第28話 負けたくないから

 あらかた倒したその後で、俺はリンの方を見る。

 返り血を浴びてすっかり赤く染まったリンは、殺戮人形と表現されてもおかしくない容貌をしていた。

 しかし、リンは自分の汚れた服を掴んで、「最悪!」と声を荒げる。


「ボクのいっちばん可愛い洋服だったのにぃ~! これ汚したこと無いんだよ⁉ 落ちるわけないじゃんこんなの! ばっちぃ! 中也ぁ~、新しいの買ってぇ」

「買うわけねぇだろ。手前で買え」

「可愛いボクのために買ってあげようとかないの⁉ そんなんだから太宰さんに負けるんだよ!」

「今あの包帯野郎は関係ねぇだろ! あと俺は負けてねぇ‼」


 リンの調子はいつも通り。

 安心にも似た気持ちが、俺の胸を温めていた。

 しかし、『スネーク』を倒したはいいが、あまりにも呆気ない。

 連中は武装しただけの脳筋連中ではなかった筈だ。


 教会はすっかり血で染まっている。リンが派手に暴れたせいもあるが、四肢を切り落とされ、臓物を引きずり出され、死んでも筋肉のけいれんが続いている奴もいた。こんな力技で、二人とはいえポートマフィアを制圧しようと思っていないだろう。


 俺は違和感を覚えた。今までの経験から、まだ続きがある気がしていた。

 けれど、誰かが此処に現れる様子もない。もう、最後の呼吸さえ途絶えた。孤児院は守れた。……本当に?



 本当にこれで終わりだろうか。



 ——俺の予想は、外していなかった。


「リン!」


 俺は無意識にリンに手を伸ばした。

 リンは一瞬で炎に包まれた。血の海に燃え盛るあかがあまりにも綺麗で、見とれてしまいそうだ。リンは悲鳴を上げて、床に倒れ込む。


 俺は咄嗟に外套コートを脱いで、リンに被せる。

 しかし、炎が消える様子は無い。



「……罪とは何ぞ」



 教会の外から声がした。



「悪とは何ぞ」



 低くて暗い、声がした。



「それは誰が決めるものであろうか。神も、人も、誰も裁くこと能わず」



 男は教会にのっそりと入ってくると、十字架を掲げる。



「故に、我が贖罪の機会を与えん」



 男は、リンに十字架を向けた。




「懺悔せよ」




 リンを包む炎は更に燃え上がる。

 俺は十字架を持つ男に見覚えがあった。

スネーク』に唯一異能力者がいると聞いていた。

 組織を潰しに行った夜、リンが単独で済ませたあの仕事。部下の一人が燃えて死んでいた側に、居たのは十字架の男。


「お前、異能力者か」


 マフィアでは神父と呼んでいた異能力者が其処に居る。

 神父は「左様」と俺を横目に見た。


「彼の者の魂は穢れている。罪を雪がねば、天国に導かれることもない」


 俺は燃えるリンを、見ているしかなかった。

 リンは血の海でのたうち回り、消えない炎に悶え苦しんでいる。

 俺は異能力者に、後ろから蹴りを入れようとした。


「……汝、罪深き者よ」


 神父の十字架が、俺に向いた。

 俺の蹴りが早いか、神父の異能が早いか。



「ほんっとう、冗談やめてよね」



 辺りが一瞬で暗くなった。

 前も、後ろも、右も左も分からない。

 上も下も、何もかもが見えない暗闇に、俺と神父、リンが居た。

 リンは服の裾に残った火を払って、神父を睨んでいる。


「神に裁けないとか言っておいて、自分は裁けるって? あんた、神より偉いっての?」


 火傷を負ったリンが、苛立ったように吐き捨てた。

 笑っているのに、目が据わっている。リンは「可哀そうだね」なんて口にする。


「日本には八百万も神様がいるのに、外国の神様推してるんだ」


 神父は肩眉をぴくりと動かして、十字架を強く握りしめた。

 リンは不敵な笑みを浮かべて、神父をまっすぐ見据えていた。


「教えてあげる。悪を裁けるのは、ボクの神様だけだよ」


 リンはそう言って、異能を使った。

 俺さえ見たことのない、リンの異能の本髄。彼は、口にする。



「さあさあ、ご覧あれ。これより先は、神の領域」



 暗闇に光が灯る。それは、蝋燭の光だ。



「悪しきを喰らいて善きを導く、魂をむは蝋燭の主」



 乱雑に置かれた大小様々な鳥居の中で、これまた形状の違う蝋燭がゆらゆらと灯を揺らしている。




「平伏し給え。神の御成りである」




 リンがそう言うと、彼の後ろにそびえる一層大きな鳥居から、顔を布で隠した何かが現れた。

 黒い肌にじゃらじゃらとついた鈴。

 鋭い爪と布からちらりと見える牙のようなもの。

 それは神だった。

 それは凶神だった。

 誰もがそれに敵わないと悟る。

 誰もが気力も魂も奪われて、目の前にあるそれから逃げ出したくなる。

 俺はその時ようやく、リンの異能の本質を知った。



「異能力——『悪食神社』」



 彼の異能は、『異能空間でのみ奪い取った異能を行使出来る』ものにあらず。



『異能生命体が喰らった異能力者の異能を一つ、借り受けることが出来る』ことだ。



 昔、探偵社と共闘した記憶がある。

 とんでもない異能力者と敵対した。そいつと似たような異能力を持っていた。

 リンは自虐的に笑った。


「最初から分かってたら、僕は愛情なんかに執着しなかったのかな」


 リンは手を振り上げると、神父を睨みつけた。



「異能力の本髄を見たところで、ボクから逃げる方法は変わんないよっ! 今まではどこにあるか分からなかった蝋燭だけど、今度はどれか分からない。さぁ、死にたくなかったら、逃げ切ってみせて!」

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