは違う。

そろいの重厚な装備を身にまとい、指揮官の指示のもと迅速に動く統率された部隊である。


まだいくらか距離があるというのに、貿易船で待ち受ける青鬼たちは、幼い頃より記憶に刻まれたおそれと身もすくむような圧迫感に息をつまらせた。


「世界の勢力図が塗り替わるぞ! 俺たちの居るこの場所が、新しい時代の転換点となる!」


東西の均衡を瓦解がかいさせる引き金を、自分が引いたという自負が、ダネルの獰猛どうもうな野心をはちきれんばかりにふくれあがらせていた。


そのほとばしる熱情にあてられ、同じく計画に従事していた者たちの何人かは、次第にほの暗い高揚感こうようかんに胸を躍らせた。


「……興味ないわ」


レイラは、表情を硬くこわばらせながらも、一蹴いっしゅうするように首を振った。


「私は、自分の欲しい物が手に入れば、それでいいの」


即物的そくぶつてきなそっけない態度に、ダネルは面白くなさそうな様子で鼻を鳴らした。


「分かっている。お前のお望みはこれだろう?」


ダネルは、銀色の液体が入った小瓶こびんをレイラへ投げてよこした。


「こんなもののために一生破れぬ誓いをその身に受けるとは。可愛いほど、やすい女だな」


「ほっといて」


レイラは大事そうに小瓶を仕舞うと、ダネルの耳ざわりな笑い声を振り払うように、足早に船倉へと降りていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る