⑨青鬼の老爺


あっさり倒れた魚人たちを見て、うむ、と東雲しののめはあごに手をあてた。

――悪い癖である。彼の脳裏では、すでによこしまな考えがいくつも頭をもたげていた。


「シノ殿!」

「よォ、息災そくさいか?」


しれっと岩陰いわかげから出ていけば、トトが再会の喜びと安堵あんどで瞳を輝かせながら駆け寄ってきた。

一方の怪力娘かいりきむすめは、得体えたいの知れない化け物がよほど恐ろしかったのか、眼の端に涙をにじませながら、眉をつりあげた。


「アンタ来るのが遅いのよ!」

「助けてやっただけありがたいと思え」


適当てきとうにあしらい、地面に転がっていたもりを拾ってくるりとまわす。その双眸そうぼうは魚人たちをねっとりと見定みさだめていた。

妙に熱がこもった、怪しい視線である。


「なァ、ちっときたいんだが」


すいっと指を前にさし、東雲しののめは真剣な面持おももちで呟いた。


「アレは食えるのか?」


「…………え、」


しん、と水を打ったような静寂がおとずれた。


「え?」


敵味方双方そうほうから、困惑と動揺にれた視線が突き刺さる。


しかし東雲しののめは大真面目であった。

普段ならばこんな発想はしないだろう。

しかしいかんせん、腹が減っているのだ。


人に似た胴体部分はさすがに躊躇ちゅうちょを覚えるが、あのタコのような頭部は、味はどうであれ食いでがありそうだ。


「ちょ、ちょっと、あんなうねうねしたの、食べられるわけないじゃない」

「なんだ、鬼の国ではタコを食わんのか? 美味いぞ」


ドキリ、と魚人たちの肩がねた。この男、本気である。


「お、お待ちくだされ。さすがに、知性ある種族をしょくすというのは……!」

「そう、よね。さっきしゃべってたし、立ってるし……」

「ならゲソだけもらうか」

えでギラついた視線にさらされて、魚人たちはおびえながらじりじりと後退こうたいをはじめた。

中には自分の足を隠そうとしている者もいるが、狙われているのはそっちではない。


レイラたちも、ことさらやめさせようとはしなかった。

倫理的りんりてきな拒否感はもちろんあったが、それ以上に枯渇こかつした三大欲求が、冷静な判断をにぶらせていた。


「やめんか!」


突然、雷鳴のような大声が混沌こんとんを貫いた。


広場のむこう側に、ひとりの老人が立っている。

額に細い一本角があった。青鬼である。


「この者たちは敵ではない。武器をおさめろ」


彼らのおさなのだろうか。

片眼に大きな傷のある厳格な風貌ふうぼうの老人は、地に倒れている魚人たちを悩ましげに見やると、次いでまされた矢のような眼光を東雲しののめへ突きつけた。


「無礼をわびよう。見慣れぬ風体ふうていゆえ、我らにあだなす者かと疑った」


穏やかな言葉とは裏腹に、老人のたかのごとき双眸そうぼうが瞬きもせず威圧してくる。

これ以上ことを構えるな、と忠告しているのである。


あだをなされたのはこちらなんだが」


「いやはや、まことに申し訳ない。近頃とみに赤鬼オグルのならず者どもと出くわすことが多くてな。みな気が立っていたのだ」


老人のもとへ居並んだ魚人たちが、その頭部をずるりといだ。

その正体は、化け物に身をふんした青鬼たちであった。


大層たいそう腹もすかれている様子、非礼ひれいのかわりといってはなんだが、夕食を馳走ちそうさせてくれ」


ふいに、島の側面にあった大岩が、轟音ごうおんを響かせながら横へ転がった。

巨大な空洞が姿を現し、中から幾人いくにんもの青鬼がこちらの動向どうこうをうかがっている。


「――歓迎しよう。赤鬼オグルの砦へ火を放った、剛毅ごうきなる勇士たちよ」


「なぜそれを!?」


トトが驚きに目をみはった。

東雲しののめは、海上に積み上がった船の墓場を思い起こし、――してやられた、とこめかみをヒクつかせた。


小船を木端微塵こっぱみじんにされたところからすべて、彼らの手荒な〝歓迎〟の一環いっかんだったのだ。


(このタヌキじじいめ……!)


見知らぬ他者の本質を見極める定石じょうせきとして、意表いひょうをつくことはもっとも手っ取り早い手段である。


とんでもない先制攻撃からの品定しなさだめを受けていたのだと悟り、東雲しののめは苦虫を噛み潰した。


「ここは本国より逃げてきた青鬼ユニルが隠れ住む島。すでに先客が、お主たちの到着を待ちわびている」


トトとレイラが、わっと喜色きしょくをあらわにした。


よく無事だったな、と再会に水を差すようなことは、さすがに言わずにおいた。

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