第18話 買うの恥ずかしいタイプ
コーヒーの香りと蒸気が立ちこめる。
俺の正面に座る周防先生は、今日も目の下にクマを浮かべて足を組んでいた。
「で、天野も自主退学を申し出たよ。家も引っ越すそうだ」
「え、そ、そうだったんですか」
そういえば全然学校に来ていないとは思ったが、まさか辞めるとは。
確かにあれだけのことをして、そして明日実にすべてを明らかにされたのだから学校に立場があるわけがない。
でも自主退学をして、おまけに家族総出で引っ越すまでするとは思ってもいなかった。
「ちなみに、私は止めもしなかったがな。はっきり言って、天野は気に食わなかった」
「生徒ですよ一応⁉」
「いいだろ? 天野はもう、元生徒なんだから」
「そういう問題ではない気が……」
今日も今日とて相変わらず、周防先生は教師らしくないことを言う。
そこが長所でもあり、短所でもあるというか……いや、普通にダメか。
周防先生が気を抜くように息を吐きながら背もたれに寄り掛かる。
「これにて綺麗さっぱりしたな! さすがは大魔王、復讐は徹底的にだな!」
「大魔王じゃないわ! というか、俺はこの件に関して唯一の被害者でありながら、何も関与してないですからね」
全部明日実がやったことだ。
「そりゃそうだろ。大魔王のクラスになれば自分で手は下さない。配下の明日実にすべて片付けさせたんだろ?」
「大魔王前提が抜けてないな⁉ どっちかって言ったら、明日実の方が大魔王ですからね⁉ 俺がむしろ明日実の配下というか……」
「ま、それは傍から見てれば思うよ。九重、お前はとんでもない奴を隷属したな?」
「それはもう、ほんとにとんでもないというか、ド変態というか……」
俺の言葉に、周防先生がふっと息を漏らす。
「お前が思ってる以上に、明日実はとんでもないぞ?」
「……え?」
俺が思ってる以上って、どういうことだろうか。
……というか、俺が思ってるとんでもなさのその上があるのかよ。
「そういや、九重に頼みたいことがあったんだった」
「俺に頼みですか?」
「そうだ」
一度席を外した周防先生が、封筒を持って戻ってきた。
「明日実今日欠席だっただろ? だから、お前が今日のプリント類持って行ってやれ」
「え、でも俺明日実の住所知らないですよ」
「私が教えてやるから焦るな焦るな。明日実の家はな――」
「わかり、ました」
先生に頼まれては仕方がない。
別に断る理由もないし、なにせ今日は暇だ。
「じゃあ、俺遅くならないうちに行くんで」
俺が封筒を持って立ち上がると、周防先生が「あ」と俺を呼び留めた。
「そういえば、これも忘れちゃいけないな」
ぽん、と手のひらに四角い何かを渡される。
「なんですかこれ」
「これはコン〇ームだ」
「なんつーもの渡してんですか!」
「いやいや、使うかもしれないだろ今から。あ、もしかして一個じゃ足りなかった? お前ら高校生だもんな! はい、追加のコン〇ーム」
周防先生がポケットからもう一つ出してくる。
「そんな飴みたいなノリで避妊具渡すのやめてくれません⁉ あと、シないですから!」
「そ、そうか。シないのか……中に出すのだけはやめろよ?」
「そっちじゃねぇぇぇッ!!!!!!」
これ以上は周防先生に付き合ってられない。
「はい、これ返しますから!」
「まぁもっとけもっとけ。ほら、九重は薬局でコン〇ームを買うの恥ずかしいタイプだろ? だからいつかの時のために取っとけ」
「いらないですから!」
「もっとけもっとけ!」
「いらねぇッ!!!」
そんな押し問答を繰り返し、結局周防先生に押し通され、ひとまずポケットに入れておいた。
「いってらっしゃい九重ー」
依然としてやる気の籠っていない声で周防先生に送り出され、俺はようやく職員室から出た。
「……はぁ、どっと疲れた」
職員室から下駄箱に向かう。
放課後の時間帯は廊下も静けさに満ちていて、校庭から微かに部活動に勤しむ声が響いてきていた。
俺は一人、周防先生に教えてもらった明日実の住所を携帯に打ち込みながら歩く。
すると前方から、見たことのある顔ぶれ三人が歩いてきた。
「でさ、あの女全然ヤらせてくんなくてさ」
「マジかよ、別れた方がいいんじゃね?」
「そろそろ潮時だとは思ってるわ。今度は誰にしよっかなー」
よくよく見れば、月島といつも一緒にいたイケメン四人衆の三人だった。
そういえば以前、食堂で馬鹿にされたっけ。
今では懐かしいとさえ思う。
「ってか、最近あいつが――」
一人が俺に気付き、他の二人も続いて俺を視界にとらえる。
その瞬間、さっきまでの肩で風を切るような態度は消え去り、顔を恐怖でいっぱいにした。
「だ、大魔王だ……」
「お、おい早く行くぞ!」
「あんま見るなって! 標的にされたらアイツみたいになる!」
俺にすれ違う時、軽く会釈して颯爽とその場から立ち去った。
「……なんだこれ」
以前とは違いすぎる態度に拍子抜けしてしまう。
だが、馬鹿にされるよりかははるかにいい。
「大魔王、ねぇ」
それでもその代償はでかく、自分の学校での位置付けに若干肩を落とす俺だった。
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