第7話 リンの裏事情

 リンが先導する後ろで、俺は少し考えていた。

 大したことではないが、靴の中に入った石のように気になるのだ。


 リンが欲しいといった異能力は『暗闇でのみ幽体化する』能力だ。確かに、リンの真っ暗な異能空間との相性は良いだろう。幽体化は、敵の攻撃無効というとてつもなく大きな利益メリットを得る。しかしそれは、自らの攻撃行動も制限される不利益デメリットも得るということで。

 その状態で、自分が最強に? 一体どういう思考でそうなるのやら。


矢張やっぱり、餓鬼ガキ餓鬼ガキだな)


 俺が帽子を被り直そうとすると、リンが帽子をひょいと奪った。


「なぁんか、考え事してるなぁって思って放っておいたけど、勘が当たったみたい。失礼なこと考えてたでしょ」

「お前に失礼もへったくれもあるか」

「やっぱりボクの事考えてたんだぁ! えっちぃ~!」

首領ボスにお前が任務中に殉職って報告していいか」


 俺が手の平に重力を集めると、リンが馬鹿にしたように笑う。

 彼の手には、携帯電話が握られていて、それを俺の手に向けた。


「このスマホには、首領ボスに定期的にGPS信号が送られてるんだ。座敷牢に入らない代わりに、常に居場所を教えてる。決められた範囲外に出ないように、ボクの現在地の他に、通ってきた道や立ち寄った商業施設の名称も分かるようになってるんだ。仕事中の負傷や事故とか、何らかの出来事でボクのスマホの信号が途絶えたら、首領ボスの部下がボクを回収しに来る」


 それが何だというのか。しかし、なんとなく嫌な予感がして、異能を解除する。リンは携帯電話を操作して、鳴り出した警報音アラームを素早く解除した。

 携帯電話の電波が乱れたのだろう。それが異常事態と認識されたか。


 それを解除するリンの手際の良さは、数秒とかからなかった。今まで何度も繰り返しているらしい。その後も、リンは携帯電話を操作する。すると、携帯電話の電源を切った。

 居場所を伝達する必要があるのに、電源を落としていいのか。

 俺の怪訝な表情に気づいたリンは、携帯電話を服の中にしまう。


「一日三回、任意で居場所の通知をしなくていいんだ。合計二時間まで。どうせ、聞きたいことがあるんでしょ。ボクのスマホ、位置情報を送ってるだけなんて言って、盗聴されてる可能性もあるしねぇ」


 リンはそう云って、目的地まで歩き始める。厚底靴の音が、すれ違う女性の靴の音より大きく聞こえた。俺は彼の云う事に甘えて、幾つか質問をした。


「『幽体化する異能力』で手前の異能力がどう強化されるって云うんだ」

「そうだよねぇ。透明化するなんて、最強の防御にこそなれど、攻撃なんて微塵も効果がない。そんなので、どうやって敵を倒すのかなんて気になっちゃうよねぇ」

「早く喋ろや。時間使い切るぞ」

「優しいんだかどうなんだか……えぇと、自他ともに攻撃無効化されるんじゃ、何の意味もない異能力だけど、でもそれは一対一の場合でしょ?」


 ──ほど

 リンは対個人戦の異能力ではなく、対軍隊戦の異能力にしようというのか。

 武器を持った一部隊をまとめて討ち取るには、同数の部隊を派遣するか、それと同等の力を行使する必要がある。

 どちらが必要になるかは、状況によって変わるが、どちらも用意しておけるのが理想だ。



 けれど、狭い空間に閉じ込めて、同士討ちを始めたら?



 そのどちらも必要無い。勝手に死んでくれるのだから。

 リンの目的は、自分を囮に敵を殲滅せんめつすることだ。それなら、例の異能力を欲しがる理由も分かる。


 それともう一つ、聞きたいことがあった。


首領ボスに監視されてるのは?」

「言ったじゃん。座敷牢に隔離されないために、位置情報を教えてるの」

「そうじゃねぇ。座敷牢に隔離する話も、位置情報の話も、俺には一切してくれねぇ」

「信頼されてないんじゃな~い?」

「阿保抜かせ。お前を拾ったのも、育てたのも、俺だってのに聞いてねぇって云ってんだ」

「それが、信頼されてないって言ってんの。はぁ、まぁ、いっか。首領ボスが言ってた。ボクは危険だって。マフィアとしてはかなり有能だけど、それを行使するのは有事の時だけでいいって。でも、あんな暗くてジメジメしてて汚い所にずっと居なくちゃいけないなんてヤダ! だから、首領ボスの制約を守るならこうして活動していいって、お許しもらってるの」

「……その監視役が、俺?」

「拾ってきたのが中也だもんねぇ」


 首領ボスの判断が間違っていたことはない。だが、今だけは「最悪だ」と云わせてくれ。それくらいは許してほしい。

 でも、首領ボスがそう云うということは、リンの異能力が、彼自身が思っている以上のものの可能性が高い。俺自身も、リンの異能力を聞いたとき、「それだけか?」と思っていた。部下の直感が働くようなことを、首領ボスが把握していないはずがない。

 首領ボスは何を知っているんだ? どうして情報を共有してくださらないのか。


(どうして……)


 信用が無いなんてことはない。が、教えてくれていたら、もっと、何か。


(──まぁ、今必要じゃねぇって事だよな)


 俺はリンから帽子を取り返し、深く被り直した。リンは携帯電話の電源を入れると、花屋の角を曲がる。


「もういいの?」

「また必要になったら電源切れよ」

「はぁ? お前のために貴重な三回を使えって言うの?」

「そうだ。これは上司命令だからな」

「絶対に嫌‼」


 いつ通りの会話をしつつ、リンは目的地を見つける。

 そこを見つけるなり、リンはくるりと向きを変える。元来た道を戻ろうとする彼を止めると、陶器のような肌をさらに真っ白にして震えていた。


「おい、大丈夫か」

「……ボク、この仕事降りる」

「はぁ?」


 急にやる気を失くしたのか、腑抜けたことを云い出した。俺はリンの腕を掴んだまま、リンの見ていた場所を角から覗いてみる。

 屋根に十字架を乗せた、教会だ。赤い煉瓦れんがの頑丈な造りでかなり大きさがある。修道院として使われていたのだろうか。──いいや、門の辺りに孤児院の文字を見つけた。


 たかが孤児院にやる気を失くすもんか?


「何ぼんやりしてんだ。さっさと行くぞ」

「ちゅ、中也一人で行ってよ。ボク行かない、行きたくない!」


 リンは俺の手を振り払って、その場から動こうとしない。リンが駄々を捏ねることは何度かあったが、その大体は「ご飯買って」とか「ハンカチ可愛い。買って」とか、「新しいバッグ欲しい。買って」とか……全部「買って」だったな。


 こんな我儘わがままは初めてだ。それに、余程嫌がって。


「そんなに嫌か?」


 そう問えば、リンは肩を震わせて唇を噛む。震えた声で「嫌ってわけじゃ」と、強がって見せる。その割には、顔色が悪いから、子供の虚勢より弱そうだ。

 けれど、「じゃあ止めようか」なんて云ってやれるわけではない。学校ではないのだ。マフィアにそれは通用しない。


「いいから行くぞ」

「絶対にヤダァ! 、行くところじゃない!」

? 行ったことがあるんだな?」

「……っ!」


 言葉の綻びを突いてみると、リンはさらに唇を噛む。

 俺はあえて突っ込まずに、待った。リンが何を云うのか、じっと待った。

 リンは都合の良さそうな言い訳を必死に考えていた。何度か口にしようとしては、噤んでを繰り返す。

 三分ほどまごまごと口を動かして、ようやく腹を決めたらしい。

 大きく深呼吸をして、リンは云った。


「住所知らなかったから、わかんなかったけど、あれはボクが暮らしてた孤児院で」



「ボクを裏組織に売ったクソみたいな所だよ」


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