第16話 壊れた理由

 降り出した雨は、土臭さを伴って地面に落ちる。

 雨独特の何ともいえない匂いが鼻腔に留まり、虚しさとなって胸に広がる。

 夜ともなれば、その冷たさもあって一層人肌恋しくなる。


 俺は傘を差して路地裏に立っていた。

 携帯電話には、リンからの電子手紙メールが入っていて、首領ボスから直々に仕事をもらった自慢が綴られていた。

 その嬉しさに舞い上がって失態を晒さないで欲しいが、彼奴はきっとやり過ぎる方向に進む。それを片付ける奴の気にもなって欲しい。


「否、彼奴の異能があれば処分はしなくていいのか」


 リンの異能空間で完結する仕事なら、汚れることは少ない。その分、得られる情報も少ない。その厄介性を、首領ボスだけでなく、幹部全員が知っている。

 故に、首領ボスはリン単体での仕事を割り振ることはなかった。

 リンが単体で仕事をすると、その時の状況を知るのはリンだけだ。そして、彼が報告時に嘘をついていたとしたら、それを証明する方法が無い。

 だからこそ、誰かしらをリンと組ませるのだが、その誰もリンと組みたがらない。

 大体、俺が犠牲になる。


「まぁ、どうせ俺が上司だしなぁ」


 リンに適当に返信して、俺は待ち人の来訪を待つ。

 リンの文句と煽りの返信に、「早く行け」と返したところで、黒い車が俺の前に止まった。


「お待たせしました」


 車から広津が下りてきて、濡れるのも厭わず、車の扉を開けて待つ。

 俺が車に乗ると、広津は運転手に適当に横浜を走らせた。


 俺は広津が服の雨を拭うのを待つ。広津はささっと水を落とすと、分厚い封筒を俺に手渡した。


「以前頼まれた、リンの調査資料です」

「おう、悪いな」


 封筒を開けると、広津は簡単にリンの経歴を話す。


「ポートマフィア所属—―リン、本名『黒嶽くろたけ りん』十五歳。生まれた時から孤児院に預けられており、両親は不明。異能力の発現は、おそらく五歳になる頃からかと」

「大層な名字持ってんな。何で名乗らねぇんだよ」

「可愛くないからかと」

「……お前の口から可愛いって出てくんのか」


 広津は咳ばらいをすると、話を続けた。


「異能の発現が終えてから、リンの生活は変わったようです。元から大した食事は無かったようですが、彼に与えられるものは残飯とも云えない食材の切れ端。誰よりも早く起きて、誰よりも遅く起きる生活が続き、栄養失調もあり成長が止まりました」


 リンが身長低い理由や、年の割に幼い印象も理解出来た。

 でも、孤児院でそのような扱いを受けていて、どうして今の様な振る舞いをするのか。あんな、構って欲しい子供みたいな。


(ぞんざいな扱いされてたから、そんな風に振る舞うのか)


 調査資料には、リンが受けてきた暴力や冷遇が詳細に書かれている。その中には、目を逸らしたくなるようなことも記載されていた。俺はそれら全てに目を通して、目を伏せる。広津は「驚きましたよ」と、外を眺めて零した。


 リンは異能力を、自分が逃避する場所として使用していた。それが今や、敵の墓場として機能している。

 ある意味成功していると云えるだろう。異能空間に備わった機能も使えているし、彼自身の加虐性や冷徹さは、マフィアには貴重な才能だ。


 可愛い子ぶるのは、傷つけてくる大人を減らすため。

 誰であろうと殺すのは、自分を悪意から守るため。



 人形の様な見た目を維持するのは、首領ボスに褒められたからだ。



 今の彼を作っているのは、自分自身を守るための、鉄壁の要塞足らしめるための、強がりなのだ。リンが、自分を奮い立たせるための。

 自分に、大丈夫というための。


 俺はリンを憐れに思う。それでも、彼の身勝手な行動を許すことは出来ない。

 夕方、また異能力者が失踪した。今度は武器を獰猛な獣に変化させる異能力だ。リンを問い詰めると、へらへら笑って肯定した。


 俺が叱らないといけない。俺がリンを正さないといけない。


 でも、この資料を見て、リンの行動原理は俺では正せない。

 どうしたらいいのかも、リンをどう見たらいいのかも、俺には判らない。


 資料を封筒に戻して、俺はため息をついた。

 リンを受け止めるには、俺には荷が重いかもしれない。


 弱気なことを考えていれば、広津が資料を回収する。


「これはどうしましょう?」


 俺は「保管しとけ」と指示を出す。首領ボスが知りたくなったら、それを渡せばいい。



『それだけは絶対にやめて‼』



 ふと、リンの顔を思い出した。

 俺相手に必死になったことのないリンが、自分の過去を知られることを本気で嫌がった。怖がる子供の顔が、鮮明に蘇ってくる。


「あ~……やっぱ燃やしとけ。要らねぇ」

「よろしいのですか?」

「二度は云わねぇぞ」

「仰せのままに」


 こういう時、広津は聞き分けが良くて助かる。これが立原だったらやかましく問い詰めて来るだろう。

 俺は窓の外を眺めた。雨越しに過ぎる街灯が、星のように輝いていた。

 でも所詮まがい物だ。本物の星には程遠い。それでも、綺麗だと感じる。


(疲れてんのかな)


 首領ボスに執着するリンは、どうして急ごうとするのだろうか。

 褒めてもらいたいなんて、何時だって良いだろうに。そんなに焦る必要は無い。マフィアを抜けない限り、好機チャンスは無いわけじゃない。


「あぁ、そうか」


 リンは十五歳。

 もうじき十六歳の誕生日が来る。


 リンの線引きは十六歳なのだ。

 それもそうか。普通だったら、義務教育の期間だから。

 それが、終わってしまうのだから。

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