第30話 人間になりたい

 神父がいなくなった異能空間。

 俺は、リンの背中を見つめていた。


 リンは、神父の異能を閉じ込めた蝋燭を眺めている。

 タマバミは、リンの手を……いや、腕を掴んで彼の側に居た。

 リンはタマバミを見上げて、目を細める。それは、悲しみにも似た感情を含んでいた。


「出口の蝋燭はどれだ」


 俺が尋ねると、リンは鳥居の一つを指さした。

 その鳥居の向こうには、一本だけ蝋燭が灯っている。


「あれが出口だよ」


 リンはそう言うと、タマバミの手を離れて、俺と蝋燭に向かって外に出た。


 出てきたのは、リンが拷問に使用していた拠点で、崩れた小さな蝋燭から出てきたらしい。

 蝋燭のある場所じゃないと出られないなんて、随分と使い勝手の悪い異能力だ。だが、異能空間の強力さを考えたら、これくらいの不利益デメリットなんて取るに足らない事だろう。


「疲れた。ボク先帰っていい~?」


 リンが外に出た瞬間、銃声が聞こえた。

 月明かりの下で、リンの足から鮮血が飛び散る。

 リンは痛みに悲鳴を上げて地面に膝をついた。


 此処に来てまで襲撃か? 『スネーク』は全滅させたはず。

 俺がリンの前に飛び出すと、マフィアの構成員が短機関銃サブマシンガンを構えて立っていた。

 おそらく首領ボスの指示だ。リンが此処に来ることを知っていたのだ。

 リンの携帯電話、GPSの発信信号が規定時間より長く途切れていたのだろう。リンは構成員の姿を見て、絶望したような笑いを零した。


「あは、あははははははは! 必要無いんだね! 首領ボスに、ボクは要らないんだ! だから君たち来たんだね!」


 一度ならず、二度までも。

 始末しに来たとなれば、リンも嫌でも理解する。しかも、二回目は異能力者ですらなく、数でリンを狙いに来た。——誰かはリンを仕留められるだろうなんて。

 リンは笑っていた。自分を繕うことも出来ない。


 俺が退却を命じても、構成員は「首領ボスの命令です」と引かなかった。俺の悪足搔きも空しく、構成員はリンに一斉射撃をした。

 俺はリンを庇おうと、手に重力を集めた。



 ——……結果から云うと、必要なかった。

 リンは弾丸の嵐を突き抜けて、構成員を一人残らず切り捨てていった。

 短刀ナイフをしかと握って、自分に傷がつくことも厭わず、しなやかな体躯と若さ故の速さを活かして、的確に喉を切り、動脈を切断する。

 同士討ちを覚悟で銃を向けた構成員に、冷たい眼差しを向け、短機関銃を撃ち込む。


 リンの動きは、生きる為ではない。死んでもいいなんて諦念ていねんと、自分が必要とされていない絶望だった。

 少しずつ、銃撃の音が消えていく。最後の一音が聞こえなくなった時、リンの荒い呼吸音だけが聞こえた。

 リンはすっかりボロボロだ。綺麗な顔も抉れてしまい、捲れた皮膚や肉の隙間から薄らと骨が見えている。


 リンは泣いていた。痛みに耐えられなかったわけではなかった。

 リンは血だらけの腕で、涙を拭った。


「やっぱり、僕は化け物なんだ。要らないんだ」


 リンはそう零して仰向けに倒れた。

 傷から血は流れ続け、止血しても傷が多すぎて間に合わない。

 リンは泣き続けている。

 生きる気力もないのか。もう、理由もないのか。


 俺は、彼にかける言葉なんて見つけられない。

 死ぬな、なんて言ったところで、リンに響かないことは分かっていた。


「……お前は、よくやったよ」


 俺はリンに云った。どうせ、リンは俺の言葉を聞く気は無い。それでいい。……それでいいから、云っておきたかった。


「お前は自分勝手で、云う事聞かねぇし、上司に敬意は払わねぇし、最悪な糞餓鬼だぜ。でも、マフィアに貢献した」




「俺は、お前を誇りに思う」




 俺だけは味方でいよう。

 首領ボスが必要としなかったとしても、マフィアに命を狙われても、俺だけは、此奴の側に居てやれる誰かであろう。

 リンは俺を鼻で笑うと思っていた。しかし、彼は目から大粒の涙を流して叫んだ。



「お前じゃない! お前じゃない! ボクが、その言葉をかけてほしいのは首領ボスだ! どうして、どうして中也がそんなこと言うんだよ! どうして、お前が、ボクの欲しい言葉を持ってるんだよ!」



 リンは子供のように泣きじゃくって、血を飛び散らせて足をばたつかせる。

 リンは「最悪だ」と悔しそうに何度も云う。




「ボクを愛してくれるのは首領ボスのはずだったんだ。それなのに、どうしてお前なんだよ。中也じゃない。どうしてくれるんだよぉ。悔しい、悔しいよぉ……本当、どうしてくれるんだ。——中也の言葉で満たされちゃったじゃん」




 俺はその時、ようやく気が付いた。

 此奴に必要だったのは、自分を認めてくれる大人の言葉だった。



 リンはひとしきり泣くと、ようやく息をついた。

 血も、もう少ししたら致死量に達する。リンはふらつきながら、何とか立ち上がると、俺に服の切れ端を渡した。

 冷たい指先から、焦げ付いた小さな破片を受け取る。


「お人形さんに渡して」


 リンはもう立てなくなっている。治療を受けさせたところで、死ぬのは確実だ。俺は、「いいのか」と尋ねる。

 リンは「もういいんだぁ……」と笑っていた。人形らしさはもう無い。ただの、少年の笑顔だった。


「ボクはもう、いいんだ」

「どうする気だ」

首領ボスには死んだって伝えて」


 リンは髪を手櫛で整えると、俺に背中を向けた。



「クリスマスケーキ、食べたいから。……バイバイ」



 リンが一歩踏み出すと、リンの姿が消えた。

 異能空間に逃げたのだろうか。異能空間なら、奪い取った異能力で助かる可能性がある。


「何だよ。クリスマスケーキ食べたいなんて」


 そんな理由で、マフィアを抜けるか?

 俺は思わず笑った。帽子を深く被って、俺は報告に向かう。

 ふと時計を見た。

 丁度、夜中の十二時。日付が変わった瞬間だった。



「……先に誕生日だろうが」



 今日は、リンの十六歳の誕生日だった。

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