幕間 陽と蜩

幕間 陽と蜩


【主人公過去編『ようひぐらし』 ※残酷描写注意】


―――――――――――――――――




少年は血濡ちぬれた土の上に立っていた。


白い月がえと照らす夜の山林に、年端としはもいかぬ子供たちのむくろが無造作に転がっている。


――名も、顔も知らない。


唯一知り得たのは、少年が彼らを手に掛けた瞬間の断末魔だんまつまのみである。


今宵こよいより、お前たちの命は我が里が預かる。約束通り衣食住はすべてあたえよう。そのかわり、名を捨てよ、自我じがを捨てよ、人としてのほこりを捨てよ」


飯を食わせてやるからと連れてこられた先で、飯よりも先にあたえられたのは、びついた忍刀しのびがたなであった。


拾ってきた戦孤児いくさこじを殺し合わせ、生き残った骨のある者に忍術を仕込み、手駒てごまを増やす。

伊賀の里では、このような非道な所業が、日常の一幕として当たり前のように行われていた。


「我が里山の、物言わぬれきとなれ」


 ――この日、少年ははじめて、おのれが生き残るために人を殺した。



   *     *     *



過酷かこくな選別に耐え抜いた少年たちを、彼らは〝音無おとなし〟と呼んだ。


音とは、声、すなわち存在そのものを意味する。

存在しない者、はなから命を持たぬ者、つまりは捨て石の隠語いんごである。


玉石混淆ぎょくせきこんこうの捨て石は、そこからさらにふるいへかけられた。

心が弱く逃げ出す者は、新人下忍げにんまと当てにされ、飯に混ぜられた毒に堪えられないような軟弱者なんじゃくものは、そのまま新薬の実験台へとまわされた。


一人前の忍者を育てるためには、それなりの歳月としつきと、ぜにと飯がいる。


それがたとえ捨て駒同然の下忍げにんであろうと、このご時世、食い扶持ぶちは限られているのだ。

使いものにならないれきを切り捨てるのは、しのびらしい合理主義にのっとった当然の帰結きけつであった。


そうやって望むと望まざるとに関わらず、命を勝ちった数人だけが、晴れて音無おとなしの呼び名をたまわるのである。



   *     *     *



少年は、足かけ五年で頭角とうかくを現した。


どんな劣悪な死地しちへ送り出そうとも、とにかく死なないというので、アレはきつねが化けているのだ、とまことしやかに気味悪がられるほどであった。


しかし忍頭しのびがしらである百地ももち三太夫さんだゆうは、少年の生き意地いじの強さをおおいに評価し、重用ちょうようした。


忍者に必要な才覚さいかくは数あれど、必ず生きて里へ戻って来る人材は、それだけで一定の価値があるのだ。


しかし同時に、百地ももちは少年が虎視眈々こしたんたんと里を裏切る機会をうかがっていることも見抜いていた。

よって、彼がどれほど多くの忍務をこなし、里へ貢献こうけんしようとも、音無おとなしの身分から格上げされることはないのである。



   *     *     *



「――よぉ、帰っていたか、弥助やすけ


ある日、忍務にんむから戻った少年がひとりで傷の手当てをしていると、鷲鼻わしばなのひょろりとした男に声をかけられた。


音無おとなしは、里では居ない者としてあつかわれ、仕事以外の用事で話しかけてくる者はまずいない。

その男もまた音無しであった。


彼と同じ年に、彼よりも少しだけ早く里入りした男である。

しかしながら、れあうような間柄あいだがらではない。


少年は男から目を離すことなく、赤黒く変色した腕に慣れた手つきで湿布しっぷを巻きつけた。


「その呼び名は、昨日でしまいだ」


「またか、お前はころころとよく変わるなァ。次の名はなんという?」


「……東雲しののめ


「東雲?」


途端に男は高笑いした。


東雲しののめとは、東の空が白む時刻、つまり夜明よあけを指すおめでたい名前である。


逆に言えば、これほど忍者らしからぬ名前もない。


「こりゃあいい! 朝帰りの阿呆あほうってか。おめぇに似合いだな!」


「やかましい」


女遊びを揶揄やゆされたのではなく、これもまた伊賀の隠語いんごであった。


夜闇よやみに乗じて事をなすしのびにとって、朝は忍務にんむの失敗や、遠回しに死を連想させる。


ゆえに、里から役立たずの烙印らくいんを押され、捨て石として死間しかんを命じられることを「朝日あさひのぼる」と言い、万が一これを無視して里へ生きて戻れば「朝帰あさがえり」と痛烈に非難されるのだ。


少年は過去に数度、朝帰りの前科がある。

そして今回もまた、普通ならば死ぬはずの戦地から奇跡的に生還していた。


しかるがゆえの渾名こんめいであった。


「お前はいつだってそうだ。技量うでの達つ上忍じょうにんですら生還かえってこられねぇような窮地きゅうちでも、血みどろになりながら、何度だって戻ってきやがる。なにか秘訣ひけつでもあるのか?」


同じ音無おとなしのよしみだ、教えてくれと、男は軽口めいた口調で言った。


しかしその両眼には、ギラギラと貪欲どんよくな光がひそんでいる。

――嗚呼、これをきにきたのだと、少年は察した。


一度目ならまぐれ、二度目までなら偶然で片付けられようが、こう何度も奇跡が続くとなれば、なにかカラクリがあるのでは、と勘繰かんぐるのも当然である。


しかし残念ながら、期待するような秘訣ひけつなどなにもありはしない。


「死にたくねぇ、それだけだ」


むしろ、彼にはそれだけしかないのだ。


少年が他のしのびと比べて抜きん出ている才能は、いっそ狂人じみた生への執念しゅうねんのみであった。


途端に、男は面白くなさそうな、どこか軽蔑けいべつした表情をあらわにした。


「……お前、まだそんな甘ぇこと言ってやがんのか」


唾棄だきするような冷ややかな声音こわねで、男は言った。


「お前がいない間に、音無おとなしがまた二人死んだぞ」


一人はとある上忍じょうにんの息子の尻拭しりぬぐいのために、もう一人はその死を受けて里抜さとぬけをもくろみ、逃げ切れずに殺された。

後者は、彼らと同じ年に里入りした女であった。


「これで、生き残った同期は、もう俺とお前だけだ」


わかるだろう、と男のがらんどうな瞳が少年を射抜いぬいた。


このにおよんで死にたくないなどと、望むだけ無駄だ、そう言いたいのだろう。


あの日、名を奪われ、自我じがを奪われ、ほこりを奪われた瞬間から、彼らの人生はただ定められたどきを待つだけのものとなった。


しょせんどれほど足掻あがこうと、空虚くうきょな日々の終焉しゅうえんが、ほんのわずかに先延ばしされるだけ。

気張きばるだけ無意味だと、男は笑い捨てた。


「……だったら、なぜお前は生きている」


今度は少年が、軽蔑した眼差しを男へむける番であった。


惰性だせいで生きていけるほど、伊賀の捨て駒としての日々は甘くない。

いっそ死んでしまった方がよほど楽であろうに、口では生き長らえることに意味がないと言いながら、この男だって無様ぶざまに命へしがみついているではないか。


しかし、少年の皮肉を一蹴いっしゅうするように、男はわらった。


「なぜ、なぜだと? ――決まっている。ひとりでも多く、地獄への道連みちづれにするためよ」


男の相貌そうぼうは、憎悪ぞうお屈辱くつじょくと狂気にどろりとれていた。


で腐ったヘドロのような言葉が、虚空こくうへ吐き出される。


「納得いかねェだろう、理不尽りふじんだろうよ。ちょいと生まれの籤運くじうんが悪かっただけで、どうして俺たちばかりがくずみてェに死ななきゃならねえ?」


男はえたけものじみた視線を、里の方へとむけた。


「なにが音無おとなしだ、里のれきだ。どうせ俺たちが死んだところで連中れんちゅう、小指の甘皮あまかわほども感謝なんざしねェだろうよ。まったくもって、この現世うつしよ不条理ふじょうりだ。だったら俺もその不条理を、ありったけの不幸をまき散らして死んでやる。ひとりでも多く、クソみてェに殺して、地獄への道連みちづれにしてやる!」


「…………」


後半の台詞は、もはや少年の耳には入っていなかった。

興味がなかった。


ただどんなにこの世が不条理だろうと、自分は生きて、生き抜いて、いつか自由になってやる。


改めてそう想うのみである。


この日をさかいに、両者が再び言葉を交わすことはついぞなかった。

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