10.いかれるいもうと


 最近、妹の機嫌が悪い。

 

「…………むす」


「えっと……」


 食卓を囲んでご飯を食べていても、常に仏頂面である。

 それで家事に手を抜くことがないのはリリカの良い所なんだけど(たまには手くらい抜いても良いとは思う、お姉ちゃん的には)。

 

 いつからこうなったんだっけ、ヒマリを助けてサインをもらって帰ったときは――――


『え、うっそほんとに? ほんとにヒマリンのサイン? すごーい! お姉ちゃんありがと!!』  


 と、久々にテンション高く喜んでくれたのだが。

 今はハマっていたらしいヒマちゃんねるの話題も一切出さなくなってしまった。

 たぶんヒマちゃんねるに出演するようになってからだったかな……?

 

「ねえリリカ、お姉ちゃん何かしちゃったかな?」


「何でもない」


「うーん……もしかしてヒマちゃんねるのことが関係してたりする?」 


「…………」


 してるっぽい。

 もしかしてアレかな。

 リリカはヒマリのガチ恋リスナーで、私とヒマリが仲良くしているのが気に入らないとか。


 うん、それかも。

 それなら誤解を解かないといけない――と私が口を開こうとしていると。


「……お姉ちゃんさ、ヒマリンとどういう関係?」


 やっぱり正しかったみたい。

 私は努めて笑顔で答える。

 

「ただのパーティメンバーだよ。リリカの気にするようなことは何もないから安心して」


「……でもカップルチャンネルってゆってた」


「あれはヒマリが勝手に言ってて……」


 しどろもどろになりながら説明すると、リリカは勢いよく立ち上がった。

 がたん! とちゃぶ台が揺れてお味噌汁がこぼれそうになる。


「そ、そのヒマリって呼び捨てにしてるのも嫌なの! あの人お姉ちゃんの何なの!?」


「いや、だからただのパーティメンバーだって……ん?」


 なんか違和感があったような。

 そんな私の疑問をよそに、リリカは鼻息を荒くしている。


「お姉ちゃんは私の……」


「え?」


「な、なんでもない!」


 絶対なんでもあるやつだ……。

 とまあ、最近はこんな調子で私の癒しであるリリカとの時間が胃の痛い感じになってしまっている。

 どうにかしないとな、と対策を考えることにした。



 * * *



「おっよよよばよばよばれ」


「大丈夫? DJ化してるけど」


 放課後。

 件のヒマリを連れて私は自宅のドアの前までやってきた。


 ヒマリはと言うと、今日会ってからずっと身体をぶるぶる震わせている。

 私のスマホがスヌーズした時みたいでちょっと面白い。いや本人はそれどころじゃないのかもだけど。

 ヒマリは『ン゛ッッ!』と気合を入れて身体の震えを止めると、おずおずと私を見上げてきた。


「あのう、ユウさん。本当に私がユウさんのご自宅にお呼ばれしても良かったんでしょうか」


「全然いいよ。というか今日はこっちが頼んでる形なんだし」


「ユウさんが配信に出てくれるようになってからご機嫌斜めな妹さんとお話しする……ってことでしたよね。そう言えばご家族への説明を忘れてました……」


 失敗です、と思ったより落ち込んでいる様子のヒマリ。

 私は俯いた頭を撫でてやり、自宅のドアを開ける。


「じゃあ入って。……ただいまー」


「あ、お姉ちゃん今日は早――――」


「お、おじゃまします! 小日向ヒマリです!」


 ぴたり、とリリカの時間が止まる。

 まあ好きな配信者が目の前に現れたら無理もないだろうと見守っていると、その表情がじわじわと怒りへ変化した。


 あ、あれ? 怒ってる?

 いや、とにかく話さないと。


「あのねリリカ、今日はヒマリとのことで話があるんだ」


「…………狭いところで良ければ。お茶くらいは出します」


 長めの沈黙のあと、相も変わらずむすっとした顔で、リリカはキッチンへと歩いていった。



 * * *



「――――というわけで、お姉ちゃんはヒマリのチャンネルに出ることになったんだ」


 一通りの事情説明を終えると、リリカは無言でお茶をすする。

 対するヒマリは緊張に耐えかねているのか、コップのお茶がもう無くなりそうだ。


「ヒマリ……さんは」


「は、はいっ」


「お姉ちゃんとどういう関係なんですか」 


「それはもちろん婚約痛いっ」


 とんでもないことを口走ろうとしたので後頭部を叩く。

 この空気でよくそんなことが言えるなこの子!


「違うからね。私にはまったくそんな気はないから安心して」


「それはそれでひどいです!」


 半ば悲鳴のような声をあげるヒマリは無視。

 とにかく今するべきことはリリカの誤解を解いてやることだ。

 だが、リリカはここまで言っても怒りが収まらないようで、肩を震わせていた。


「お姉ちゃんにそんな気は無くても、この人にはあるじゃない……!」


「いや、それはそうなんだけど」


 何とかリリカをなだめようとして、気づいた。 

 ぽたぽたとちゃぶ台に雫が落ちる。それはリリカの頬を伝った涙だった。


「お姉ちゃんは……私だけのお姉ちゃんなのに……っ!」


「あ……」 


 ……以前から妹には寂しい想いをさせていた。

 毎日のダンジョン探索のせいで帰るのはいつも夜。

 お母さんも夜遅くまで帰って来ないから、一家団欒の時間は私が考えているよりも少ない。

 何よりリリカは私が帰るまで家にひとりぼっちなのだ。


 そんな状態で、姉が配信に出るとなれば、自分との時間が減ると考えるのは当然のことだったのかもしれない。

 そこまで想ってくれていたことを嬉しく思う気持ちはあるが、それよりも泣かせてしまったことの後悔が大きかった。

 しかし私も何を言えばいいのか……と迷っていると、隣のヒマリが居住まいを正して静かに口を開いた。


「ねえ、リリカちゃん。ユウさんはね、ふだん君の話ばかりしてるんだよ」 


「ちょ、ヒマリ」


 制止する私だったが、ヒマリの口は止まらない。


「家族のためにダンジョン探索を頑張るんだって、いつも言ってる。自分で言うことじゃないかもだけど、あたしなんかよりよっぽど妹さんの……家族のことが大事なんだと思うんだ」


 だから、怒らないであげて。

 普段のテンションからは想像もできないほど穏やかにヒマリは言い終えた。

 ……なんだか顔が熱い。普段から妹には愛を伝えてるけど、こうして他の人の口から語られると別種の恥ずかしさがある。


「…………わかりました」


 すん、と洟をすするリリカ。

 ごしごしと目元を拭って顔を上げる。

 目は赤いが、そこから怒りの気配は消えていた。


「嫌な態度取ってごめんなさい、ヒマリさん。お姉ちゃんのことをよろしくお願いします。あと……お姉ちゃんもいろいろごめんね」


 ぺこりと素直に頭を下げるリリカに、胸の奥がきゅーっと締め付けられる。

 ああ、やっぱり私の妹は最高だ!


「リリカ……! ちゅーしていい?」


「やめて。おこるよ」


「ユウさんって妹さんにはそんな感じなんですね……」 


 とにかく一件落着。

 それと引き換えに、若干ヒマリには引かれてしまった気がする。



 * * *



 それからヒマリを途中まで送ることになった。

 陽はすでに傾き、夜がすぐそこまで近づいている。


「ごめんねヒマリ。家庭のあれこれに巻き込んじゃって」


「いえいえ、むしろ嬉しかったですよ! それにしても妹さんが同担拒否系の子だったとは……」


「あれってそういうやつなの……?」


 それはともかくとして。


「すごく親身になってくれてびっくりしたよ。ありがとね」


「それはもちろん、未来の義妹いもうとですからね!」


「いや違うから。あとリリカは私だけの妹だから」


「わーお、こっちもこっちで重ーい……」


 またもや若干引かれた気がする。

 でも仕方ない。リリカを誰かに渡すとか考えたくもないし……。

 

 ……そういえば、いつの間にか緊張せずにヒマリと話せるようになったな。

 まだ出会って少しだけど、それだけ仲良くなれたってことなのかなあ、と感慨深くなってしまうのだった。

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