第9話 いざ、潜入!

 新月の夜は一層暗い。普段なら見えるものも闇に覆われて、手を伸ばした先さえ闇の中に隠れてしまう。うっかりしようものなら、手を引っ込めた時に手首から先がないなんてことも有り得そうだ。

 街灯がなければ、大通りすら無法地帯になり得るような横浜の街で、我が物顔で歩ける者がいるとしたら、それはポートマフィアだけだ。


 俺は孤児院の傍まで来ると、リンに連絡を入れる。短い電報チャットもリンはすぐに既読をつける。しかし、姿を見せることはない。

 家にでも籠っているのか? 鬼電でもして連れ出してやろうか。

 そんなことを考えていると、後ろから「ばぁっ」と声がして、俺の目を隠す奴が居た。

 振り向きざまに高く蹴りを入れるが、当たった感触はない。見ると、少し離れた位置にリンが両手を挙げて立っていた。

 驚いたような表情から、頬を膨らませて俺に詰め寄る。


「ちょおっと~! ボクの可愛い顔に傷がついたらどうするつもりだったんだよ~!」

「知るか。唾でもつけとけ」

「新月っていいよね。血が目立たないし死体も見つかりにくい」

「おーおー、俺を殺すってんなら受けて立つぞ。その人形みたいな顔から潰してやるからな」


 ふと、リンの格好を見た。

 昼に見た中華服のような動きづらそうな服から一転、短洋袴ショートパンツ頭巾服パーカー長靴ブーツを履いていて、かなり動きやすそうだ。それに、黒に統一しているからとても目立ちにくい。顔も、人形のような顔に変わりないが、昼の時のような可愛らしさはない。整った顔立ちは大人の雰囲気が混ざっていて、正しく『青年』といった風貌だ。


「いつもの化粧はしてねぇのか」

「意外、化粧に気づくんだ。……中也しかいないんだもん。そりゃ要らないよねぇ」

「もうちっと繕えよ」

「中也はどうでもいいんだもん」

「はっ、そりゃ光栄だな」


 皮肉を返して、俺たちは孤児院に進む。

 リンは頭巾フードを被って、顔を隠した。震えた唇が見えたことは、云わないでおこう。



 孤児院の塀は俺の身長より高い。そう表現すると、どこかの青鯖が「そんなこと云ったらこの世の全部中也より大きいよ」と云ってきそうだ。この場にいないのに、無性に苛々する。

 俺は自分の重力を操作し、体重を軽くすると、トン、と地面を軽く蹴って塀を飛び越える。ゆっくり着地して、塀の向こうのリンを見た。

 リンはむすっとして塀に手をかける。


「ボクも重力操作で軽くしてくれても良かったんじゃない?」

「今やろうと思ってたんだよ」

「遅いんだよボケ」


 悪態をつくが、リンは身軽に塀を上ると、その頂上から飛び降り、猫の様に降り立った。

 リンは孤児院の裏側まで走り、建物に沿って進む。俺はその後ろについて行く。途中、リンが急に腕を掴んで、俺の頭を地面に押し付けた。


「何すんだこのっ……!」

「ちょっと黙っててくんない?」


 リンが見上げる先の窓、そこから漏れる橙色の光が、揺らめきながらこちらに近づいてきていた。俺は息を潜めて、その光が通り過ぎるのを待つ。リンは光が近づくにつれて、震えが酷くなっていった。息も徐々に荒くなってくる。呼吸が不規則になり、油汗もかいている。体調が優れないのは、顔を見ずとも分かった。

 光がリンの頭上にまで来る。リンの喉から、笛のような音が鳴ったと同時に、俺は彼の手を押しのけて起き上がり、リンを胸に閉じ込めた。

 リンに光が当たらないように、外套コートで覆いかぶさって。

 リンは呼吸が乱れて、自力で整えられそうにない。しかし、光はまだ通り過ぎていない。俺はリンの耳元で囁く。


「俺に合わせて呼吸しろ」


 リンは俺を押し退けようとするが、力も入らない腕ではびくともしない。俺は彼の抵抗を無視して、呼吸の拍子タイミングを指示する。


「吸って…………そう、吐いて…………その調子だ。吸って……吐いて」


 俺の指示に合わせて、リンは必死に呼吸をする。

 光が過ぎて少しした頃、リンもようやく落ち着いた。顔色の悪さは相変わらずだが、動けないほどではない。震えも落ち着いてきた頃、リンはおもむろに立ち上がる。


「大丈夫か?」


 俺が尋ねても、リンは何も言わない。顔を服の袖で乱暴に拭って、「最悪…」と呟いた。俺は黙って、リンの後ろをついて行く。

 裏口に辿り着くと、リンは扉を開けようと試みる。鍵が掛かっていて、簡単には開かない。リンは扉を引けるだけ引いて、扉の下の辺りを軽く叩く。場所を確かめるように左右に手を動かしながら叩くと、金属が落ちるような音がした。それを聞くと、リンは扉を閉めて、強く一回叩いた。

 すると、扉は鍵なんてかかっていなかったかのように開く。


「建付け悪いまんまだ。金もらっといて直してないのかよ」


 リンは音を立てずに建物に侵入する。流石、古巣というだけあって、誰にも遭遇せずに中を進んでいけた。しかし、リンの進み方は、調理室や図書室、勉強室等、子供の居住区ばかり進んでいく。

 それ以外の場所に行こうとすると、リンは決まって、足の向きを変えた。

 本当に地下室を探しているのだろうか。その割に、同じ場所だけをぐるぐると回っている。これで探せるのだろうか。


「おい! こっちの棟に行くぞ!」


 俺がそう云って、リンの腕を掴むと、リンは顔を真っ青にして「ダメ‼」と叫ぶ。慌ててリンの口を塞ぐが、リンは強い力で俺の手を振り払った。


「ダメだよ! 何言ってんの⁉ 《山羊》はそっち立ち入り禁止だよ!」

「は? ……《山羊》?」


 リンの云った意味が分からず、俺が聞き返すと、リンはさらに青い顔で口を塞いだ。

 俺が意味を問おうとした時だ。




「お兄ちゃん達、だぁれ?」




 振り返ると、兎のぬいぐるみを持った少女が立ってた。トイレに起きたのだろうか。まだぼんやりとしていて、眠りかかっている。

 リンは少女に近づくと、野戦用刃アーミーナイフを背中に隠す。俺が「おい」と云うと、リンは「うるさいなぁ」と焦った様子を見せた。


「どうせ見られたら困るんだから、いつ死んでも一緒でしょ」


 そう言って、リンは作り物の笑顔を作って少女に近づいた。いつもの、人形のような笑顔が無機質な恐怖を纏っている。


「君の良き友達さ」


 リンはそう言って、少女の首をかき切った。横一閃、無駄のない動きに少女は何が起きたか分からないだろう。けれど、切り裂いたはずの首は繋がっている。

 少女はきょとんとしていて、状況が読めていない。そうだろう。俺達も分かっていないのだから。


「な……んで」


 リンがそう呟いた。

 確かに切った。俺も見ていた。それなのに、少女に傷一つついていない。これは、異能力……──




「そこに居るのは何方どなた⁉」




 遠くから橙色の光が見えた。

 リンはその光に目を見開く。


「ぼ、ボクは……」


 光が近づくたびに、リンの目の前は何かの記憶で埋め尽くされる。リンが動けなくなる前に、俺は彼を抱えて孤児院を脱出した。




 孤児院が遠くなる頃、気が付いたらリンは気を失っていた。

 リンを背中に背負い直し、俺は帰路に就く。リンは呻いたかと思うと、何か呟いていた。耳を澄ませると、昔の夢でも見ているようだった。



「ボクは、ボクは……何も、していません。……──信じて、お願い」



 胸が痛くなる。幼い時分にどんな生活をしてきたのか。

 俺は帽子を被り直して舌打ちをする。それしか出来ることがないのだ。

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