⑦暴虐の赤鬼


まことに皮肉な話であるが、伊賀の捨て石として何度も敵地へ放り投げられてきたこの男にとって、見知らぬ土地からの脱出は、数少ない得手えてのひとつである。


思いのほか、外への出口はすぐに見つかった。

しかし問題はここからであった。


(……鬼じゃ)


建物の玄関とおぼしき場所の前に、赤ら顔の大柄な鬼が二人立っている。

残念ながら、今度は死体ではなく生きていた。


門兵なのか、胸当てのような防具を身につけ、手には東雲しののめ太腿ふとももよりも大きな金棒をたずさえている。

暇を持てあましているのか、彫りの深い金の眼は気だるげに瞼を重くして、時折あくびをもらしている。くわり、と開いた肉厚な唇のむこうに、虎のような牙がずらりと並んでいるのが見てとれた。


(くわばら、くわばら……)


東雲しののめはすぐさま尻尾を巻いて、すごすごともと来た道を引き返した。

臆病者とののしるなかれ。せっかく拾った命である。極力危ない橋は渡りたくないのが人情というものだ。


やはりここは鬼の牙城がじょうのようである。

しかしながら、はて、と東雲しののめは首を傾げた。

日ノ本の城において、門兵というものはおしなべて外に配置するものだ。大手門のように一人では開けられない巨大なものや、内側からかんぬきをかけているならば話は別だが、あの扉はごく普通の小さなものだった。

にもかかわらず、あの鬼たちは内側を警戒するかのように立っていた。


そこから導かれる答えはひとつ。

建物内にいる何者かを逃がさぬようにするため、と考えられる。


もしかしたらここは城ではなく、牢獄のような場所なのかもしれない。


(……あな恐ろしや)


とにもかくにも、一刻も早く姿をくらましてしまうにかぎる。

東雲しののめは他の脱出経路を探した。


しかし、これがなかなか見つからない。


というのも、この石造りの建物には窓らしい窓がなく、あったとしても東雲しののめの頭すら通らない小さな空気穴だけなのだ。

等間隔に焚かれている篝火のため、見落としがあるはずもない。


東雲しののめの足は自然と、建物の奥へ奥へと進んでいった。


玄関のある場所からもっとも離れたどんづまり、よどんだ空気が溜まる一角に、新たな通路を発見した。数枚の扉がぽつぽつと並ぶ薄暗い廊下が、左右に一本ずつ伸びている。

そこから何者かのうごめく気配がした。


――引き返すべきだ。東雲しののめは無意識に一歩後ずさった。


とどこおった空気の様子から、この先に脱出口がある望みは薄く、重ねて奥からおびただしい数の生者の息遣いが伝わってくる。

身の安全を第一とするならば、到底この先へ行くべきではない。


しかしながら、東雲しののめは廊下の最奥をにらみつけたまま、逡巡しゅんじゅんするように踏みとどまった。


(さすがに、トントンとはいかねーか……)


引き返したとて、他の場所はあらかた探索し終わっている。

すでに頭の端では、この建物の出入り口が先程の玄関以外にないのではないか、と薄々勘づいていた。もしそうであるならば、多かれ少なかれなにか策を講じねば、あの場所を突破することは難しい。


前門の虎、後門の狼――ならぬ、前も後ろも鬼だらけの地獄で立ちまわるには、握っている情報があまりにも少ない。

策を練るなら、まずは敵を知らねばならぬ。


(――ええい、ままよ!)


腹をくくってしまえば、東雲しののめの行動は早かった。

音もなく歩を進め、数ある扉の中でも飛びぬけて気配が多い右の廊下の一番奥に目をつける。


ぴたりと扉に張りつけば、木の板ごしに生きている者のざわめきが伝わってきた。しかし、少なくとも扉の近くには何者も立っていないようである。


意を決し、深く長く息を吐くと、動いているのかさだかではないほど緩慢な手つきで取っ手を押していく……。


わずかに開いた隙間の先にあったのは、せ細ったみすぼらしい青鬼たちが、ひしめくように鎖でつながれている姿だった。

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