マインドフル、ヘルス、ケア
きづきまつり
マインドフル、ヘルス、ケア
雑居ビルの片隅で、男の性器を咥えて上目遣いをした彼女は、ふと、見覚えがある顔だなと思った。目が合った僅かな瞬間のことで、男が目を閉じて眉間のシワを深めたころには、もう自信がなくなってくる。他の店で会ったのか。いや、それならむしろ目を閉じた顔のほうがまだ見覚えがあるはず……?
人の顔を覚えるのが得意ではない彼女にとって、客がリピーターであっても、店員から情報があっても思い当たるまでには五回はかかっていた。そもそも、店員からも今回が初来店の客だと聞かされていた。では、何処か別のところであったことになるはずだ。
短髪で痩せた男だ。性器も仮性包茎で特別変わったところはない。日に焼けた様子もないが腹筋はかすかに割れかかっており、ジムには通っているのかもしれない。見える範囲にタトゥーもない。タバコの匂いはなかったようだが、店の安いボディーソープの香料と、すでに染み出し始めたカウパーで、彼女の鼻は機能していなかった。仮に前の店に来ていた客だとしても、印象に残るほどの特徴は見当たらない。平日昼間、六〇分一八〇〇〇円コースを取っているということは夜勤明けだろうか。日に焼けていないのはそのせい?
いくつなんだろう、この人。彼女は普段よりも刺激を弱めるよう、ややゆっくり口と手を動かしながら考える。店では一八歳を名乗る二五歳の彼女と同い年であってもおかしくはないが、どちらかといえば少し上だろうか。地元で会ったことがある? 前の店のころ、高校の同級生たちの間で彼女が風俗に勤めている話が出回ったことがあった。結局見知った顔は来なかったが、彼女が同級生の男子なんて覚えていないだけで、本当は来ていたのかもしれない。前の店は学生服コスプレメインの店で、客に若い男はそう多くなく、来たら目立つはずだったが。客の顔に興味はなく、不潔でなく、時間がかからず射精に至れば、それでよいのだった。
「あっ」
男は声を出すと突然彼女の頭を押さえ、髪をつかむ。男性器が喉をこすり、彼女も反射的に男の腰を押す。亀頭はぎりぎり彼女の口から出ず、男の精液が彼女の口内に放たれた。咳をこらえながら脈打つのが終わるのを待つのは、彼女の経験からくる技術と、プロとしての意地だった。ティッシュに精液を出しきり、軽く咳き込んだあと、笑顔で少し高い声をだす。
「急に掴むのはやめてくださいよ、びっくりするじゃないですか」
「ごめんごめん、すごいよかったから」
男はニヤニヤしながらそう言った。NGにならない範囲を心得ていそうで、彼女はその態度にイラつきながら、ティッシュで口をこする。そのにやついた顔は、やはり見覚えがある気がした。あまり良い印象ではない記憶のようだった。
タイマーに示された残り時間はまだまだあるようだ。かなり加減していたつもりだったが、ずいぶん早い射精だった。余裕の態度からは二回は出せるのだろう。
「じゃあ、ちょっとだけ休憩ね。一緒にゴロンしよ」
彼女が笑顔でそう言うと、男はすぐに従い、いそいそとベッドに横たわった。彼女も狭いベッドに重なり合うように横になる。
「おつかれかなぁ?」
彼女は男性器を軽くもみながら、密着してもどこの誰だか思い出せず、むしろ記憶から遠ざかったような気がしていた。
「全然、ちょっと休めば行けるよ」
「お昼から元気だねぇ。今日はお仕事は?」
「休みだよ。てか、夜勤明け、みたいな」
男性器が徐々に固くなってくる。男は彼女の方を向き、口を合わせて舌を伸ばしてくる。夜勤明け。彼女は適当に舌と手を動かしながら考える。コンビニ、二四時間営業のファミレス、タクシーやトラックの運転手、清掃員、警備員……どれも思い当たらない。ただ、生活圏内にいる人間だとすると、やや厄介だった。男のほうが彼女を認識し、狙って店に来ているのなら、ストーカーかもしれない。わずかな警戒心が首をもたげ、彼女の動きが固くなる。
男の指が彼女の性器に触れる。客からの愛撫は彼女にはNGではなかったが、やや力任せで好みではなかった。
「夜勤明けならお疲れ様だね。楽にしてていいから」
彼女は男から口を離してそう言うと、ベッド下に隠してあったローションを手に出して、手でしごき始める。横から見た顔よりも少し下から見上げたときの顔が一番覚えがあった。そこまで背が高いわけでもないのに、どうしてだろう。男の胸や首に舌を這わせながら、男の顔を見上げる。無精髭が目立つのは、夜勤明けという話を裏付けている。
「あー、いいよ。手、上手だね」
「ほんと? うれしー」
男の手は彼女の性器から離れた。その際に、彼女の太ももをなぞった。そのとき、男は一瞬真顔になり、息を呑んだ。そしてその顔は、彼女の記憶を思い起こさせた。
レッグカットの痕をなぞったそのときの男の顔は、一年ほど前、心療内科の外来で見た顔だった。
初診時の無駄の多い問診票を書き終えて一時間、混雑した待合で彼女の怒りはピークに達していた。男女問わずうつむいているが、一部の男性患者は彼女のミニスカートからのぞける太ももを意識しているようだった。その視線に、金でも取ってやろうかと思ったが、トラブルを起こして追い出されるわけにもいかない彼女は、気が付かないふりをしながら携帯でSNSを開いたりゲームアプリを開いたりしていた。
四つ稼働している診察室の一つが開き、診察秘書が出てくる。患者は一斉にそちらをみて、誰が呼ばれるかを見守る。読み上げた番号は再診患者のもののようで、彼女の持つ番号札とは桁数から異なっていて、彼女は舌打ちした。音が出たのは彼女だけだが、待合室の彼女以外の人々も、心のうちでは同様の行為をしていた。
また別のドアが開き、先程の秘書と同じような格好をした女が出て数字を読み上げた。それは彼女の番号だった。彼女はバッグを持ち上げて、診察室に入った。
椅子に腰掛けたままの白衣の男は、彼女に着席を促した。彼女は後ろ手にドアを締め、椅子に腰掛ける。男は形式的に頭を下げて、名乗り、彼女の名前を確認した。
「今日はどうされましたか?」
「デパスが切れるんで、貰いに来ました。1㎎を一日三回。あとソラナックス。0.4を三回。一週間分でいいんで。どんだけ待たせるんですか」
「お待たせしたのは申し訳ありません。ですが、おくすりを処方するかどうかは少しお話を聞かせてもらってからでいいですか?」
最初の謝罪の機械的なわざとらしさが、彼女の癇に障った。男はゆっくりと問診票を読み始め、視線を問診票に落としたまま彼女に尋ねる。
「デパスはもう長く飲んでいるんですか?」
「一年ぐらい。他にいろいろ試して、デパスとソラナックスの組み合わせが一番良かったんで」
「他にどんな薬を試されたんですか?」
「おぼえてないです」
「普段行くクリニックの名前は?」
「仕事が不規則なんで、あっちこっち行くんで」
彼女にもこの答えがあまり適切ではないことはわかっていた。ただ、嘘を重ねる気にもなれないほど、その時の彼女は疲れていた。そのころはキャバクラで働いていて、徹夜明けで僅かな仮眠を取ったあとに来ていたのだった。昼頃に目を覚ました彼女は、起き抜けの抗不安薬が最後の一つであったことに気がついて、食事も取らずに、スマホの地図アプリが示した繁華街から徒歩二分の心療内科に来ていたのだった。
「病名はなんと言われていましたか?」
「知らないです。不安とか疲れているとか言ったら色々くれて、デパスとソラナックスの組み合わせがまだましだったんで。もうそれでいいんで、一週間分もらえないですか?」
男は彼女の言葉を聞いているのか、聞いていないのかさえわからなかった。横にいる秘書は表情を変えずにタイプを続けており、その態度にも、彼女は苛ついていた。
「どんなときに不安になるんですか?」
「しょっちゅうだからわかんないです。いまも落ち着かないです、こういう、せまいところが苦手なんで。仕事遅れると罰金あるし」
「狭いお部屋が苦手なんですね」
男はそう言って、また間を置く。彼女はその動作に、流れを支配しようとする男の意図を強く感じていた。カタカタとタイプ音が部屋に響く。
「デパスというお薬、昔からあってよく使われるもので、効果もありますが、体から分解されると返って不安が強くなったり、くり返し使われると効き目が弱くなってきたりもします。耐性、なんていうんですけど、心当たりはありますか?」
「説教はいいんで。ちょっともう私時間ないんで、何日分ならもらえるんですか?」
「……お薬以外の方法だと、マインドフルネスって聞いたことはありますか? 訓練は必要となりますが、不安感にブレーキをかける方法として、いまここに確実に存在する、あるがままの自分の感覚に集中することで」
「そういうのいいんで。何日分もらえますか?」
演説を彼女が遮ると、医者は眉をひそめた。細めた目は、まつげ、メイク、爪をみて、最後に開いた胸元に止まる。上にジャケットを羽織っていたが、そのまま出勤できる格好だった。彼女は普段相手にしている客と変わらぬその反応に、足を組み、もう一度男に問うた。
「一週間分でいいんで」
男は、それでようやく視線を彼女の顔に戻した。
「すぐには薬を減らすのは難しいでしょうから、一週間分はお出しします。でも、継続して同じ医療機関にかかってください。当院でももちろん構いません。ゆっくりでも減らしていったり、別のおくすりに置き換えたりしないと、だんだん効果は薄れますし、依存の心配もありますよ」
少し早口に、そんなことをブツブツと言った。その後も医者はなにか述べていたようだったが、彼女はうつむきながら、店が始まる前に何を食べようか考えており、言い訳と予防線に満ちた医者の口上は、客の自慢話よりも頭に入ってこなかった。処方量の確認に入り、ついでに睡眠薬ももう一種類希望したが、男も特にそれに対して何も言わず受け入れた。
「なにか質問はありますか?」
「来週は、先生はいるんですか?」
「他の仕事もあるので、お約束はできません。カルテの記録は共有されているので大丈夫ですよ」
もっともらしい顔でいうが、つまりアルバイトであることは、似たような駅近のメンタルクリニックを過去にいくつか受診した彼女にはよくわかっていた。彼女もそれを知っていて来ており、今日は説教くさいのにあたって外れだとさえ思っていた。いないほうが好都合だ。
「それでは、おだいじになさってください」
医者は頭も下げずに抑揚もなくそんなことを言った。何が、お大事に、だ。何を大事にしろというのか。彼女は診察室を出て、待合室を一瞥する。診察前に彼女が腰掛けていた待合のソファには、缶バッジが無数に飾られたバッグを持ち、ブカブカのパーカーを着た、痩せた若い女が座っていた。顔をあげることもなく、スマホゲームに興じているようだった。
彼女は短髪のTシャツ姿の肥満男性と、スーツを着た六〇は過ぎていそうな男性の間に空きを見つけ、腰掛けて会計を待つ。香水が漂い、両隣の男は一瞬彼女の方を見て、胸元に気がつくと目をそらした。彼女は彼女で、スーツの男のタバコ臭さが今から待ち構えた仕事を予感させたのか、それとも起き抜けに飲んだデパスがGABA受容体から離れたのか、不快感が高まりあからさまな舌打ちをした。無言でスマホを眺める人々が占める待合室の中で、その高い音は必要以上に響いていた。
たしかに、あのときの医者だ。狭いベッドで体を合わせ、その性器をローションにまみれた手で刺激しながら、彼女は確信した。男は彼女の胸をもみながら、なにか言ったようだ。
「え? ごめん、今聞こえなかった」
「これぐらいのおっぱいが一番いいよね」
ばかげたことを復唱したその顔は、たしかにあの診察室で説教しながら、彼女の胸元を舐め回したその視線の持ち主だった。男がレッグカット痕に気がついてから下半身に手を出さなくなったのは、彼女にとっては都合がよかった。
「えー、一番って二番とかもあるのー?」
そう言って、性器への刺激を少し強める。男は目を閉じて顔をゆがませる。つい先程見た表情の変化で、このままなら射精まで持っていけそうだった。しかし、時間的にはまだ早いため、再びペースを緩める。流石に三回目を要求されないだろうが、彼女としてはやることもなく喋る時間を長くしたくはなかった。
「手でいいの? どうする?」
男は目を薄く開く。その顔が近くにあることが耐え難かった彼女は、返事を待たずに性器から手を離し、男の上にまたがった。ローションを追加し、性器を太ももで挟み込む。薄暗い店内で、タトゥー隠しのシールを貼った傷跡は、触れれば盛り上がりを感じるが見た目ではわからないだろう。
「どう? 痛くない?」
ゆっくりと上下に動き、男の陰茎を擦り上げる。男は目を閉じながら、手を彼女の胸に伸ばした。爪で乳首をつつくたび、彼女はサービスで「んっ」と声を押し殺す。男はそれで満足そうに、不規則に乳首を撫でる。演技に気がついていないわけではなく、あくまでもその芝居の共演者として、彼女は嬌声を漏らし続け、男は乳首にふれる。
ただ、だんだんと男は芝居の不文律を破りつつあった。指先に込める力が段々と増していく。このあとも仕事が続く彼女からすれば、昼間から強い刺激を受け続けたくはなかった。まだ少し早い時間だったが、太ももと手の力をすこし強め、段々と上下運動を早くする。男はまた目を閉じた。
「ああ、いいよ」
「我慢しなくていからね」
言い終わらないうちに、男の性器が脈打ち、二度目の射精を始める。早いな。彼女は目を閉じたままの男を見下ろしながら思う。マインドフルネスかよ。今ここに集中し、あるがままの自分の感覚に注目した結果、早漏になるのだろうか。先程よりやや薄い精液を出し終えて、徐々に性器がしぼんでいく。
「お疲れ様」
彼女はそう言って男の体の上に重なり、軽くキスする。それでようやく男は目を開けて、今度は男から彼女に口づけたと思うと、強引に舌をねじ込んでくる。彼女は口の中に出された精液の不快感が抜けきっていないなか、舌を動かし続ける男が奇妙に思えた。自分の精液の味でも試したいのだろうか。キモいな。彼女は頭の中で六秒数え、口を離して男の横に寝転がる。
男は仰向けで息を整えながら、彼女の頭の下に腕をねじ込み、恋人気取りの腕枕をした。
「よかったよ。次来たら指名しようかな」
男の言葉に抑揚はなく、その声は、彼女が診察室から出たときの挨拶と全く同じトーンだった。
お前は翌週の外来バイトに来なかったくせに。彼女はそう思いながら、
「ほんと?うれしい」
と、やはり定型文を返す。これが接客業でのお約束ということだ。医者も、風俗も、さほど変わりはしない。
「今日はこの後どうするの?」
「仕事明けで来てるから、帰って寝るかなぁ」
男はそう言って欠伸をした。
「お仕事、なにやっているの?」
彼女は、言ってから後悔した。天井を眺めていた男は横目で彼女を見て、体を横にして向き合い、太ももに手を伸ばす。まさぐる指先は傷跡にはぎりぎり届かなかった。
「なんだと思う?」
「えー、なんだろ。ホストじゃなさそう」
「ホストって」
彼女が思うより自身を客観視できていたらしく、男は苦笑した。
「IT系だよ。保守管理。わかんないでしょ」
堂々という男は、たしかに外来で見た顔だ。嘘をつき慣れているその顔は、彼女を小馬鹿にしたように見えた。
彼女は、嘘を指摘してやろうかと思ったが、急に虚しくなった。男に背を向けて、ベッドから立ち上がる。
「シャワー、行こうか」
二人は薄暗い廊下を通り、シャワー室に入る。彼女は安っぽいボディーソープを手に出し、泡立てる。男の首元からだんだんと手をおろし、局部に届く。ローションを泡で洗ううちに、また陰茎に芯が入り始めた。彼女が男の顔を見ると、どことなく誇らしげににやにやしていて、間抜けそのものだった。
「元気だね」
彼女は泡まみれの手で少し擦り上げ、もう少し勃起したところで手を止める。
「ほら、おしまい」
「えー」
「えーじゃないよ。シャワーは他の人も使うんだから。続きはまた来たときね」
そう言って、シャワーで男の体を流す。
「いいカラダしてるよね。鍛えているの?」
「ジムはたまにね」
「IT系なのに?」
「……何その偏見。普段運動しないからジム行くんだよ」
男はすこしだまったあと、不機嫌そうにそう言った。踏み込みすぎたかな。彼女は、もうありもしない泡をこするように男の背中をなぞる。
「うちに運動しに来てもいいからね」
そう言ってシャワーを切り上げる。シャワー室を出た彼女は安っぽいセーラー服を身にまとい、男の着替えを待つ。時間は概ね問題ないだろう。
出てきた男は、シャツは着ているがスーツではなかった。荷物も薄い手提げカバンだけで、ぱっとしないその姿は、白衣のときのそれとも全裸のときのそれとも違っていた。別人だったかな。彼女は先程までの確信が薄れてきていた。あのときの医者に似ていただけなのだろうか。それとも、白衣という権威のない姿では、医者の中身なんてこんなものだということだろうか。
「次来てくれたときは、指名してね」
彼女はそう言って名刺を渡す。男はそれを受け取ると、一瞥しただけで胸ポケットに入れた。それでいて、目を細めて笑う。
「ありがとう。次は指名するね」
男が店を出ていくのを見送ると、彼女は待機室に入る。中には彼女の他に二人ヘルス嬢がいたが、少し視線を上げて彼女を見たあとすぐにスマホに視線を戻した。あまり話す気のない彼女にとって、そのほうが楽だった。洗面台に行き口をうがい薬で何度かゆすいだあと、ロッカーを開けて中のバッグから、シワのついた薬袋を取り出す。袋ごと持って、部屋の隅に置かれたペットボトルのミネラルウォーターを取り、ソファに腰掛ける。ペットボトルの蓋をひねり、手のひらに出した白い錠剤を流し込む。
「それ、なに? ソラナックス?」
正面にいた女が、彼女に話しかけた。シートに残る錠剤は、あと二日分に満たない。
「……いや、デパス。いる?」
「ううん、ごめん」
彼女は自分の眉間にシワが寄っているのを感じていた。彼女の返答に女は首を横に振り、再びスマホに視線を落とす。
ソファに深く腰掛け直しうつむいた彼女は、喉を通った白い錠剤が胃に落ち、消化管を進んでいきながら崩壊していくさまを思い浮かべる。男の顔が思い浮かぶ。マインドフルネス。いまここに、口の中に残る僅かな精液の匂いは、実在するのか、ただ思い出してしまっているだけなのか。両方の掌を頬に当てて、動かす。顔と手の皮膚がこすれる感覚と音が、BGMにかき消されながらもわずかに聞こえるが、集中はなかなかうまくいかない。
……昨日は何件指名入ったっけ今日はあと何件やったら引き上げようカードの引き落としいつなんだっけあのクソ医者いきなり口に出しやがって時給一万のバイトして二発の射精に一時間一八〇〇〇円かけてんのかあいつ時給大して変わんねぇなこのBGMだれの歌だっけ精液クセェタバコ吸いたい早くキけよデパス喉が痛い検査次いつだっけ梅毒とかマジで流行ってんのかなどんなになるのかよく知らねぇけど甘ったるいなんだこの匂い誰だよこの香水安物使ってんじゃねえよソファなんか湿ってないかデパスあと何回残ってるっけ昼ごはん何食べよう昨日何食べたっけメイク直さないと……
「呼ばれてるよ」
さきほどの女が、彼女の肩を軽くつつき声をかけた。彼女は顔を上げ、ゆっくり振り向く。ドアのところに立つ店員の男が笑顔を浮かべる。
「指名入ったよ、今日テンポいいね」
「……はーい、いきまーす」
彼女はゆっくりと立ち上がる。少しフラつくが、気持ち悪さは軽減していた。ふらふらとロッカーに向かい、薬をしまう。待機室の時計は、彼女が部屋に戻ってきてから三〇分ほど経っていることを示していた。デパスが効いている間、あと三時間で、あと何人入るだろうか。徐々に抗不安薬の効果時間が短く、効きが弱くなっていることを自覚しながら、彼女は鏡を見る。メイクは思ったより崩れていなかった。鏡に笑顔を向け、それなりに行けるか、と思う。その笑顔のまま、客の待つ狭い部屋へと向かう。廊下を歩いていた彼女は、一瞬、なにか食べたいものが思いついた気がしたが、それがなんだったか、次の瞬間にはわからなくなっていた。
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