第二章 泳ぐ極楽島

①ぎすぎすトーク

戦国時代における死生観というものは、仏教の経典によるところが大きい。


かくいう東雲しののめも、一向宗徒いっこうしゅうととして仏敵成敗ぶってきせいばいに明け暮れた経験がある。

もちろん本心から仏門ぶつもん帰依きえしていたわけではなく、斥候せっこうとして潜りこんだのだ。


尾張おわりゆう、織田信長が比叡山ひえいざんを焼き討ちにした直後のことである。


東雲しののめの地獄に関する知識は、この時に聞きかじったものが大半だ。

とはいえ、たらたらと長ったらしい僧侶の説法せっぽうなど、眠たくてこれっぽっちも真面目に聞いちゃいなかったが。今となってはおおいに反省している。


だがしかし、東雲しののめはお偉い高僧こうそうがたに一言物申ものもうしたい気分であった。



「ひょろっちいな……」


「……なによ?」


青鬼の少女が怪訝けげん面持おももちで東雲しののめを見た。


小さな帆かけ船の上である。甲板の端と端に離れて座っても、すぐに手が届く距離だ。

少女にとってはそれがどうも居心地が悪いらしい。

警戒した様子で、東雲しののめのかすかな指の動きにすら、じっと視線を注いでいる。まるで迷子の猫のようだ。


仮にも命の恩人に失礼な、と皮肉めいた気持ちがひらめいた。

しかし気を悪くすることはない。心を許していないのはお互いさまであった。


赤鬼の砦はすでに水平線のむこうへ遠ざかり、ようやく人心地ひとごこちついたところである。

あらためて東雲しののめは、まじまじと少女の容姿に目をむけた。


現世うつしよの僧侶たちは、地獄の悪鬼羅刹あっきらせつは冷酷無比でうんぬんと、信者をおののかせるのが好きだった。

たしかに、赤鬼どもの剛腕は風聞ふうぶん遜色そんしょくないすさまじさであったが、ことに青鬼の場合においては、いささか事情が異なるらしい。


みすぼらしいボロ布からのぞく彼女の手足は細く、肌は透けるように白い。

小ぶりな耳は先の方が尖っており、青みがかった深紫こきむらさきの瞳にはこまかな金が散っている。


帆をはためかせる潮風しおかぜに、絹のごとく滑らかな銀の髪が揺れ、高く昇った陽光に美しくきらめいた。


東雲しののめは顔の美醜びしゅうなどに頓着とんちゃくしない性質たちであるが、日ノ本の人間とは違うはっきりとした目鼻だちは、磨けばさぞ輝くことだろう。

――裏を返せば、この青い原石は、風雨ふううの下に野ざらしのまま誰にも見向きされてこなかった様子である。


(もったいないのう……)


これまで、あまり良い暮らしをしてこなかったのだろう。

白魚しらうおのような指先は荒れ、身を守るように強張った細い肩には、どこか薄暗い影がまとわりついている。


「あんまりじろじろ見ないで」


少女は憮然ぶぜんとした態度を隠しもせず柳眉りゅうびしかめた。繊細な容姿に似合わぬ、ふてぶてしい眼差しである。

あの騒動の最中、がめつくも海賊から金をくすねた娘だけあって、内面は存外ぞんがいずぶといようだ。


東雲しののめは笑った。

均整のとれた容姿よりも、よっぽど好ましい器量きりょうである。


「こいつは悪かった。ひたいからつのを生やした女など、今生こんじょう出逢ったことがないものでな」


「……私だって、角の無い男は初めて見たわ。……耳も変な形だし」


なるほど、過度な警戒の理由はそういうわけもあったか。


「人間を見たことはねェか?」


「ニンゲン……? 知らないわ。アンタみたいな種族、見たことも聞いたこともない」


ほー、と東雲しののめは煮え切らない相槌あいづちをうった。


ネズミも似たようなことを口にしていたが、やはりせない。

不義謀略ふぎぼうりゃくが横行する浮き世で、自分だけが地獄逝きであろうはずもない。

幽界には亡者の罪に応じていくつかの階層があるというが、よほど辺鄙へんぴなところへ飛ばされたのだろうか……。


しかしまあ、それならばそれで構わなかった。

会いたくない相手は山ほどいても、死してなお逢いたい相手など、ひとりもいやしないのだから。

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