第4話 其れの在り処は

 ────闇は何時いつもボクの隣にいる。


 離れることの無いそれは、いつだってボクの腕を掴んでいる。


 それはそれは、大きな手で。

 ボクの手首から肘までの辺りを。


 痛いくらいに握っていて、ボクが嫌がったって、振り払ったって、闇は離してくれない。


 ボクが寂しくなったり、不安になったりすると、面白がって怖がらせようとしてくるんだ。


 ……やめてよ。ボクだって怖いのに。どうしてそれを楽しむの。どうしてボクを飲み込もうとしてくるの。


 ……酷いよ。酷いなぁ。ボクだって、辛いって思うのに。



「ボクは、何も感じないお人形じゃないのに」



 ぽつりと呟いた。でも、こぼれる涙は無い。表情は、ちゃんと動いてるよね?


 ──……あぁ、また。吹雪のように寒い闇が来る。


 ***


 郊外にある、古びた家屋。かつてある組織の拠点として使われていた、廃屋だった。

 重力でねじ曲がった扉が床に落ちていて、戸締りの『と』の字も無い。防犯性セキュリティの意味も忘れたようなその家屋に、リンは軽やかな足取りで入っていく。

 それなりに部屋数も多く、慣れていないと迷ってしまいそうな廊下も、道を知っているかのように真っ直ぐ進む。


 一番奥の部屋に着くと、リンはにっこりと、人形のように完璧な笑顔を浮かべる。

 壊れた扉の向こうには、椅子に縛りつけられた男が座っていた。



 血が飛び散った跡で汚れた部屋は、酷い臭いを放っていて、椅子の周りには臭いのせいで撒き散らした吐瀉物としゃぶつで、さらに酷い臭いとなっていた。

 リンは顔をしかめ、鼻を摘んで「くっさ~い」と文句をこぼす。


「部屋汚すなんて最っ悪だね。ってか、また吐いたの? そういうのだけは本っ当に得意だよねぇ、おじさん」


 鈴のようにコロコロとした声で、リンは椅子の男をけなした。男は具合悪そうな顔色だが、リンに物怖じする様子は無い。


 男は『スネーク』の生き残った構成員だ。腐っても闇社会の人間の意地がある。リンよりも経歴が長く、この手の脅しにも慣れているようだ。


 リンはそれが面白くなかった。リンはつまらなさそうに、傍らの机に手を伸ばす。

 机の上にはペンチや金槌、釘やのこぎりなど日曜大工に使われそうな物が並べてあった。しかし、道具の錆び具合から、本来の使い方はされていないらしい。


 リンはノコギリを手に取った。

 錆びて切れ味の悪そうな刃をじっと見つめ、独り言のように話す。


「マフィアのね、地下には拷問をするための部屋があるんだ。でもね、そこを使えるのは、首領ボスや幹部の指示があった時だけなんだよねぇ。ボクが使いたくても、許可がないと使えないから、不便なんだぁ」


 リンは鋸を振り回すと、刃先を男に向ける。男はピクリともしない。


「でもね、ボク専用の拷問室があれば、いちいち許可を取らなくたって、お仕事出来るよねぇって、気づいちゃってさ。それに、『殺しちゃ駄目!』って、誰にも言われないしぃ?」


 男は察した。そして絶望した。

 ここは、リンの拷問室だ。そして、捕まった者達の処刑場なのだ。

 洗っても落ちない血痕は、ここで朽ち果てた同志達の悲鳴と嗚咽の証なのだ。


 リンは男の太ももに鋸の刃を当てる。


「教えてくれる? 君たちが持ってるUSBメモリ、何処にあるのかなぁ?」


 男は口をきつく結んだ。いいや、筋肉が強ばって、開けなかったのだ。

 リンは「ねぇねぇ」と、男を急かす。男は奥歯を噛み締めて、冷や汗を垂らす。


 話しても、話さなくても死ぬ。その恐怖が、その諦念が、男の心をむしばんでいた。


「……遅くなぁい?」


 リンの声が低くなる。

 声変わりした男の声で、リンは冷たく言い放った。

 男は肩を震わせる。


 どうせ死ぬなら、言わずに死のう。それが、組織にとって最善だ。

 そう決意して、男はリンを睨みつけた。

 しかし、リンはそんな男を冷たく見下ろす。



「……んだよ。その目は」



 リンは鋸を強く押し当てた。

 服越しに食い込む刃に、男はさらに歯を食いしばる。

 リンはくすっと笑って、鋸を引いた。


「後悔しても、知らねぇから」


 ***


「──……俺が、知ってるのは、これだけだ」


 男の吐露とろが終わる。枯れた声で紡がれるそれを、リンは子供のような笑顔で、話を書き取っていく。


「嘘はついてないよね?」

「……あぁ、もちろん」

「そっかぁ。ありがと、おじさん!」


 リンはメモを服のポケットに入れると、部屋を去ろうとする。男が声を振り絞った。


「頼む、殺してくれ」


 リンは男を振り向いた。

 男の四肢はもう無い。切断面は、失血死しないように焦げるまで焼かれていた。

 目も、鼻も、耳だって無い。削がれたそれらは、リンが刻んで男に食べさせた。その欠片が、口の中にまだ残っていた。

 折れたり割れたりした歯で、血だらけの口で、男はリンに慈悲を乞う。

 そこには大人としての、闇社会の人間としての矜恃プライドは無い。

 あと数時間の命。あともう少しまでの痛みや苦しみから、逃れたいと願う、愚かで弱い生き物の姿だった。


 リンは「そうだねぇ」と、顎に手を当てる。聞きたいことは聞いた。知りたい情報も全部ポケットにある。

 男は十分に貢献した。それに報いでも良いのかもしれない。


「仕方ないなぁ。殺してあげる」


 リンは袖に手を入れて、男に近づいた。

 男は、リンが願いを聞き入れてくれたと安堵する。

 リンは微笑む。それは無邪気で、可愛らしくて……──



「とっても苦しむようにね」



 ──……無慈悲に。


 リンは男の右胸にナイフを突き刺す。

 男は痛みに呻くが、ナイフを引き抜かれたその感覚に、底無しの絶望に突き落とされる。


「肺に穴を開けてあげた。これで死ねるよ。良かったねぇ!」


 リンは笑いながら部屋を出ていった。

 男は何かを叫んでいた。けれど、吸っても吸っても空気が抜ける。

 苦しみ悶えても、死ぬのはまだ先。

 男は目の無い顔で泣き叫んだ。

 それももうじき、聞こえなくなる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る