第15話 子供

 ボクがみすゞに頼まれたのは、昼食の仕込みだった。

 新品の厨房で、新しい器具が揃っているこの場所で、咖喱カレーの野菜の皮むきと切断を頼んで、みすゞは別の仕事に行ってしまった。


 こんなしょうもない仕事を、ボクにお願いしていくわけ?

 ボクの手は、野菜を切るためにあるんじゃないんだけど。

 あーあ、早く首領ボスの元に帰りたぁい。野菜なんかより、人を切ってる方が楽しいのになぁ。

 それに、ボクがここから凶器になりそうなものを持って出ていくとか、考えないのかなぁ。馬鹿だよねぇ。これだから平凡に生きる人ってのはきらーい。


 ボクはため息をついて、皮むき器を手に取った。今はこんなに便利なものがあるんだね。

 これなら皮が分厚くならないし、簡単に仕事が終わりそう。


(それに──……)


 ……──叩かれなくて良さそうだ。


 ***


 遠くにいるはずの子供たちの声が近く聞こえる。

 食事に騒げるなんて、平和な証拠だ。


 用意してもらった別室で、俺とリンは分けてもらった咖喱カレーをいただく。

 リンは不満そうに咖喱カレーの皿を眺めていた。

 とりあえず会話を、とメモリの件を話してみるが、リンの反応は薄い。

 目の前で手を振ってみるが、見えていないようだ。声を掛けても、返事は返ってこない。


「おい」


 何度も声を掛けて、ようやくリンは我に返った。


「ボーっとしてた。何?」


 俺はさっきまでしていた話を、もう一度リンに云った。

 リンは「いいんじゃない?」と頬杖をついた。

 彼に孤児院で気になることを尋ねてみるが、どうにも曖昧な返事ではぐらかされる。


「ボクあんまり出歩かない子だったしぃ」


 そんなこと云っているが、話したくないだけだろう。俺にも、云い難いことなのか。それとも、単に信用されていないだけなのだろうか。

 ふと、リンの咖喱カレーが減っていないことに気が付いた。そういえば、リンはまだ一口も食べていない。毒でも疑っているか? リンが手伝っているのだから、そんなことは無いはず。……俺も疑うべきだったか。


「食べないのか?」


 俺がそう尋ねると、リンは不思議そうに首を傾げた。



「ボクは食べちゃいけないんだけど……」



 ──手伝っておいて食べられないだぁ?

 そんな莫迦なことがあるか。

 リンの皿にもちゃんと盛られている。それを食べられないなんて、みすゞに何を云われたのやら。

 俺はリンの皿を指さして、「食べちゃいけないのか?」と聞いた。

 リンは「バカじゃないの?」と俺を小莫迦にした云い方をする。


「ボクの皿に食べ物が入ってるわけないでしょ。いつだって空っぽなんだからさ」


 リンは自分の皿を見て、ハッとした。口を押えて狼狽えたかと思うと、直ぐに立て直して「冗談だよぉ」と笑った。


「冷ましてたくらいいいでしょ。熱いの苦手なんだもんっ!」


 リンはようやく咖喱カレーを食べ始めた。

 もうじき食べ終わりそうな俺に追いつこうと、リンは詰め込む様に食べ進める。

 俺は水で喉を潤しながら、リンが食べ終わるのを待つ。

 自分と同等の量にまで減ったあたりで、俺も食べ終わるように調節した。


「ご馳走様! じゃ、早く探してよね! ボクを解放してちょうだい!」


 リンは食器を持って、部屋を飛び出していく。我儘な云い方をする割に、俺の食器も持っていくのだから、きっと染みついた行動なのだろう。

 此処に居ると、俺の知らないリンの姿が垣間見える。それが、今見ている姿とかなり異なるのだから、不思議な気持ちだ。


 リンが部屋を出て行った時に呟いた「そうだった」という言葉が、頭から離れない。


「どうだったっけな」


 俺が《羊の王》だった頃。子供たちを束ねて擂り鉢街を支配していた頃。

 ポートマフィアに入って、ヴェルレエヌと対峙した頃。


 俺はどうだったっけ。

 怪物とも、人間とも云えない様な姿で、自分の仲間たちを守ってきた。

 今も、その癖は残っているのだろうか。

 俺はどうだったっけ。

 ヴェルレエヌに兄を名乗られて、人工異能生命体だと告げられた時、自分の存在が揺らいだあの頃と変われているのだろうか。


 どっちでもいいなんて思って生きてきた。

 どうだって善かった。でも、あの経験が、俺をより強くしたのは確かだ。


 それでいて、側に居てくれた人たちのお陰で、俺は人の温かみを知った。

 仲が良い奴らも、裏切った奴も、よく分からなかった奴も、最初から嫌いな包帯野郎も。



(俺じゃ駄目なのか……?)



 見た目だけを変えずとも、誰かの望み通りにならずとも。側に居てやれる誰かに、俺がなることは出来ないのか。

 尾崎の姐さんみたいに慈しんでやれない。かといって、太宰のように冷徹に育てることも出来ない。中途半端になっているのはわかっている。けれど、リンが踏み込ませてくれない。


 電話が鳴った。広津からだ。

 電話に出ると、リンの調査が終わったとの連絡だった。


『彼は其処に居ますか?』

「いいや、いねぇが一緒に仕事してる」


 それを聞いた広津から、『では後ほど報告します』と云われて通話が切れる。

 俺はため息をついて席を立つ。広津が気を遣う時は、大体良い結果じゃなかった時だ。リンの今までの生活が、俺が思う以上だったら。

 受け止めてやれるのだろうか。それとも、受け入れ難いと思ってしまうのか。

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