第14話 仕事のために

 いつも通りの朝。冷蔵庫に入っていたもので、適当に朝食を済ませて身支度を整える。何か連絡は来ていないかと、携帯電話を見るが特に何も無い。

 無いならそれで善い。俺はリンに電話を掛けるが、彼は電話に出なかった。

 本気で仕事を降りる気だろうか。……させる気は無いが。


 俺は違う相手に電話を掛ける。数回ほど呼び出し音を聞いた後、電話の相手に俺は云った。


「リンのGPSを調べろ」


 二輪車バイクの鍵を持って、玄関を開けた。


 ***


 ──彼奴は、何で此処に居るんだ?


 送られてきたリンの位置情報、それはある美術展の会場だった。

『西洋美術の叡智』なんて気取った題目テーマのそれに、リンの興味を引くようなものがあると思えない。

 俺は切符チケットを買って、展示物を見てまわる。

 感嘆が零れる様な優美な絵画や彫刻が並ぶ。裏組織的に云えば、高値になりそうな物は一つも無いが、一般人には琴線に触れる様な作品と云えるだろう。


 息も聞こえないほど静かな会場を、俺は人を避けて歩いていく。

 ふと開けた空間に出た。そこにはこの美術展の目玉であろう大きな絵画が飾られている。子供たちを慈しむ、女性の絵画だ。所謂いわゆる『聖母像』といったものか。

 その絵画の前に、リンが座っていた。その隣には、例の異能力者の姿もある。二人で何か話をしているようだ。

 リンは人形じみた顔をしていない。人間臭くて、感情的な表情だ。


(そういう表情カオでいてくれよ)


 その方がよっぽどマシだ。

 等身大で、子供らしくて善いじゃねぇか。どうしてそんなに、人形に拘るんだよ。


 絵画よりも、目の前の二人の方がとても心に響く。



 表情のない女性と、人形を演じる青年。



 その二人の歪さを、聖母は慈しんでくれることも、優しく包んでくれることもない。受け入れられる人間が、今此処に居るだろうか。俺を含めたとて、一人も居ないだろう。

 壁に凭れて彼らを見守っていると、リンが俺に気付いた。

 話を切り上げて、リンは一度だけ女性の方を振り返る。リンは俺に近づいて、「行こ」と通り過ぎた。俺はリンの隣を歩く。


「友達か?」


 わざとそう尋ねた。リンは鼻で笑って俺を見上げる。

「馬鹿じゃないの?」と云う彼の笑顔は年相応で、どこか楽しそうだった。


「そんなわけないでしょ」


 ──そうでも無さそうだと云ったら、きっとへそを曲げるのだろうな。


 俺はリンを連れて会場を出る。

 晴天の下、一般人に馴染んだ彼の姿はよく似合っていた。

 短洋袴ショートパンツ高踵靴ヒールなんて、ちょっと浮いているが、道が違えばこんな未来もあったのでは……──?


(それこそ、そんなわけねぇよな)


 二輪車バイクの後ろで、リンは「早く」と俺を急かした。

 俺が二輪車バイクまたがると、リンは腕を回す。


 風が冷たかった。背中に感じるリンの温度が、消えてしまいそうなほどに。


 ***


 孤児院の振鈴チャイムを鳴らすと、みすゞが出迎えた。


「お待ちしておりました」


 そう云って俺たちを中に入れると、俺には院内の間取り図を渡す。流石に当時の間取り図は見つからなかったのか、手書きのそれは、どこに何があるかが事細かに書かれていた。


「私も、お二方が帰られた後、地下を探しましたが見つからず、ひとまず院の間取り図を用意いたしました」

「助かるぜ。じゃあ、早速探させてもらう」

「どうぞ。……嗚呼あぁ、そうですわ。子供たちが遊戯や勉強で部屋を使っている時は、邪魔をしたくありませんので立ち入らないようにご配慮を」

「おう、分かった」


 俺はリンをチラッと見る。リンは「早くしてよね」と口パクで釘を刺した。

 俺は間取り図をひらひらと振って、メモリの捜索に向かった。




 地下というからには、一階を重点的に探す必要がある。

 間取りを見る限り、門から見える位置に教会があり、それに接するように孤児院が併設されている。一階には厨房や家庭科室、理科室の他に図書室や自習室等の共有教室が集まっている。二階には子供達の居住域となっていた。孤児院の隣の別棟は一階が応接間や医療室、院長室となっていて、二階が院長の私室等、職員用の居住域となっていた。

 出入口は教会、子供の棟、職員の棟それぞれに設けられていて、裏口があるのは子供の棟のみ。


 俺は今居る子供の棟から探し始めた。

 考えられるのは、壁や床に隠し扉を造っている可能性だ。俺は歩きながら、柱や壁を叩いてみるが、空洞になっている場所は無い。間取りにも、特に違和感のある場所は無い。


「図書室行ってみるか」


 子供の棟、一階の角部屋に広く設置されている図書室。ここなら、隠し扉を造っていても違和感がないだろう。



 図書室は廃院する前からあったのだろう。本棚は古く、朽ちている個所も見受けられる。光がよく入る場所に造られたせいか、日焼けしている本が多くて、背表紙が色褪せている。

 机は埃を被っていて、使われている形跡がない。

 だが、新しい本が日陰の本棚に並んでいて、全く使っていないわけではないらしい。単に、手入れが行き届いていないだけの様だ。汚い部屋を、子供に使わせたくないみすゞの気遣いだった。

 俺は壁側の本棚を触って、扉がないか確認する。特に動きそうなものも、空気の流れも感じない。


 ふと鐘が鳴った壁の時計を見ると正午を示している。

 もう昼か。一度リンの様子を見に行こう。きっと顔を見た瞬間、文句が滝の様に溢れてくるだろう。……耳栓でも買っておけば良かっただろうか。

 ため息をついて、俺は図書室を出る。丁度歩いていたみすゞが居て、俺とぶつかりそうになる。俺が足を引いて衝突を避けると、みすゞは「失礼しました」と頭を下げた。


「悪かったな」

「いいえ、此方の不注意ですので。……あの、よろしければですが。お食事でもどうですか。丁度、子供たちの昼食の時間ですので」


 みすゞの提案に、俺は断ろうとした。しかし、彼女の遠く後ろでリンが台車で寸胴を運んでいる。みすゞは振り返って、リンの様子を見守っていた。


「彼も一緒ですよ」


 みすゞの真っ直ぐな瞳に、断れなくなった俺は彼女について食事の手伝いをした。

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