②目指すは西大陸

「そういや、お前さん名は?」


こんがらがった疑問の山はひとまず残置ざんちすることにして、東雲しののめは他愛ない問いを拾った。


人知じんちのおよばない天与てんよの流れに気を取られるよりも、足もとを固める方がよほど建設的である。


少女は数秒口をつぐんでいたが、やがてこりかたまった言葉を噛んでほぐすように呟いた。


「……レイラ。アンタは?」


東雲しののめじゃ」


「ふーん、しのにょ……っ」


ぱっ、と少女の白い頬にしゅが咲いた。

思わず東雲しののめの唇が底意地悪く歪む。

途端、少女の瞳に反抗的な色が戻った。


「変な名前、言いづらいわ」

「お前さんが舌ったらずなだけだろう?」

「っ、やっぱり嫌なヤツ!」


なおもニヤニヤとからかえば、少女はたちまち機嫌を悪くしてそっぽをむいた。

ネズミとは違う方向で態度に出やすい性格のようだ。


「嫌なヤツついでに、ほれ」


「……なに?」


東雲しののめは少女へむかってずいっと手を差し出した。


「報酬じゃ、ぜに六割。忘れたとは言わせねぇぞ」


催促さいそくするように手の平を上下させれば、少女はあからさまに顔をしかめて、銭でふくらんだ麻袋を遠ざけた。


「まだよ。まだ渡すわけにはいかないわ」

「おいおい、話が違うぞ」


「砦から逃がしてくれたことには礼を言うけど、まだこの近海には赤鬼の船が網を張っているの。無事に西大陸ユーラヘイムへたどり着けるまでは、一枚たりとも出せないわ」


「ゆうら……?」


「……アンタまさか、西大陸ユーラヘイムを知らないの?」


少女はあきれて尋ね返した。


「お前さんらが鬼の国から逃げてきたということは知っているぞ。その〝ゆーらへいむ〟という国を目指しておったのか?」


「そうよ。私たちの故郷東大陸ホルンガルドは、赤鬼オグルが支配する土地。その他の種族は死ぬまで奴隷として働くしかない……。けれど、西大陸ユーラヘイムには平穏と自由がある。そう聞いてるわ」


レイラはためこんだ一生分の愚痴ぐちを整理するように、ぽつぽつと故郷の惨状を吐露とろした。


東大陸では、赤鬼以外の種族はすべて下層民としてあつかわれる。

彼らは幼いうちから過酷な労働に従事させられ、生きていくために必要最低限の衣食住は保証されるが、怪我、病気、老いなどで働けなくなれば容赦なく切り捨てられる。


未来に希望などなく、ただただ同じ毎日を繰り返し、死を待つだけ。


そんな環境から逃れるために、少女は命をして海へ出たのだ。

多種多様な種族が抑圧されることなく暮らしているという、豊かな土地の噂を信じて――。


「だから、そこへ着くまでは契約続行よ」


「……仕方ねぇな」


乗りかかった船である。

話の真偽は別にして、東雲しののめとしても他に選択肢はないのだ。

海上では金の使い道もないことだし、情報源となる彼女といたずらに対立するのは得策ではない。そう判断したのだ。

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