22.二度と顔も見たくない


 父の顔はよく覚えている。

 頼りなくて、優しくて、だけど流されやすい。

 そんな印象だった。

 当時の私はたぶん、そんな父が人並みくらいには好きだったんだと思う。


 思う、というのは――――彼が女と逃げたことで、全ての印象が裏返ってしまったからだ。

 自分が無い。心に柱が無い。

 家族私たちに責任を取れる強さがない。

 そんな印象は今日この日、再会を果たしたことでより強くなった。


「……ヒマリ、悪いけど今日は先に帰って」


「え、でも」


「お願い」


 思ったより硬い声が出て、ヒマリを怖がらせてしまったかもしれない。

 それでも彼女は何も言わずに帰還システムを使ってダンジョンから地上に戻って行った。

 後でフォローしておかないと……。


「それで、何の用?」


「いやあ……実はさっきの子の配信でお前が探索者をやってることを知ってな。ここで待っていたらモンスターに追われてしまったんだ」


「…………そんなストーカーまがいのことまでして、何がしたいの」


 相手が知り合いじゃなければ叩き伏せているか、センターに届け出ているところだ。

 こちらが冷たく当たっているのに父は未だにヘラヘラしている。

 親子の間には明確な温度差が横たわっているようだ。


「いや……実は金に困っていてな」


「…………は?」 


「女に騙されたんだよ。それでほとんど素寒貧になって、仕方がないから探索者を始めたんだが上手くいかなくてな……そうしたらお前が探索者になってるじゃないか。見たところ、稼いでるんだろう? なあ、良かったら助けて――――」 


 そこが限界だった。

 錨に任せて引き抜いた刀を、私は床に突き立てる。

 硬い感触と、耳障りな金属音が遺跡の通路に響き渡った。


「ひぃっ……」


「ふざけんな!」


 悲鳴のような声が出た。

 喉に力を入れないと、震えてしまいそうだった。


「誰のせいでお母さんやリリカが苦労してると思ってるんだ。誰のせいで…………」


 何も知らないくせに。

 意識的に息を吐いていないと、怒りでどうにかなってしまいそうだった。


「…………二度と私や家族の前に姿を見せないで」


「わ、わかった。わかったから……」


 情けない父の顔を見ていられなくて、すぐに帰還システムを起動した。

 これ以上相対していたら、本当に殺してしまう。



 * * *



「……ただいま」


「お帰りわが子~♡」


 自宅の玄関をまたぐと、いきなり抱きしめられた。

 こんなふざけたことを抜かす人はひとりしかいない。


「お、お母さん。早かったんだね」


「うん! 今日は早上がり出来たんだ~」


 頬ずりしてくるパンツスーツの女性が私の母だ。

 毎朝早い時間に家を出て遅くまで帰って来ない。

 バリキャリというやつだ。現在、一家の大黒柱で私は頭が上がらない。

 

「ユウちゃんは今日も可愛いねえ。ダンジョンはどうだった?」


「あ、と……」


 言葉に詰まった。

 今日会った男の顔が頭をよぎる。


 父がいなくなった当時の母さんは、自分も辛かったはずなのに、私たち姉妹の事ばかり考えていた。

 できる限り明るく振る舞って、再就職して、そうしてこの家を支えるために奔走していた。

 だから私はこの人を悲しませたくない。


「……うん。いつも通りだったかな」


「ふうん? ならいいんだけどね」


 ごはんにしよう、と年甲斐も無くスキップするお母さんの後をついて歩く。

 この時の私は、あの男をどう家族に会わせないようにするかということばかり考えていた。

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