②混血の諜者

冷めた表情で男の横へ並び立つレイラに、東雲しののめは盛大な舌打ちをした。

嫌悪や糾弾きゅうだんをこれでもかとめこんだ音であった。


その臆面おくめんもない態度に触発されて、おびえていた青鬼たちも、いよいよもって気色けしきばんだ。


「ダネル! お前、五年も島で暮らしていたくせに裏切るのか!?」

同胞どうほうを売るなんて!」

「俺たちをずっとだましていたんだな!」


良心を疑う弾劾だんがいの声がきあがる。


男は一笑いっしょうにふした。

低い、悪意に富んだ笑声しょうせいである。


耳障みみざわりな毒が険悪な空気をあわだてた。


「これだから貴様らは永年えいねん劣等民れっとうみんなのだ」


じりものの男はひとりの青鬼の髪を乱暴に掴みあげ、とがった耳の奥へじこむようにゆっくりとあざけりの言葉を吐いた。


「たかだか海をえたくらいで自由になれたと信じこむ、まさに家畜並かちくなみの馬鹿さ加減よ」


赤鬼を想わせる大きな手が、掴んだ頭の軽さをはかるように右へ左へもてあそび、最後には容赦なく床へ叩き落とした。

耳をふさぎたくなる酷い衝突音があがる。


水を打ったように室内が静まり返った。


西大陸ユーラヘイムへ目をつけていたのが、自分たちだけと思ったか」


「っ、まさか」


船乗りである初老の青鬼が、みるみるうちに顔色を変えた。

望みどおりの反応を得て、男は楽しげににんまりと口の端を引き上げてみせた。


「まったくおめでたい連中だよ。貴様らがあの陰気な穴倉あなぐらでだらしなく酒をあおり、女々めめしくも傷をなめあっている間に、本国は着々と西大陸ユーラヘイムへの侵出を狙っていたというのになァ」


食堂で東雲しののめに水を手渡してくれた同一人物とは思われぬ、下劣げれつ相貌そうぼうである。


忍者の中にも、遠国えんごく間者かんじゃとして暮らし、長い年月をかけて地位と信頼を築きあげる穴丑あなうしという者たちがいる。

彼らは総じて国人くにびととしての人格と、しのびとしての人格を切り離して生活し、人々の輪の中へすべりこむと聞く。


この男も、ずいぶんとうまけのかわをかぶっていたものだ。


長年腹の底に隠してきた一物いちもつを、気兼きがねなく暴露できるこの瞬間がさぞ快感であるらしく、男は舌に油をりたくったように続けた。


西大陸直前に横たわる複雑怪奇ふくざつかいきな海域、それこそが赤鬼の野心をはばむ最大の障壁しょうへきであった。


迷路海流めいろかいりゅうの攻略は、東大陸全土を統轄とうかつする大艦隊を投じようとも困難を極めた。


なぜなら、霧深きりぶかい広大な難所なんしょは、正しい航路をひとつ開拓すれば突破できるというものではない。

日や時間ごとに、海流の構造ががらりと変化してしまうためだ。


だがしかし、じまの住民たちはそんなデタラメな海域を我が庭のごとく漂泊ひょうはくし、西大陸との交易こうえきを確立することで生活の基盤を成り立たせてきた。

すなわち――。


男は腰にさげた革鞄かばんから、分厚い紙のたばを取り出した。


初老の青鬼が愕然がくぜんと叫ぶ。


「それは! 迷路海流の海図!?」


「コイツを探し出すのに五年もかかってしまった。島長しまおさ老爺じじいめ、俺がどれほど骨身をしまず献身してやっても、海図など無いの一点張りだ。挙句あげくに、海域の全容ぜんようを記憶している人材は、島長と航海士のアンタだけときた」


膨大ぼうだいな記録をしたためた智識ちしきの結晶を、じりものの男はうっそりとなでつけた。


先ほど家畜かちく愚弄ぐろうされはしたが、島民の内の何人かは、島が秘匿ひとくし続けた財物たからの価値とそれがもたらす未曾有みぞううの危機を、程度の差はあれ見とおしていた。


青鬼ほど赤鬼の野心をよく知る種族はいない。


この世に生を受けた瞬間から奴隷として汚辱おじょくにさらされ続けた日々が、それらの憶測おくそくを極めてたやすく呼び起こすのだ。


特に、幾度いくどとなく西大陸へ帆先ほさきをむけ、かの地の素晴らしさに数え切れぬほど胸を震わせてきた船乗ふなのりたちは、この場の誰よりも海図の真価を理解していた。


だからこそ、彼らは正しく絶望した。


西大陸が赤鬼に蹂躙じゅうりんされる。

そんな直視しがたい絵図が、本国での凄惨せいさんたる日々の記憶と重なり、生々なまなましい恐怖となって、彼らの心をバラバラにした。


「まもなく本国の船と合流する。なァに、心配することはない。指揮官は寛大かんだい御方おかただ。殺されることはないだろう。ただ貴様らも、あの島の住民も、ひとり残らず咎人とがびと刺青イレズミを背中にられ、死ぬよりつらい仕事を死ぬまでせねばならんというだけだ」


「この、下郎げろうめが!」


老人が叫んだ直後、男は顔面をり飛ばした。


「言葉はつつしめよ老いぼれ。大人しくしていれば、航海士である貴様だけは西大陸ユーラヘイム侵攻の有能なこまとして、他より長く生きられるかもしれんのだからな」


どこまでも不遜ふそん言種いいぐさに、なりゆきを静観せいかんしていた東雲しののめも、はなはだしく背筋をさかなでされた。


しかし東雲しののめが行動に移すよりもはやく、老人が血を吐き捨て、凄絶せいぜつな眼光で男を射抜いぬいた。


「なめるなよ小僧こぞう同胞どうほうを裏切るくらいなら、ワシは喜んで死を選ぶ」


一切いっさいの迷いのない、果断かだんな宣言であった。


わずかに男の威勢いせいがゆらいだ。


絶望を切り裂く一矢いっしを放った老躯ろうくの背中に、青鬼たちのしぼんでいた心は再び炎を取り戻した。

二の矢、三の矢が破竹はちくの勢いで後を追う。


「馬鹿にするんじゃねえ!」

「国へ連れ戻されるくらいなら、いっそ死んだ方がマシだ!」

「そんなおどしに屈してたまるか!」

「海へ出た時に、とうに捨ててるのよ。無為むいに生きるだけの命なんて!」

「テメェこそ死んじまえ! 汚らわしいざり血めッ!」


白刃はくじん一閃いっせんした。

最後に言葉を投げた青鬼の青年が、どうからおびただしい血を吹き出しくずおれた。


「……つくづく、頭の悪い連中れんちゅうだ」


男は剣についた血を、無感動に老人の服でぬぐった。


「もう一度だけ機会をやろう。貴様が喜んで我々に協力すると言うのであれば、他の家畜かちくどもの待遇たいぐうが少しは改善されるかもしれんなァ」


血溜ちだまりの中に沈んだ亡骸なきがらを、見せしめのようにくつの底でなぶりながら、男はせせら笑った。


「頭を冷やす時間をやろう。本国の船と接舷せつげんするまでに身の振り方を決めておけ」

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