歓迎会は無事()終了しました

「――んんー……!」


 会計を済ませ店先に出るや否や、列の先頭を歩いていた井上が立ち止まり、青く澄み渡った空に向かって大きく背伸びをしたかと思うと、


「それじゃあ、今日はこれで解散だねー!皆気を付けて帰るんだよー!」


 歓迎会の閉幕を、ここに高らかに宣言した。

 それを聞いた圭太郎は、安堵の息を零す。


(ふう、これでやっと家に帰れる……はあ、長かったぁ…………)


 二時間半以上にも渡った、ソフィアの歓迎会。

 結局席替えというものは一度も無くて、敵意のこもった視線の雨に徹頭徹尾、圭太郎はあれからも晒され続けた。ああ、本当にキツかった……。

 そんな生き地獄からこれでようやくオサラバ出来るのかと思うと、その喜びはひとしおである。

 

「ふう、歌った歌ったー!」

「この後どうしよっかな」


 段々と店先から街中へ、まばらに散り始める人影の中には、圭太郎が警戒すべき厄介な不穏分子の姿は無い。

 

『さて……僕はそろそろお暇させて貰おうかな。どうもお邪魔みたいだからね。綾坂くん、ありがとう。今日は楽しかったよ』


 三十分ほど前にそう言い残して、高見はひと足先に帰っていった。それは圭太郎としては願ってもない事だった。思わずガッツポーズを取りそうになった。

 そういえばの話だが、高見が帰ってからソフィアの機嫌が少しずつ治り始めたような気がする。もしかしてソフィアが終始不機嫌だったのは、俺と同じく、高見が苦手だっただけなのかもしれない。


 さて、ひとまず、そろそろ、気を抜いてもいいだろうか。

 行動原理すらもろくに分からない、イレギュラーとしか言えなかった高見がこの場にいないのであれば、面倒ごとなどそうそうは起きない筈。いや、そうであって貰わないと困る。

 既に精神は摩耗しきっているのだ。これ以上のトラブルに割ける、心の余裕など無い。

 もう何も起きませんように、平和に家まで帰れますように、圭太郎が燦々さんさんと世界を照らすお天道様に向かって内心で祈りを捧げていると、

 

「やー、楽しかったねー」

「ふん、まあ、良い退屈しのぎにはなったと言っておこう」


 なんて、悩みの無さそうな能天気な声と、無駄に気取ったような鼻につく声が、背後から聞こえてきた。誰と言うまでも無いが、椿と博史だ。

 何をするでもなく、立ち尽くしたままの圭太郎を見て、椿は首を傾げて口を開く。

 

「圭太郎ってば、どうしたのさ?今にも死んじゃいそうな顔をしてるよ?」


 椿はきっと何気なく、素直に抱いた感想を、ありのまま口に出しただけなのだろう。

 しかし圭太郎は我が事ながら、その言葉に妙に納得してしまった。確かに今の自分はゾンビよりも生気が無いに違いない、と。


「そうか、俺は今そんな顔をしていたのか。なら、合ってるよ。今にも死にそうなんだ」

「どうしてさ?圭太郎が一番良い席に座ってたのに。あー羨ましかったよー」


 両の手をわざとらしく顔の位置まで上げながら、椿が心にも思っていないだろう事を言う。

 それはそれは分かり易い棒読み、まるで紙に書いてある文字を口先でなぞっているだけのような。

 そんな白々しいの権化と化した椿を、圭太郎は思い切り睨み付けて、


「だったら代わってくれよな。俺の熱い眼差しをずっと無視しといて、良く言うぜ」


 けっと、忌々しげにそう吐き捨てた。

 

「え、あれそういう意味だったの?ごめんごめん、全くこれっぽっちもまるで気が付かなかったよ」

「ったく……はぁああぁ…………当分の心を使い果たした気がする……」


 二時間半もの長時間、体に着々と溜まり続けていた濃淡な鬱憤が、溜め息という形で口から嫌というほど出てくる。歓迎会、二度と参加してなるものか。

 陽の光に手のひらを透かして、しみじみと圭太郎は憂鬱に浸る。散々だった、もう嫌だ、疲れた疲れた、と。

 なのにどうしてか、こんなにも不憫な俺の事が気に食わない血も涙も無い輩というものも、この世界には残念ながら存在しているらしい。

 それが誰かと言うと、

 

「ふん」


 博史だ。

 腕を組んで鼻を鳴らしながら、此方に向かって鋭い眼光を覗かせている。貴様が憎くて憎くて仕方ない、といった感じだ。

 圭太郎も堂々と、そんな博史を睨み返した。一体俺の何がそんなに気に食わないんだ、この野郎、とでも言いたげに。


「贅沢な奴め。公衆の面前で体を拭かせておいて、何をふざけた事をぬかしているのだ。今どき亭主関白なぞ流行らんぞ」


 行き交う通行人にでも聞かれたら、最低な風評被害は免れないだろうその戯言に、圭太郎は眉根を寄せた。

 別に無視したって良いのだが……調子付かれても面倒だ。

 圭太郎は渋々と、されど意気揚々とした口振りで、


「お前の目は節穴か?その眼鏡は何のためにかけてるんだ?あれをどう見たら俺が拭かせてるように見えるんだ?寮に帰る前に眼科に行っといた方がいいぞ」


 猛反論。

 その荒々しい声色と言葉遣いからは、本筋である反論以外の要素も見え隠れしている。言うなれば、憂さ晴らしの要素が。

 サンドバッグがノコノコと自分からやって来たのだ。それならば腕を振りかぶって盛大に殴ってやらないとな。それが礼儀というもの。圭太郎はそう都合良く考える。

 肩をすくめながら、博史が首を振った。何故だか、勝ち誇ったような顔をしていた。

 

「やれやれだな……圭太郎よ。そんな強い言葉を使っていいのか?貴様の命なぞ簡単に散らせるのだぞ、俺は」


 そう言うと博史は、未だ店の前でたむろっていた同級生らの方へと向き直り、すうっとこれ見よがしに息を吸った。

 とても嫌な予感がした。

 

「やあやあ皆よ!遠からん者は音にも聞け!この綾坂圭太郎という男はっ!」


 急遽路頭に轟いた大声に、思わず呆気に取られる。

 が、知らぬ間に体は動いていた。視覚が残像を錯覚するぐらいに素早い、圭太郎の身のこなし。

 これこそが生存本能に違いない。絶対にその先を言わせてなるものか。


「ソフ……ぐっ!」


 圭太郎は博史の喉元を直ちに腕で押さえ込み、物理的に気道を塞いで、言葉を発せなくさせる。

 ふう、これで一安心。


「おいこら、何を叫ぼうとした?変な気は起こさない方が懸命だぞ。さもなくば、俺が過去に開発した必殺の殺人拳が火を吹くからな」


 ちなみにだが、脅しでも何でもなく本当に、殺人拳は過去に開発してある。

 この片田舎では外国人自体が珍しい存在だ。それがステレオタイプな西洋人の風貌で、なおかつ年端もいかない気弱な少女とくれば、変な気を起こす輩が現れてもおかしくはない。

 その事を危惧した若き日の圭太郎は、自分よりも体格の良い大人にも勝てるようにと人体の構造を調べ尽くし、その果てに開発したのだ。本物の殺人拳を。

 有難い事に、それを披露する機会は一向に訪れなかったが。

 

「ならば尚更だ。貴様も道連れにしてやらんとな」

「どこまでも性根の腐った奴め」

「頭の腐った貴様よりはマシだ」

「だから、お前は歴史以外は俺とさして変わらないだろうが」

「今のをそういう意味で捉えた時点で、貴様の頭が腐っている事は確定したな」

「じゃあどういう意味だよ、言ってみろ」

「言うか、たわけ。せいぜいその腐った鈍い頭で良く考える事だな」


 なんだと。やるか貴様。やってやろうじゃねぇか。なんて、売り言葉に買い言葉、やがて、取っ組み合いの小競り合い。

 ソフィアと再会してからまだ一ヶ月も経っていないのに、圭太郎も随分と変わり始めたものだ。エネルギーの無駄遣いが、如実に増えて来ている。今までなら博史と口喧嘩はすれども、むざむざと手を出すようなタイプでは無かったのに。

 どうもソフィアが関連してくると、事なかれ主義が貫き難い。三つ子の魂百までと言うのだし、それも仕方はないか。

 それから少しして、

 

「あはは。まあまあ二人とも、落ち着いて落ち着いて」


 二人して椿にぽんと肩を叩かれる。

 それは横槍というにはあまりにも穏やかすぎるものだったのだが、あっさりと毒気が抜かれてしまった。途端に全てが馬鹿らしくなった。

 冷や水を浴びせられ、持ち前の冷静(怠惰)を圭太郎は取り戻す。実際に冷や水を浴びせられた時は、ただただ冷たいだけだったけれども。

 

「……ったく、もういい。疲れた。帰る」


 圭太郎はパッと手を離し、かぶりを振る。

 博史は乱れた制服を手で払いつつ、


「ここからが貴様の本番か。帰る足取りもそれはそれは軽いだろうな。妬ましい」


 と、依然として喧嘩腰のままで、性懲りも無く圭太郎を睨み付けている。


「お前と話す気力は俺にはもう無い。勝手に言ってろ。じゃあな」

「ふん、それは此方の台詞だ。貴様と利く口など俺にも無い。さらばだ」


 なんだかんだ別れの挨拶はきちんと交わして、そして、博史はスタスタと足早に立ち去っていった。


 ……さて、俺も帰るか。ソフィアは……と?


 帰宅モードをオン。圭太郎が辺りに視線を運ばせると、黒色の人混みの中にソフィアを発見。

 全く、まだ話し足らないのか……と思ったが、いや良く見てみると、ちょうど別れのシーンであった。

 それならハンカチでも用意しておくか、と圭太郎はズボンのポケットを漁るも、やれやれスマホと財布しか見当たらない。ハンカチなんて一度も自分では買った記憶も用意した記憶も無いので、それもまあ当然か。

 

「ソフィアさん、気をつけて帰ってね!」

「良ければ、送っていきましょうか?一人では危険もあるかもしれませんから」


 女子が手を振りながら離れていく中で、とある男子がソフィアに送迎を申し出ている。

 その言葉の内容自体はまともなのだが、そこに下心が欠片も無いようには思えない。あわよくば精神が、透けて見えてしまっている。

 

「気持ちはとてもありがたいですが、私は大丈夫です。泊めて頂いている家は、最寄りの駅から近いので」

「……そうですか。だけど、気を付けてくださいね」

「はい、ありがとうございます」


 毅然とした態度のソフィアが、その申し出をキッパリと跳ね除ける姿を見て、圭太郎はホッと胸を撫で下ろ……しはしない。殆どしかけていたのだが、寸前でその手を止めて、所在なさげにゆらゆら揺らす。

 

「圭太郎」


 名を呼ばれ圭太郎がそちらへと振り向くと、椿が薄気味悪い変な笑みを浮かべながら、ニマニマと此方を見ていた。

 圭太郎はうんざりとした顔で、そんな椿を見つめ返す。


「……なんだよ、その変な顔は」

「んーん、別にー」

「そうかい」


 素っ気なく相槌を打ってから、ようやく圭太郎は行動を開始する。安寧の地へと帰るべく、おもむろに歩き始める。圭太郎が動けば、勿論ソフィアも動き出すというもの。その背中を追いかける。

 後方を歩くソフィアの身の安全を逐一確認しつつ、圭太郎はカラオケ店から徒歩三十秒足らずの位置にある駅の、その階段を上がって、その改札をくぐって、そのホームへと向かった。

 ホームへと辿り着くと、圭太郎は時刻表を眺め、

 

(次の電車は……七分後か。見た感じは、歓迎会に参加していたメンバーで電車に乗るのは、俺とソフィアと椿の他には無し、と。これに関してはありがた)


 悠長な思考は、途中で遮られてしまった。


「ねえ、ちょっといい?」


 と、刺々しい声によって。ソプラノボイスなので、声の主は女だ。というか、多分に聞き覚えがある。

 後ろ髪を引かれながらも、圭太郎は時刻表から視線を下げる。

 案の定、そこには井上が立っていた。敵意剥き出しの肉食獣のような目で、下から此方をギロリと睨み上げている。

 

(……いたのかよ。しかもよりにもよって……ああ、これは面倒な事になりそうだ……)

「えっと、俺に何か用ですか?」

 

 うげぇ、と顰めそうになる顔をどうにか平坦に繕いながら、虎の尾を踏まないようにと丁寧に、圭太郎は井上へとそう尋ねてみる。

 何か失礼があったら大変だ。線路に突き落とされるかも分からない。

 すると、井上はビシッ!と圭太郎に向かって、人差し指を突き立てた。

 

「高見くんはね、すっごく優しい人なの。困ってる人がいたら手を差し伸べる人なの。だから、そういう事だから、分かった?」

「はぁ」


 生返事。圭太郎の口からは、それしか出てきてくれはしない。

 そういう事って、一体どういう事だ。

 

「勘違いしないようにね」

(いや勘違いも何も、俺は別に何の感情も抱いてないんだが……そもそも男だし)


 もしかして俺は高見争奪戦のダークホースにでも見られているのか。だとしたら甚だ心外だ。

 圭太郎はここは何と返すのが最善なのかと考え込むが、どうやらその必要は無かったらしい。井上は言うだけ言って満足したのか、返答を聞こうともせずに、目の前から去っていった。

 向かう先には、ソフィアがいた。

 

「ねえねえソフィアさん!次の駅まで話そー!」


 ほんの数秒前とは打って変わって、明るい笑顔の井上。花の女子高生、そのまんま。


「あ、はい」

「ソフィアさんって──」


 まるで何事も無かったかのように、ソフィアにキャッキャと話しかけている。

 そう遠く離れてはいないので、聞こえてくる丸みを帯びた声に、見える穏やかな表情。

 本当にさっきと同じ人間なのか、あれが。

 圭太郎が人の二面性というものに驚嘆していると、

 

「あらら、マークされちゃったね」


 いつの間にか横には椿が立っていた。

 圭太郎は溜め息を吐いて、それは心外だと唇を尖らせる。

 

「何で俺が要注意リストに入れられないといけないんだ、おかしいだろ」

「そりゃね、圭太郎はずっと高見くんと話してた訳だし、女性陣には警戒の一つもされちゃうよ。高見くんっていい人だけど、特定の誰かに肩入れするようなタイプではないからね」


 男にも使える表現なのかは分からないが、まさしく高嶺の花という奴か。

 確かに毎度毎度色んな連中に囲まれてはいるが、高見が特定の誰かと仲が良いというイメージは、思い返してみれば無いかもしれない。

 もう一つ、圭太郎の口からはまた溜め息。

 

「…………はあ、まだ初日だってのに、悩みの種ばかり蒔かれている気がする」


 前途多難、その四字熟語が、圭太郎の頭に鮮明に浮かんだ。

 

「今年の圭太郎はイベント盛り沢山の、とっても楽しい一年間を送れそうだね」


 椿の言葉に、短く嘆息。

 

「他人事のように言いやがって」

「だって他人事だもん」


 至極当然と、そういった風な椿の口振り。

 

「そりゃそうだ」


 圭太郎は納得した。確かにそれは至極当然だ、と。

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