結局、真相は謎のまま

 あれから四分後、電車は次の駅へと辿り着き、椿はそこで降りていった。

 乗客の大半がその駅で同じく降りていき、気付けば圭太郎とソフィアは二人きりとなった。まあ、実際はまだポツポツと何人かは残っているが、二人きりと言っても特段差し支えはない程度の数だ。

 しかし電車内がそんな状況となっても、


「…………」

「…………」


 二人が朝のように会話を交わす事は無い。

 やがて動き始めた電車の中でも、双方はともに無言を貫き続けている。

 だがそれは、どちらも同じ無言のように見えて、その実態は全く異なる。


「…………」


 圭太郎の無言は、触らぬ神に祟りなしの精神から来ている、至極冷静なものである。

 他の生徒の姿は見えないし、そもそも先ほど言った通り乗客自体が少ないので、ソフィアと会話したって別に良い筈なのだが、凄く気が憚られたのだ。

 ソフィアは登校時も歓迎会の最中も、何故だか不機嫌になっていた。今に至るまでそれが継続しているのかは分からないが、藪をつつく趣味も無いので、家に帰るまでは現状維持のままで良いだろうと圭太郎は考えていた。

 家に帰るまでが遠足です、と同じ理論だ。最後まで気は抜かない。


「………………」


 一方でソフィアの方の無言はというと、


(だ、駄目ですソフィア……っ!ここでみすみす私から話しかけたら、朝から続けてきた作戦が全て台無しです……!ここは是が非でも耐えないと……ああ、でもでもっ……!)


 己の中の天使と悪魔との激闘による葛藤からやってくる、激情的な無言だ。

 ソフィアは圭太郎の後ろで、自分自身と戦い続けていた。時折まるで力を押さえきれない異能力者のように、自分の腕をガッと押さえたりまでしている。そうしておかないと知らず知らずの内に、圭太郎の袖をくいくいと引っ張ってしまいそうだったのだ。


 そんな風に二人が正反対の無言を貫き続けているうちに、やがて最寄駅へと到着した。

 電車を降りてもなお、無言は継続されたままだった。

 駅を出て田舎道を連れ立って歩いている時でさえ、無言は継続されたままだった。

 それからしばらくの時が経過して、二人がやっと声を発したのは、帰宅の挨拶の時だった。


 圭太郎が靴を脱いで廊下に上がろうとすると、ふと、ソフィアが目の前でピタリと止まった。かと思えば小まめに振り返り、ちらちらと視線を向けてくる。

 圭太郎が対応に困っていると、ソフィアはやがて溜め息をついて、肩を落として、分かり易くガッカリとした表情になった。


 ソフィアの目論見通りならば今この時点で、この玄関先で、耐え切れなくなった圭太郎に後ろから抱きすくめられて、くんずほぐれずの真剣勝負()に突入している予定であった。

 しかし大変残念な事にそうはならなかったので、ソフィアは大いに落胆した。


 当然、圭太郎にそんなソフィアの真意が読める訳が無いので、一体何なんだと首を捻る事しか出来ない。ついでに俺は何かとてつもない事をやらかしたのか?と心配にもなっている。

 朝に椿に助けを求めたのが根本的な失敗だったのかもしれない。椿の告げ口からソフィアの何かが変わったのは明白だ。


(一体俺はどうすればいいんだ……?)

 

 ソフィアのこの状態が長く続くのは困る。

 自宅という唯一の紛れもないホームがアウェイになってしまったら、安寧の地はどこにも無くなってしまう。

 気を休ませられる場所が無くなるのは嫌だ。心を許せる存在がいなくなるのはもっと嫌だ。


(……はあ……)

 

 よろよろと階段を上がり、部屋へと入ると、圭太郎は真っ先にベッドへと倒れ込んだ。ぐるりと体を反転させて、仰向けになる。

 ぼんやりと天井を眺めながら、圭太郎は思考を巡らせた。何か俺はソフィアの機嫌を損ねるような事をしたのか、その原因を探る為に朝の電車から記憶を辿っていく。コンマ一秒単位で、今日起きた出来事を脳内で再生していく。


 答えは――得られなかった。分からない。何も分からない。

 てかやはり椿に原因があるとしか思えない。だが自分に何の非が無いとも思えない。歓迎会の最中の不機嫌な表情、そして帰宅時の落胆した表情。あの二つは確実に俺のせいだと言い切れる。

 だが、何故だ。その理由が分からない。分かる気がしない。人類に解ける問題とは思えない。糸口すら見つけられない。


 それにしても、いやに集中していたらしい。気付けば数時間が経っていた。窓の外がすっかりと暗くなっている。太陽はもういない。

 結構な時間を費やした割に、何の成果も得られなかった。圭太郎の口から溜め息が漏れる。

 不意にコンコンと扉の方から、小気味の良い音が聞こえた。


「ご飯ですよ」


 と、ソフィアの声。

 そうか、もう夕飯の時間か。あの調子では飯抜きと言われてもやむなしと思っていたが、助かった。ソフィアの料理無しでは生きていける気がしない、というか確実に死ぬ。

 ベッドから起き上がり部屋の扉を開けると、そこにソフィアはもういなかった……が、大層美味しそうな香りがぶわっと漂ってきた。

 もしかしたら機嫌が治っているのでは無いかと、圭太郎は淡い期待を抱きながら、階段を降りていった。


 

 ――――――



 結論から言うとソフィアの機嫌は治ってはいなかった、事も無いかもしれないが、どちらとも言えない何とも不可思議な状態だった。

 変わらず無言ではあるのだが、それ以外はいつもと何も変わらないのだ。

 真隣に座っているソフィアから差し出される箸に口を開いて、餌付けのような形で料理を頂く。普段と何も変わらず、ソフィアの作る料理は絶品だ。三つ星ごときでは到底足りない。

 だというのに、


「……あの、ソフィアさん?」

「………つーん」


 ソフィア自体は依然として、この調子である。

 圭太郎はソフィアの手料理が美味すぎると毎度のように感謝感激しながらも、私不機嫌ですと言わんばかりにむくれたような顔をしているソフィアに対して、一体これはどうしたものかと困り果てていた。

 しばしの逡巡の果て、圭太郎は口を開き尋ねる。


「……俺、何かしたか?」


 と。

 いくら考えても分からないのだから、当人に聞くしかすべは無い。

 数秒後、


「……何もしてないです」


 と、ソフィアからの返答。

 最も困る答えだった。何もしてないなら、どうすればいいんだ。それだと挽回のしようが無いじゃないか。


「何もしてないなら、なん」

「何もしてないからですっ!!!」


 圭太郎の言葉を遮るように、ソフィアが声を張り上げる。今日一番の声量だった。カラオケの時よりも断然、大きな大きな声だった。迫真、という言葉が良く似合う。

 一体どういう事だ?何もしてないなら、どうして。


「えっと、俺は何かすれば良かったのか?」

「はい、すれば良かったです。滅茶苦茶に」


 拗ねた様子で口早に放たれたソフィアのその言葉に、圭太郎は頭の上に疑問符を浮かべる事しか出来ない。

 滅茶苦茶にって……何をだよ?滅茶苦茶にする事って、まず何だよ?そもそも、滅茶苦茶をポジティブな意味で使えるような行為ってあるのか?何にも思い当たらない。

 だがソフィアは現に怒っている。その事実は紛れもない。何かあるんだ、きっと。俺が滅茶苦茶にするべきだった事が。

 とりあえず、圭太郎は謝る事にした。怒らせるような事をしたのだから、当然だ。

 

「すまん、悪かった」


 圭太郎は膝に手を置いて、深々と頭を下げた。


「……もういいです。圭太郎が超の付くくらいの鈍感さんな事は分かってますから。そんなの、私が一番分かってますもん」


 やけに最後の一文を強調しながら、ソフィアがゆるりと首を振る。仕方なし、と言った感じだ。

 圭太郎はもう一度、深々と頭を下げた。肝心な時には全く役に立たない自分の天邪鬼な脳味噌が忌々しい。


「本当にすまん。俺に出来る事なら何でもするから許してくれ」


 瞬間、ソフィアの目がきらりと光った。

 

「……本当ですか?」


 ソフィアに手短に早急に尋ねられ、


「ああ」


 圭太郎も手短に早急に頷く。

 すると、


「何でも……うう、迷いますね……」


 ソフィアが悩ましげな表情で、うんうんと俯いて唸り始める。かなり真剣に悩んでいる。その様子を例えるならババ抜きの最終局面、最後の二択の時ぐらい。

 二つある臓器は全て片っぽ売ってこんかい!とか言われないといいが……。

 やがてソフィアは顔を上げ、


「ではをさせてください」

 

 どこまでも真っ直ぐに圭太郎を見遣りながら、さらっとそんな事を言った。

 物騒とは真逆な想定外のその要求に、圭太郎は思わず耳を疑う。


「ひざまくらって……あの、膝枕か?」


 ソフィアが力強く頷く。


「はい、その膝枕です。今日は疲れました。私にはたくさんの癒しが必要なんです」


 聞き間違いでは無かったようだが、肝心の日本語の方が間違っている気がしてならない。

 膝枕という行為は俺の知る限り、疲れてる側がする事では決して無い筈だが。癒しを得られるとも思えない。


「いやまあ、いいけどさ。でもそっちが疲れてるんなら、普通は俺がそれをする側なんじゃないか?」

「いえ、私がするんです」


 きっぱりとソフィアは言い退ける。

 その言葉の端々からは確固たる意思が見える。断固として反論を許してはくれなさそうだ。


「分かったよ。じゃあ、風呂の後にでもな」


 なので、圭太郎は大人しくそれを受け入れた。

 二週間前ならば恥ずかしくてそんなのは無理だと是が非でも断っていただろうが、今の圭太郎はそんな事はしない。

 むしろ……その逆かもしれない。楽しみにしてしまっている自分がいないとも、正直言い切れない。

 だって膝枕だぞ、膝枕。ソフィアの膝枕って……誰が断るんだ、そんなの。俺は悪くない。

 誰かに責められている訳でも無いのにそんな自己弁護を行いながら、圭太郎はソフィアの手料理にもぐもぐと舌鼓を打ち続けた。

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