第21話 思い出したくない

 どんな場所でも起こること。


 学校や、会社、牢獄でも、何処でも。


 閉鎖的な空間では、どうしてか優劣をつけて、優る者が劣る者を虐げる行動が起こる。閉鎖的は世界の身分制度ヒエラルキーなんて、その空間の外に出たら何の役にも立たず、自分が優れていると思っていた奴が軒並み叩き潰されていく。

 そんなことが長い歴史の中で幾度も繰り返されているのに、正されることなく続くのは、支配欲や加虐欲が程よく満たされて、一時の快楽に浸れるからだろう。



 ――された側の気持ちなんて、誰も想像出来やしない。



 だから誰も指摘しないし、リンのような人間も生まれる。



 ――……クソみたいな世界だ。


 ***


 孤児院に隣接した教会で、俺は有名な聖母を見上げる。

 綺麗なステンドグラスの教会は、床に移り込む光さえ神秘的だった。神々しい音楽さえ聞こえてきそうな教会の長椅子で、リンは俯いたまま顔を上げられない。


 ここに来て十数分経つが、リンは一言も発しない。

 無理に聞きたくないから黙っているが、こうも喋らないと聞き出すことも憚られる。彼にとっては苦痛の思い出を引き出そうとしているのだから当たり前だけれども。

 リンは大きく息を吐いて、ようやく話し始めた。


「孤児院は、あまり外には出られないから、子供も大人もストレスが溜まる。個人でするストレス発散にも限度があるから、用意されたのが《山羊》ってわけ。……《山羊》はエスケープゴートからきた言葉だよ」


 要はという事だ。リンと他に二人、標的にされた《山羊》がいたのか。

 リンは話を続ける。《山羊》には他の子どもと違って多くの制約が存在した。


「《食事は人間と同じものを食べてはいけない》—―《娯楽に興じるよりも労働に従事せよ》—―《誰よりも早く起きて誰よりも遅く寝よ》—―《人と同じ権利を欲するなかれ》—―《優先すべきは人間であり自分は土底の虫より劣ると知れ》」


 聞いていると阿呆に思うものがわんさか出てくる。

 俺が「莫迦な」と云っても、リンには「日常だよ」と当たり前のことだ。


「ボクたちは娯楽のある場所に近づいてはいけない。だから、院庭も図書室も、見張りなしに行っちゃいけないの」


 だから潜入した時も、さっきも、リンは避けていたのか。

 リンはようやく顔を上げるが、その表情はいつも以上に人形みが増していて気持ち悪かった。


「朝早く起きて、みんなの朝食の準備をしたら、ボクたちは野菜の切れ端とか、生肉の欠片を食べて飢えを凌ぐの。肉に当たって、一人死んじゃった」



 俺には解からない。リンが笑っている意味も、それを懐かしむ様子も。



「院の物品が壊れたり、経年劣化も《山羊》のせい。床に這いつくばって泣いて謝って、体罰を受けたら修理させられて。元通りにならない限り許してもらえなかったなぁ」



 何で笑ってるんだ。笑い事じゃねぇだろ。



「後は、そうだなぁ……先生たちの【ご奉仕】もしたよ。それで一人内臓が破れちゃって死んじゃった」



 リンはへらっと笑った。俺は、耐えられなかった。




「笑ってんじゃねぇ! 辛いことだったんだろうが!」




 リンはキョトンとして目を丸くしている。人形のような表情は崩れない。

 俺はそれが余計に腹が立った。許せなかった。

 どうして自分に降りかかった理不尽を「まっ、そういうもんだよねぇ」なんて流せるのか。どうして自分がされた仕打ちを笑って話せるのか。

 俺の憶測だ。勝手に語っちゃいけない。けれど、これは違う。俺の感がそう云っていた。


「何で怒ってんの? だって、ボクはそうしなくちゃ生きていけなかったんだもん」


 リンが震える声で言葉を紡ぐ。


「だって、少しでも生存率上げないと、生きられなかったんだもん」


 リンの声が、段々泣き声になってくる。


「人形みたいに心を殺せば、ほんのちょっと楽だったの。人形みたいに振舞えば、先生たちちょっとだけ優しかったの」


 リンの目から大粒の涙が零れ出した。留まることを知らないそれは、リンの膝に水たまりを作っていく。


「これがボクの生存戦略だったの! こうすれば皆優しくしてくれるから! そうしたら辛くなかったから! 人形として生きて何が悪いの!」



「いいじゃん! ボクだって生きたかったんだもん!」



 子供の癇癪みたいに喚くリンが、ようやく普通の子供に見えた。

 彼が繕っていたものが剥がれ落ちて、彼が必死に隠していたものが曝け出される。


 これがリンだ。これが本当のリンだ。


 俺はようやく《黒嶽凛》に触れた気がした。

 リンは「ホント最悪」と悪態をついて目を擦る。化粧が落ちるのも厭わず、彼は涙を止めるのに集中していた。

 俺はただ彼に帽子を被せる。見ないようにする配慮もあるが、俺に出来る励ましが、今はこれだけだった。


 リンは鼻を啜って帽子を返す。俺は「被ってろ」と云ったが、リンは俺の頭に返した。


「いらない。臭いもん」

「手前ホント殺してやる」


 ***


 リンは泣き止むと、化粧を直し始める。

 大きな目を強調するように、頬は赤く染まっているみたいに、口紅もみずみずしい果実を意識して。


 ――こうして見ると、リンの顔を作る過程も、孤児院時代の生存本能が活きていると実感する。完成形が本物の人形と見紛うくらいだ。こうすると『ウケが良い』と分かっているから、その顔が一番敵意を向けられないから。



 彼は



 必要なくなったら、どうなるのだろう。

 リンは身支度を終えると、長椅子から立ち上がる。懐かしむように教会を見回して、背伸びをした。


「あ~懐かしい。よく折檻する時、ここに連れてこられたなぁ」

「痛々しい思い出話続ける気か?」

「でも本当だよ。引きずって連れてこられて、聖母の下で木の板みたいな棒で叩かれるの。その後、《私は《山羊》の分際で人間様に迷惑をかけました》って、先生の気が済むまで言わされた」


 リンはふと思い出して、聖母の下の祭壇に手をかける。



「そういえば、隠し部屋があった気がするかも。先生、ここにこうやって、手を置いてた」



 リンがそう云って、祭壇の角を探ってみる。しかし、何も見つからない。押しても引いても、動く気配はない。

 俺も祭壇を押してみる。確かに僅かに動く感触が伝わってくる。……やや重いな。

 俺は祭壇を長椅子に平行になる様に蹴ってみた。祭壇は重い音を立てて勢いよく動き、その下に階段が現れた。


 俺はジトッとリンを見る。


「お前、地下室に関する記憶はないって」

「だって、折檻されたら基本的に気絶しちゃうんだもん。そのあとなんて覚えてないよ」

「そういう事かよ。はぁ……」


 俺は先に地下に降りる。

 暗くて寒い地下は、まるで孤独感を煮詰めたような胸糞の悪さがあった。

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