第8話 事情聴取は喫茶店で

『ボクが暮らしてた孤児院で、ボクを裏組織に売ったクソみたいな所だよ』


 リンは確かにそう云った。

 俺が此奴を見つけたのは、廃屋の様な組織の拠点で、誰もいない部屋の中だ。

 リンは過去を話したがらない。聞いてもそれとなく流して、のらりくらりとかわしていた。

 云いたくないのだと思って、俺は無理に聞こうとしなかった。《羊》にいた頃だって、訳ありの子供は腐るほどいた。きっと、その頃の暗黙の了解が、リンにだけは働いたのかもしれない。


 孤児院から離れ、少し距離のある喫茶店で俺とリンは小休止していた。

 リンは小洒落た洋菓子ケーキを頬張り、俺は珈琲コーヒーの香りを楽しむ。だが、頭の中は、別の事で埋め尽くされていた。

 リンに孤児院の事を尋ねようとしても、リンは「覚えてない」とか、「こうだったかも、いいや、ああだったかな」と、曖昧な返事を繰り返す。


「どんなことをしてたんだ?」

「何してたっけ? もう昔の事だから忘れちゃった~」


「生活態度は善かったのか?」

「え~? 今のボク見てそう思えるのぉ?」


「じゃあ悪かったのか?」

「ひどぉい! ボクが不良みたいじゃん!」


何時いつから住んでたんだ?」

「さぁ? いつからだと思う?」


 普段であれば「そうかよ」と、話を切り上げるところだが、今日はそうもいかない。


「そんなに言うなら、お前の事調べてもいいか? 場合によっては、首領ボスに報告する必要があるけどな」

「それは絶対にやめて!」


 リンは急に顔が強張った。今まで以上に切羽詰まった様子に、俺も流石に目を丸くする。

 彼の震える手を見ただけで、どんな生活をしてきたのかは想像がつく。俺の知ってる子供たちが、そうだったように。けれど、こればっかりは彼に直接云わせなければ。そうしなくてはいけないのだ。


「云える範囲でいい。ちゃんと教えろ」

「……言いたくない」

「聞いてたか? 云える範囲つったろ」

「聞いてたよ! それでも言いたくないって言ってんの」

「好きなだけ意地張ってろ。だがなぁ、俺は何時までも待てるぞ」


 リンは困ったように視線を外す。その後の言葉には続かない。俺は宣言通り、珈琲を飲みきるまで待った。二杯目の注文も済ませ、温かい珈琲が手元に届く。湯気を鼻先に感じながら、リンの話を待つ。

 リンも、沈黙で回避できないと悟ると、洋菓子の端を食器で突いた。


「よくある、規律が厳しい生活だよ。朝五時に起きて、布団を片付けて、顔を洗って、朝の体操をしてって感じ」

「それだけか?」

「それだけだよ。ボクの時は、異能力者に冷たい所だったけど」

「冷遇でもされてたか?」

「大したことじゃない。ちょっとご飯が少なかったり、いじめられやすかったり」

「本当にその程度か?」

「言える範囲でって言ったの、中也だよね」


 リンは、また視線を逸らし、それ以上は教えてくれなかった。

 これ以上は無理か。迂闊に踏み込むと、仕事にも支障が出そうだ。

 俺はリンに、別の事を質問する。


「孤児院の内部には詳しいか?」


 リンは「ちょっとだけ」と云う。それ以外はない。

 一寸ちょっとだけ? 住んでいたのに?

 疑問はあるが、深くは聞かなかった。あれだけ大きい建物だ。職員の居住域もあったのだろう。

 リンは呼吸を整えて、仕事の話をする。


「『スネーク』の残党は、建物の地下に隠したって言ってた。でも、ボクあの孤児院に居て一回も地下室に繋がる通路なんて見たことないよ」

「いつ隠したか聞いたか?」

「だいぶ古いって言ってた。15年前って。ボクが生まれた頃だな~って聞いてたから」

「15年前って、お前孤児院に居たか?」

「…………ん」

「出入りする男は見たか?」

「お世話になったとかで、会いに来る人が時々。その中に紛れてた可能性があるよねぇ」

「だな」


 リンが食べ終わるのに合わせて、俺も珈琲を飲み干した。

 問題は、どうやって侵入するか、そしてどうやって地下室を見つけるか。この二つだ。

 内部を知っているリンを頼るのが一番だが、リンが嫌がりそうだ。リンは俺をチラッと見ると、服の袖をいじって目を伏せる。

 それだけ見ると、大人はこぞってリンの気を引こうと何か買い与えようかとか、何処かへ連れて行こうかと云うだろう。それくらい、彼の仕草も、表情も完璧なのだ。精巧な人形の様で、気持ち悪い。

 大きな瞳は、俺をじっと見つめている。


「侵入するなら、夜にしよう。見回りの先生以外は皆寝てるし、夜はボクらの領分だし」

「お前がそう云うんならそうしようぜ」

「…………ぅん」


 小さい声は、孤児院に行きたくないと云っている。

 足早にこの場を去るリンを、俺は引き止められなかった。

 喫茶店を去ったリンが何処に行ったかは、知らなくてもいいだろう。夜に電話でもしてやればいい。それまでは、気持ちの整理をさせてやろう。


 俺は伝票をもって、会計に向かう。ついでに、ある人に電話を掛けた。

 その人は三回目の呼び出し音で電話に出た。


「おう、俺だ。一寸善いか?」


 低くて落ち着いた大人な声は、俺に敬意を払っている。


『何か御用ですか?』

「調べてほしい奴が居るんだが、内密に頼みたい」

『勿論です。で、対象は?』

「……リンだ」


 電話の向こうで、男は驚いてた。


『彼は、貴方の部下でしょう。裏切りの素振りでも?』

いや、大したことじゃねぇよ。ただ、過去をな」

かしこまりました。直ぐに取り掛かります』

「あぁ、頼むぜ。広津さん」


 電話を切って店を出ると、矢張りリンは何処にもいない。

 今まで一緒に居たのが夢幻ゆめまぼろしのようで、不確かな記憶に感じる。

 俺は息をついた。領収書レシートにあるリンの食べた洋菓子しか、今、彼を知るものがない。

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