第2話 重要任務命令

 何時いつもなら、八時に起きるのに。今日は珍しく十時まで寝てしまった。

 食事だって、ちゃんと食べようとは思った。けれど、妙に体が重くて面倒くさい。


 俺は寝ぼけたまま、冷蔵庫を漁って、適当に野菜を出して、食パンに挟んだ。

 それを食べながら、眠気覚ましの珈琲コーヒーの準備をする。

 珈琲を淹れると、太宰に揶揄からかわれたことを思い出す。何だったか、あぁそうだ。「中也はお子ちゃまだから、珈琲なんて飲めないよね~」だ。


「あぁ、嫌な事思い出したぜ。クソッタレが」


 朝から最悪な気分で珈琲を淹れる。

 当時はまだ十六歳だったし、苦味になれていなかっただけだ。すぐ飲めるようになったんだから、あれは飲めないと信じていた太宰の負け。

 そんな言い訳じみた事を言い聞かせて、半分食べたサンドウィッチを口に咥えたまま、マグカップを持って食卓テーブルに向かう。


 今日はあまり仕事を入れていない。十三時に本部ビルに行って、そのあとはいつも通り。気分が優れないのが難点だが、たまにはこんな日があっても善いだろう。


 そう思っていると、携帯電話が鳴った。

 食卓テーブルの上で震えて動くそれを手に取り、サンドウィッチを口から離す。

 電話の相手首領ボス──森鴎外だった。

 俺は通話ボタンを押して、背筋を伸ばす。


「はい、中原です」


 電話の向こうから、柔らかい声が響いてくる。


『あぁ中也くん。今、大丈夫かね?』


 首領ボスがそう云う時は、大体が重要な仕事を命令する時だ。

 俺は「今から向かいます」と返す。首領ボスは『待っているよ』と電話を切った。

 俺は食べかけのサンドウィッチを口に詰め込み、珈琲で胃に押し込む。

 黒帽子と外套コートを取って、玄関を出た。


 ***


 横浜は今日も平和だ。それを、マフィアの幹部が言っていいものか悩みどころだが。


 買い物をする主婦や仕事に走る会社員。

 学校をサボって遊ぶ高校生や、堅気カタギではない風貌の男。茶封筒を抱えて地図を見つめる、中性的な顔をした女もいる。

 色んな人間がまぜこぜに歩くこの街は、いつだって刺激に溢れていて、いつだって平和な面をしている。それがまた、不思議と心地良かった。


 マフィアの本部ビル、見張りの部下の挨拶を軽く返して、昇降機エレベーターに乗る。


 何の仕事を与えられるのか、どういった内容なのか、それらが何であれ、首領ボスの命令なら喜んで拝命しよう。

 そんな事を考えながら帽子を被り直した。丁度、昇降機エレベーターの扉が開く。

 厳格な雰囲気の廊下を歩き、首領ボスの執務室へ向かう。

 扉を三度ほど叩き、「首領ボス、俺です」と到着を知らせる。

 しかし、返事がない。俺は聞こえないようにため息をついた。

 こういう時は、


「失礼します」


 俺は、返事を待たずに扉を開けた。



「あぁ~~エリスちゃん、そんなに食べたらお昼ご飯が入らなくなってしまうよぉ」

「平気よ! これは別腹だもん!」



 扉の先では、案の定エリスの心配をする森鴎外の姿があった。

 円形の卓、刺繍を施した白い食事台布テーブルクロスの上に、沢山の洋菓子が並んでいた。

 その中から好みの菓子を選んで食べるエリス嬢は、無邪気な笑みを浮かべる。その笑顔を見て、首領ボスは頬を緩ませる。

 しかし、すぐ我に返り、エリスの説得を試みる。


「今日のお昼ご飯は、エリスちゃんが食べたいって言ってた仏国料理フレンチだよ? こんなに食べたら、前菜でお腹いっぱいになっちゃうんじゃないかなぁ~?」

「私、仏国料理フレンチ食べたいなんて言ってない」

「えぇ~……」


 そろそろ止めないと、本題に入る前に日が暮れてしまう。俺は咳払いをして、首領ボスに呼びかける。


首領ボス、俺を呼んだ件ですが」




「失礼しまぁ~す」




 俺が本題に入ろうとするタイミングで、執務室の扉が開いた。

 入ってきたのは、中華風の服を着た、人形のような風貌の少年だった。

 背伸びをするような高踵靴ハイヒールが、執務室に音を響かせる。



首領ボスが直々にお呼びくださるなんて、なんて嬉しい日なんだろう。鏖殺おうさつですか? 報復ですか? リンは何だってしますよ、首領ボスのためならねっ!」



 見た目の愛くるしさに反して、物騒なことを言うリンは、俺を見るなり「げぇっ」と云った。

 俺も思わずため息をつく。


「なんで中也が居るんだよぉ」

「こっちの科白セリフだ。朝からお前の顔を見るなんてな」

「そのまんま返してあげるよ。最悪、折角せっかくめかししてきたのに」

「そりゃ良かったな」


「仕事に関係なく一番最初に殺してあげる」

「重力に勝てるってのか?」


 リンはいつも俺を敵視してくる。

 彼が大振りの袖から畳み刀を出すのが見えた。俺も合わせて、異能を使えるように出力を調整する。



「止めなさい、二人とも」



 首領ボスがそう言うと、リンはころっと表情を変えて、「はぁい」と可愛子ぶって返事をする。

 俺も、首領ボスの方に体を向けた。


 首領ボスは机に着くと、真剣な表情を作る。さっきまで幼女に振り回されていた大人とは思えない変わりようだ。


「さて、今日呼んだのは、他でもない。──『スネーク』の一件を覚えているかな?」


 首領ボスの言葉に、リンの表情が強ばった。俺も、その件は知っている。



スネーク』とは、非合法組織で、数年前からマフィアと取引があった。

 主に海外の武器の密輸と、情報の売買をしていた。しかし、マフィアに逆恨みしている敵対組織と結託、マフィアに攻撃を仕掛けた。

 敵対組織と武器商人、横浜一帯を牛耳るマフィアでは規模が違いすぎるが、時と場所さえ選べば勝ち時はある。

 実際、マフィアは武器の取引場所で襲撃を受け、応援を呼ぶ前に仲間が殺された。

 その中には、俺の部下もいた。


 その襲撃事件を起因に、組織はマフィアの報復に遭った。

 残酷で、冷徹、残忍で、完膚無きまでに。たった一週間前のことだった。


 そして、『スネーク』含め、敵対組織壊滅に多いに貢献したのが、ここに居るリンだ。


 可愛い顔をして、リンはその場にいた六十人余りの敵を、一瞬にして葬ったのだ。


 文字通り、


 部下の証言では、瞬きをした時には目の前の敵はもう居らず、代わりに血塗ちまみれのリンが立っていた────笑顔で。


 それが、彼も呼ばれた理由か。当事者が必要な仕事とは、一体何なのか。

 首領ボスは手を組んで、話を続けた。


「『スネーク』の残党がいる事が分かってね。彼らは組織再建を目論んでいる」

「じゃあ、その人たちを殺せばいいんですかぁ? それなら、ボクがいっちばん得意ですよ」


 リンは得意げに言うが、首領ボスの発言の意図はそうでは無い。読みが早すぎる。俺は「違ぇよ」と小声で教えるが、リンは「負け惜しみ~?」と聞いていない。

 首領ボスはフフ、と優しい笑みを浮かべる。


「それも悪くないが、『スネーク』には、秘密兵器がある。それは、組織再建にも、マフィアに対抗することにも利用出来るものだ。それを、君たちに回収してきてもらいたい」

「それは一体何でしょうか」


 俺が尋ねると、首領ボスは机からあるものを取り出した。


「USBメモリだよ」


 それが、秘密兵器?

 そんなものが一体何の役に立つのか。

 ……いいや、そんなことを言ったら、きっと太宰の野郎に「そんなこともわからないの~?」とバカにされるに違いない。


 首領ボスの命令に、俺は「御意」と、膝をつき、頭を下げる。しかし、リンは不満そうに頬を膨らませている。


「何か不満かね?」

「お言葉ですけど首領ボスぅ。秘密兵器の回収なら、ボク一人で事足りると思うんですよ~。重たぁい物だったら、中也も必要ですけど、USBメモリ? だったら簡単じゃないですかぁ」

「リン君、どんな相手でも慎重に行動すべきだよ。どんなに力の差があったとしても、それを上手く補助カバーする敵はいくらでも居る。力をおごって破滅するものも、ね」


 リンはチラッと俺の方を見て、また頬を膨らませる。


首領ボスがこれを最適解だと言うのなら、ボクは従いましょう。このボクが! 必ずや、貴方様の望みを叶えてみせますからねっ」


 リンは愛嬌たっぷりに微笑み、首領ボスに深くお辞儀をし、俺より先に執務室を出ていく。

 俺は首領ボスに一礼すると、執務室の扉に手をかける。


「あぁそうだ、中也君」


 首領ボスが俺を呼び止める。俺が首領ボスの方を向くと、あの人は、目を細めて言った。


「リン君のこと、よろしく頼むよ」


 俺はまた一礼して、執務室を出た。

 首領ボスに言われずとも、きちんと面倒は見るつもりだ。


 リンは俺が拾って、組織に連れてきたのだから。

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