23.返してもらうよ


 父と再会してからしばらく、特に何か起こるでもなく平穏な日々が続いた。

 ただ私には常に誰かから見られているような嫌な気配ばかりが纏わりついているような錯覚があって――それが本当に錯覚だったのかはわからないが、とにかく気分が良いとは言えなかった。


 そんな日々が音を立てて崩れたのは、ある日の事。

 本当に突然、前触れも無くそれは起こった。


『ユウ、見てるかー!?』


 入浴を済ませ、あとは寝るだけとなった夜の余暇を、ヒマリの配信を見て過ごそうとした時だった。

 彼女の配信画面には、見覚えのある顔――父親。

 そして、気を失っているヒマリがそこに映っていた。


『この子の命が惜しければ金を持ってこい! 金額は――――』


 その先のことはよく覚えていない。

 内容は把握したが、頭に血が昇っていた。

 ただ追い立てられるようにして支度をし、家を飛び出そうとした、その時だった。


「…………お姉ちゃん、どこか行くの?」


「リリカ……」 


 玄関で靴を履こうとしていたところを呼び止められ、振り返らずに私は答える。

 妹の顔を見られない理由は自覚していた。


「ごめん、ちょっと用事」


「またダンジョンに行くの? こんな時間なのに……」


「…………うん」


 ボロボロのスニーカーを履き、扉を開く。

 今から私は、父親に会う。会って……どうなってしまうのだろう。

 武器があって、力もあれば、人を殺すくらいは簡単にできる。

 そこに意志さえあるならば。


「ちゃんと帰って来てね」


「……………………行ってきます」


 どうしても帰って来られる保証ができず、私は逃げるように自宅を飛び出した。



 * * *



 指定された場所は第二層の中層あたり。

 たどり着くのは簡単だが――懸念がひとつ。

 ただ、それは今は置いておこう。


「来たよ」


「おお、ユウ! 来てくれたか」


 たどり着いた大部屋の奥。

 そこに父はいた。後ろには縛られたヒマリが気を失って横たわっていた。

 溢れそうになった怒りを何とか飲み込む。


「金は? 金は持って来てくれたか」


「その前にヒマリその子を返してくれる?」


「そ、そんなことしたらお前はさっさと逃げ帰ってしまうだろ」 


「……………………」


 父は怯えたように後ずさると、腰から抜いた両刃剣の切っ先をヒマリの首元に向けた。

 下手な真似をすれば彼女が危ない。

 ここから全力で走ったところで剣が振り下ろされる方が早いだろう。


 そもそもあの父にそんな大それたことができるのかとも思ったが――あの血走った目。

 相当追い詰められているのだろう、無闇に刺激するべきではない。

 

「そっちだって同じことでしょ。こっちが先に金を渡したって素直にヒマリを返してくれるかわからない」


「おいおい、俺を信じてくれないのか……? お父さん悲しいぞ……」


「……なにを信じろって言うの」


 自分のしでかしたことを覚えていないのか、とはらわたが煮えくり返る。

 だけど、まだ我慢だ。

 もう少し待つ必要がある。


「いいか、おれは急いでるんだ。借金取りは明日にでもやってくる。とにかく金だ、金を渡せ。今すぐに持ってきた金を投げろ」 


「……………………わかった」


 ストレージを開く。

 アイテムボックス内の指定のアイテムをタップする。

 そうして数秒待つ――――すると。


 ゴゴゴ…………! とダンジョンが激しく揺れた。


「な、なんだ!?」

 

「……そっか。あんたも知らないんだね」


 現在時刻は0:00。

 ちょうど日付が変わる時だ。


 ダンジョンには変わった性質がある。

 それは日付が変わるごとに内部構造がランダムに変化することだ。

 私は実際に目にしたことはないが――――壁や天井、そして床が揺れ、突き出したり引っ込んだりを繰り返している。

 それはまるで、生きているかのように。


「……さて。返してもらうよ」


 私がストレージから取り出したのは『幽鬼の仮面』。

 第二層のボスからドロップしたアイテムだ。

 装着すれば素早さが大幅に上がる。

 それだけではなく――影に潜ることが可能になる。


 私は目の前に飛び出して来た壁が作る影に飛び込む。

 次は天井、床と――変形するダンジョンの地形を利用し、影と物陰を渡り、大部屋を一気に駆け抜ける。


「くそっ、逃げるべきか? いや、だが金は――――」


「あんたにあげる金なんか一銭も無いよ」


「なにっ!?」 


 篝火に照らされる父の影から飛び出た私は、素早く刀を抜く。

 少しだけ迷った。このまま振るえば憎いこいつを亡き者にできる――だけど。

 

 帰りを待つ妹。

 そして、私が人殺しになれば悲しむであろうヒマリ。

 二人の顔を思い浮かべ、私は父の首を峰打ちした。


「が…………」


 あえなく気絶し、白目をむいたまま倒れる父。

 私はそんな顔にむかっ腹が立って、横っ面を蹴りつけた。

 彼は気絶したままだった。


「ヒマリに感謝しなよ」


 眠るヒマリの顔に目をやる。

 気を失っているが、ステータスを見ると特に異常はない。

 HPが少し減っているくらいだ――ほっと胸を撫で下ろす。


「ごめんね、ヒマリ」


 怖い思いをさせてしまった。

 とりあえず帰って、それから謝ろう。

 帰還石を取り出した私は、鳴動するダンジョンから二人を連れて地上に戻った。

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