⑤侵略計画

彼らの故郷である東大陸ホルンガルドは、たったひとつの種族が統治とうちするにはあまりにも広大こうだいな土地である。


しかしながら、その国土の半分以上は、作物のみのらないれ果てた荒野こうやなのだ。


東大陸の歴史は、土地の収奪しゅうだつをめぐる血みどろの侵略戦記しんりゃくせんきである。

他種族を排斥はいせきする差別的で抑圧的よくあつてきな社会が生まれたのも、このような厳しい土壌どじょう起因きいんする。


さらには、年々各地で深刻な砂漠化が進み、その打開策として西大陸ユーラヘイム侵攻は提言ていげんされた。


いわば迷路海流めいろかいりゅうの突破は、東大陸全土の切迫せっぱくした未来を救う悲願ひがんなのである。


「かつて先人たちは、西大陸ユーラヘイムへさえたどり着けば、そこに迷路海流めいろかいりゅう全容ぜんようを明らかにする海図が存在するとんでいた」


だが彼らの期待はあえなく打ち砕かれた。


東大陸に比肩ひけんする雄大ゆうだいな大地と、風光明媚ふうこうめいびな自然にいだかれて生きるの地の人々は、遠洋えんように対する意識が薄い。


加えて、東大陸から亡命してきた者たちによって、鬼のむ国の凄惨せいさんな物語はまことしやかに伝え聞くところであったので、わざわざ命の危険をおかしてまで迷路海流めいろかいりゅうを横断しようとこころざす者などいるはずもなく、若気わかげいたりから気まぐれに東の彼方かなたかじを切ったおろか者は、例によって二度と白い壁の向こう側から戻ることはなかった。


結果、迷路海流めいろかいりゅうの謎は謎のまま、なんら解明されることなく今日まで放置され続けた。


幸か不幸か、彼らの無関心な怠惰たいだは、赤鬼の切なる野心を根底から瓦解がかいさせ、海を越えた国土拡張計画こくどかくちょうけいかくは大幅な遅れを余儀よぎなくされたのである。


潮目しおめが変わったのは十数年前。


迷路海流めいろかいりゅうを観測中の先遣隊せんけんたいが、任務の片手間かたてまに亡命者らしき青鬼たちを乗せた船を拿捕だほした時であった。


その船こそが、浮島うきじまと西大陸をする貿易船だったのである。


当時乗組員のりくみいんであった島民たちは、同胞どうほうへの義理をたて、口を閉ざしたまま死んでいったが、から割り出された結論は死人よりも雄弁ゆうべんであった。


そこから浮島の存在が導き出されるのにさほど時間はかからなかった。


この事件は同時に、島のおさと一部の島民にも赤鬼たちの動きを察知させる一助いちじょとなった。

もとより、島の者たちは本国に対する最大限の警戒をはらって暮らしてきたが、ついに危惧きぐしていた悪夢が現実味をびたとなれば、やるべきことは限られてくる。


最善の策は、島を引き払い全島民を西大陸へ住まわせ、海図を人知れず破棄してしまうことである。


叡智えいちの結晶たる海図も、本国に存在を知られた時点で諸刃もろはつるぎと化した。

その鋭利えいりな切っ先が西大陸をほろぼす前に、捨て去るべきなのは火を見るよりも明らかである。


だがしかし、彼らにはそうできないわけがあった。


海図もなく、十分な備蓄びちくも積まずに霧の海へいどんだ遭難者の生存率は、一割を切る。


はる悠久ゆうきゅうの昔より白濁はくだく雲海うんかいを我が庭のように遊泳ゆうえいしてきた浮島は、成すすべなく迷路海流めいろかいりゅうの怪異にとらわれていた青鬼たちを、何百、何千とひろいあげてきた。


いわば、あの岩島は巨大な救命艇きゅうめいていなのである。


ゆえに青鬼たちは、島の内側にとりでを造り、生活できるだけの基盤をきずいた。


すべては、自分たちよりも後からやってくる同胞どうほうの最後の希望となるために……。

たとえ救える者がわずかな人数であったとしても、一人でも多く、ともに笑いあえる仲間をむかえるために、彼らは島に住み着いた。


そして、気の遠くなるような観測の果てに、この世で唯一の迷路海流めいろかいりゅう網羅もうらする海図が完成したのである。


島を捨て、海図を捨てるということは、これら先人せんじんのたゆまぬ善意と、これから命をして海へ出る同胞の命をも捨てることと同義どうぎであった。


西大陸の安寧あんねいか、同胞の命か。


選択をせまられた彼らは、苦慮くりょすえに、島へとどまることを選んだ。


温かな笑顔とねぎらいの抱擁ほうようむかえられた瞬間の、震えるほどの歓喜かんきを身をもって知っている彼らにとって、あたえられた幸福を裏切るような真似まねをできるはずがなかったのだ。


東大陸ホルンガルド西大陸ユーラヘイム命運めいうんを左右する海図は、島の奥深くに隠された。


海図の内容は島長しまおさと、貿易船を操る航海士こうかいしのみが知るところとなり、後継者こうけいしゃは信頼できるものを厳選し、口伝くでんによってのみ伝授されるようになった。


以降、漂流者ひょうりゅうしゃをよそおって赤鬼の息のかかったスパイが何度も島へ送り込まれたが、身内として迎え入れられることはあっても、海図への手がかりは徹底てっていして隠匿ひとくされた。


なにより、東大陸において青鬼がひとり残らず奴隷であるように、スパイとして送り込まれた者たちもまた奴隷である。


冷遇れいぐうされた生活しか知らなかった彼らにとって、島の温かな暮らしは、えがたいものがあった。


潜入先せんにゅうさきで心変わりしないよう、本国に家族や友人を人質ひとじちにとられていたり、破格はかく成功報酬せいこうほうしゅうを約束されてもいたが、北風きたかぜは太陽の輝きには勝てない。


おもてだって国を裏切ることはできなくとも、定期報告ていきほうこくはいつも必ず「まだ見つからない」というはんで押したような回答ばかりが並ぶこととなった。


青鬼では駄目だ。


ならばと次に白羽の矢が立ったのが、赤鬼でも青鬼でもない〝じりもの〟だったのである。

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