第29話 抗ってみせるの

 異質だった。

 異能空間だからというだけではない。


 それは異世界であった。

 それは異次元であった。


 神域でもない。

 何処でもない。


 ごちゃごちゃと鳥居があるのに、蝋燭もあるのに。

 何もない。


 帰り道もない。

 逃げ道もない。


 ——ここから出られる未来も。


 一体どうしたら彼から逃げ切ることが出来るのだろう。


 ……足が重い。鉛のように重い。

 重力を操る異能力者が聞いて呆れる。

 こんなものより厄介な異能なんて、沢山見てきて、沢山戦ってきたのに。



 神父も、リンの異能生命体に絶句していた。

 俺と同じ気持ちだろう。でも、俺とは決定的な違いがある。



 神父は、リンの敵だ。



「タマバミ。あの異能力欲しい」


 リンが異能生命体に手を伸ばす。

 タマバミと呼ばれたそれは、リンにかしずき、神父の方に顔を向ける。

 布越しだが、にやりと笑ったのが分かった。


 神父は十字架を構え、タマバミに異能を使う。


「懺悔せよ」


 しかし、異能は何の意味もなさなかった。

 神父の炎は、タマバミを裁けない。


「……何故」

「あったり前じゃん! なんで分かんないかなぁ」


 リンはタマバミの手を取った。

 タマバミは、リンの手首から肘までの長さをすっぽり覆ってしまうように、彼を掴んだ。



「……これは、神様なんだよ」



 神を裁ける人なんていない。

 神を罰せる人なんていない。


 出来るとしたら、それは神さえ凌駕する力を持つ人間。

 ……もしくは、この異能力を《無効化》出来る人間だ。


 タマバミの爪が、神父の頭を潰そうと振り上げる。

 神父が寸での距離で避けるが、服の端が爪に引っかかり、叫び声のような音を立てて裂けた。


 俺も巻き込まれないように避けるが、外套コートの端が掠りそうになる。

 リンは気にする様子は無い。俺も巻き込んで善いと思っているのだろうか。


「……何だよ」


 タマバミは執拗に神父を狙っていて、リンも神父の行く末にばかり目を追っている。

 俺のことは、そもそも眼中に無いらしい。


 つまり——————どうでもいい。


 畜生。人身売買の組織の跡地から拾って、育てて、仕事も支援サポートしてるのに。それでいて興味ねぇってどういう事だ。


 俺はタマバミが攻撃するたびに飛び散る瓦礫を避けて、戦況を見守る。

 たまたま転がり避けたところで、リンの側に来ることが出来た。


 リンは人形のように笑っていた。

 楽しそうに見える。楽しそうに見えるだけだ。


 リンは笑ってない。

『正しい』演技をしている。そうあろうとしているだけだ。


 これが、『求められている自分』なのだ。

 これが、『そうあるべき自分』なのだ。



 そうでなければ、彼は心無き人形ハァトレス・ドォルだから。



 神父が苦戦する姿を、リンはただじっと見ている。

 俺も、一時的な安全に息をついた。


「ボクは、心の無い人形ハートレス・ドールかな。それとも……化け物かな」


 彼の零した問いに、俺は答えてやりたかった。

 答えようとしていた。——神父の十字架が、リンの方に向くまでは。



「悔い改めよ」

「——リン!」



 俺は咄嗟にリンを庇った。

 その瞬間、視界は炎で覆われる。


 ——痛い、痛い、痛い。

 腹の奥から焼かれているような痛み。

 熱いなんて言葉では足りない。これを熱いなんて言えない!


「中也!」


 リンの声も、炎にかき消されて聞こえない。

 たまらず背中を丸めた。筋肉という筋肉が収縮して、言う事を聞かない。


 神父の声が、途切れ途切れに聞こえた。


「我輩の異能力は『その者の罪の数だけ身を焼く』異能力だ。罪が重ければ重いだけ、苦しみは続く。実に、神聖な異能力であろう」


 神父の声が、リンに向けられているのだけ分かった。

 リンは、一体どんな表情をしているのだろう。


「そんなの、どうだっていい」


 背中に何かが落ちた気がする。

 その瞬間、あれほど消えなかった炎がするすると弱っていき、やがて針の穴ほどの火の粉も残さなかった。

 リンが手にしていたのは赤い蝋燭。彼が一体何をしたのか。


「……知らなかったでしょ。ボクが『直前に負った外傷のみ治癒出来る異能力』の異能力者を殺してたこと」


 リンも「ボクもすっかり忘れてたけどさぁ」なんて言った。

 リンは蝋燭を放り投げると、別の赤い蝋燭を手に取った。


 神父はリンの動きに注視して、後ろから迫っていたタマバミに気がつくのが遅れた。しかし、神父は咄嗟にタマバミの攻撃を避けて、リンに十字架を向ける。




「……えっ」




 俺が見たのは、神父の胸に短刀ナイフが刺さっている瞬間だった。

 隣にいたはずのリンが、神父の前に立っている。戦闘用短刀サバイバルナイフを逆手に、強く握って。


 おかしい。さっきまで、リンは此処に居た。

 神父は、タマバミの攻撃を避けて、リンに十字架を。


 ふと、俺は思い出した。

 リンが奪い取った異能力の中に、「どこで使えんだそんな異能」と思ったものがあった。



 リンは、《三秒前に戻った》のだ。



 瀕死の神父がタマバミの口に吸いこまれる。残念ながら、その瞬間は布に隠れて見えなかった。タマバミは、神父を飲み込むと黒い手の平から、赤い蝋燭を生み出した。

 リンはそれを、空いている蝋燭立てに差し込んだ。


 リンは俺の方を向いた。

 俺の方を向いて、悲しそうに笑った。

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