7.ほんとは救世主なんて恥ずかしいけど
次の日の昼休み。
教室の窓から分厚い灰色の雲を見上げながら、私は愛する妹が作ってくれたお弁当の卵焼きを口に運ぶ。
当然ぼっち飯である。
クラスの子たちは時たまひそひそと私の方を見ながら内緒話をしている。
うん、まあ、いつものことだ。
泣きそうなのは悲しいからじゃないよ。リリカが作ってくれたお弁当が死ぬほど美味しいからだよ。
ほんとだって。
「……別にいいし。私にはリリカがいるし……」
話し相手がいないと食事に集中できるのですぐにお弁当が空になる。
手を合わせてごちそうさまと感謝を述べ、スマホを取り出す。
開くのはダンジョンアプリ『Guild』だ。
動画配信タブを開くと、ヒマリが配信をしていた。
(あの子学校行ってないのかな)
おそらくはいじめが原因なんだろう。
一度上げてから落とされれば、人との関わりが嫌になっても不思議ではない。
(リリカも昔いじめられてたっけ……)
あの子が小学生のときのことだ。
父親の蒸発が嗅ぎつけられ、保護者経由で子どもに伝わった結果、リリカはいじめられ始めた。
結局あの時は私が無理やり事を治めたが、今になってもなお思い出したくない苦い過去だ。
家でもその話題が出ることはない。
たぶん私がここまでヒマリを気にしているのは、その時のことと重ねてしまっているからなんだと思う。
さておき、今日もヒマリは元気に配信している。
森の中をずんずん歩いていくピンク髪の横顔が映し出されていた。
スマホにイヤホンを繋げて音声を聞く。
『今日こそはぜーったい一層の奥までは行くから! 『応援してる』? ありがとー!』
片手剣をぶんぶん振って嬉しそうに歩いていくヒマリ。
昨日の配信ではボスの手前まで行って、大量発生したスライムの群れに追い返されていた。
ダンジョンではときどき特定のモンスターが大量発生する。
危険だけど増加するモンスターによっては稼ぐチャンスでもあったりする。
とはいえヒマリにとってあれは運が悪かった。
おしいところまで行けたのだから今日こそはボスと対面できるかもね、なんて思っていると。
『おーい。こんなところで何してんの?』
聞き覚えの無い声が配信に乗った。
さっと顔を青くしたヒマリはすぐさま振り返る。カメラが映すのはヒマリの横顔だけで視線の先は見えないが、足音から複数人がヒマリの前にいることが分かった。
『あ……浅見……さん……? なんでここに……?』
声は震えていた。
いや、声だけではない。ヒマリは全身を震わせ、今にも泣きだしそうな顔で後ずさる。
『いやー、まさかあんたがダンジョン配信者やってたなんてね。私たちファンになっちゃったー!』
ぎゃははは、と男女入り混じる下卑た笑い声。
すぐに悟った。こいつらがヒマリを虐めたやつらだと。
”あれ、こいつ
昨日のコメントは、この浅見という女のものだったのかもしれない。
配信者として名が知れればその分いろんな人々に広まる。
虐めっ子グループだって、いつかはヒマリを見つけてしまう。
(というかこいつら……ヒマリを殺そうとしておいてのうのうと……!)
ダンジョン内での出来事は証拠を確保するのが極めて困難だ。
他の探索者に危害を加える奴もいるが、特定するのは難しい。
いや、それは今はいい。
今はヒマリのことだ。
『ごめーん、配信止めてくれる?』
『い、いや……』
『は?』
突然の衝撃音の直後、配信画面が消える。
スマホは黒塗りのウインドウを映し出すのみで、音声も無くなった。
直前に炎のような赤い灯りが見えた。おそらく炎の魔石か魔法で撮影ゴーレムを破壊したのだろう。
「…………ヒマリ」
コメント欄は騒然としている。
”何が起きたの?”と事態についていけていない人がいれば、”これやばくね?”と事情を理解せずとも事の重大さを察しつつある人もいる。
私は、おそらくこの事態について正確に理解しているほぼ唯一のリスナーかもしれない。
あいつらは一度ヒマリを殺そうとしたやつらだ。直接手にかけようとしたわけではないから殺意そのものは薄いのかもしれないが、だからこそ似たことを繰り返すとしても何らおかしくはない。
そして私はヒマリのいる場所を知っている。そのうえすぐに駆けつけられる場所にいる――学校からダンジョンセンターまでは徒歩で行ける。
ガタン! とけたたましい音がした。
私が立ち上がった拍子に椅子を倒した音だった。
クラスのみんなが驚いて私を見ている。
だけど今は気にならない。
「…………行こう」
鞄を乱暴に掴んで、教室を飛び出す。
廊下を走る。
今だけは、一分一秒が惜しかった。
* * *
第一層。
とある男性配信者がささやかな数の視聴者と談笑しながら歩を進めていた。
「みんなダンジョン詳しいんでしょ? 俺初心者だからさ、じゃんじゃん指示しちゃってもらえると嬉しいわ。えっとなんだっけ、魔石の鉱脈? は見逃しちゃダメなんだっ――――どわあああああ!?」
軽妙な語り口調は背後からの突風に遮られた。
いや、それは突風と言うよりむしろ爆風で、男性配信者は吹っ飛んで茂みに背中から突っ込んでしまった。
「いっつつ……なんだよ今の……」
何とか起き上がり、コメント欄を確認する男性配信者。
今のアクシデントを切り抜いてSNSにでも上げてやろうかと内心では考えていたのだが、その目に映ったのは騒然とスクロールするコメント欄だった。
”今のヤバくね!? 速すぎだろ!”
”っていうかあのフード見たことある”
”俺も。あの猫耳フード、ヒマちゃんねるによく見切れてたやつじゃね”
”あー、あの救世主って子?”
”そうそう。仮面被ってたから顔は見えなかったけど絶対そうだと思う”
”どっかで聞いたな。あの仮面は救世主のスキルに関係してて、ヤバい時しか使わないんだって”
「……ちょっと待てよ、あの子のレベル……80とか書いてたぞ……?」
呆然と配信画面を見つめる男性配信者が見つめる先には、もう少女の影も形も無くなっていた。
* * *
どうしてこんなことになっているんだろう。
私は――小日向ヒマリは、二度と会いたくなかった子たちを前に動けないでいた。
足元には今破壊されたばかりの撮影用ゴーレムの残骸が転がっている。
「ほら、ナビ貸しなよ」
「や、やめて! あっ!」
左耳に付けていたナビを奪い取られる。
浅見さんはニヤニヤと手の内で転がしたかと思うと地面に落とし、一息に踏み砕いた。
取り巻きたちから嫌な笑い声が上がる。
「これでもう帰れないねえ。それとも帰還石持ってたりする?」
身体が震える。
どうしよう。帰還石なんてレアアイテム持ってないし、ナビが無いと帰れない。
このままじゃ本当に前と同じになっちゃう。
今度こそ誰も助けてくれない。
ユウさんは、来ない。
だって…………
『最近君の動画とか配信に私がよく見切れてるよね。あれ、できればやめてほしいんだ』
大好きな人なのに迷惑を掛けてしまった。
そんなつもりじゃなかった、なんて言い訳に過ぎない。
だから、救世主は来ない。
私の腕が元クラスメイトの男子たちに両側から掴まれる。
グループの子たちに囲まれて、無理やり歩かされる。
怖くて、何もできないのが悔しくて涙が出てきた。
「え、なに泣いてんの? 私らが悪いみたいじゃん」
ねえ? と浅見さんが同意を求めると、やっぱり嫌な笑い声が上がった。
もういいや。結局私はあのころからなにも変われてなかったんだ。
諦めてしばらく歩くと大部屋に着いた。
以前、似た部屋で置き去りにされた。
どくどくと心臓の鼓動が激しくなり、嫌な汗が噴き出す。
「ねえ、どうしてこんなことするの……?」
「ほら、私らってあんたのファンだから。あんたがちゃーんとダンジョン攻略できるようにモンスターと戦わせて強くしてあげようかなって」
「…………」
言葉も無い。
さっきナビを壊される前にステータスを見る限り、浅見さんたちのレベルは30前後。
だいたい第三層が適正レベルだろう。
あれから探索者になってたのは驚いたけど、やっぱり私とは全然違う。
私は結局才能が無かった。だからまだ第一層で燻っている。
そんなことを考えている間に私は大部屋の端の大木に括りつけられていた。
洞窟や山岳系のダンジョン探索などに使われる頑丈なワイヤーだ。私の力じゃほどけない。
「さて、モンスターを呼びますか」
軽い調子で浅見さんは灰色の魔石を取り出し、地面に叩きつける。
すると大きな鐘のような轟音が鳴り響き、途端にあたりの草木がざわめき始める。
「じゃああたしらは帰るから。頑張ってね~」
浅見さんが目の前で手を振る。
悔しくて、でも何も言い返せなかったその時だった。
「お、おいあれ……マーダーグリズリーじゃねえか!?」
木々を掻き分けて現れたのは大柄な熊のモンスター。
見たことがある。以前浅見さんたちに置いていかれた時に襲ってきたモンスター。
それが次々に現れる。両手を使ってようやく足りる数だ。
「な、なんでマーダーグリズリーがこんなに……!? 大量発生!?」
うろたえる浅見さん。
マーダーグリズリーは、第一層のモンスターではあるがその強さは第三層のボスにも引けを取らない。
出会ったら即逃げなければならない、半ばダンジョンギミックのような敵だ。
彼らは『時には避けるべき敵もいる』という教訓を教えてくれる優秀な教師であり、かつ最も探索者を葬った死神として恐れられている。
「や、やべえって! 逃げないと――――」
男子の一人が帰還石を取り出した直後。
ぐしゃ、と湿った音が響く。
一気に飛びかかってきたグリズリーが男子を叩き潰した。
気が付けば私たちは囲まれている。
逃げることは出来そうにない。
「あ、ああ……」
へたり込んだ浅見さんの下に水たまりが広がっていく。
彼女らは三層で戦える実力がある。
だけどこの数のマーダーグリズリーはどうにもならない。
帰還石は持ってきたらしいが、使うことを忘れるほど怯えているのだ。
「ガアアァァァァァアアアアッ!!!!」
大熊たちが咆哮を上げ、次々にグループの面々を襲う。
爪で引き裂かれ、首を食い破られ、その腕で潰され……最後に残ったのは一人。
「い、いや……やめて……ねえ助けてよッ!」
浅見さんが私を振り返る。
この子は何を言ってるんだろう。私を動けなくしたのはあなたたちなのに。
そのことに気づいたのか絶望に目を見開いた浅見さんは、最後に乾いた笑いを残し――――頭を殴り飛ばされた。
べちゃり、と遠くの大木にぶつかり、彼女はただの赤い染みとなった。
グルルル、と唸り声を上げながらグリズリーたちが少しずつ私たちににじり寄る。
虐めっ子たちはいなくなったけど、どちらにせよ私も終わり。
思わず空を見上げた。
(ああ……せめて最後に)
一目だけでも、ユウさんに会えたらな――――と。
心の中でそう呟いた瞬間。
「ガァッ!」
マーダーグリズリーの一匹が鋭い吠え声と共にあらぬ方向を向いた。
釣られて他の個体もそちらを見る。その瞳に滲むのは、警戒と……恐怖?
視線は通路に続く方向。そこには、
「ユウ、さん……?」
猫耳フードを深くかぶり。
獅子の仮面を装着した少女。
間違えるはずがない――ヒマリにとっての救世主がそこにいた。
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