200mlの水害
「――〜ッ♪」
「…………」
現在歌っている男子生徒の上手とも下手とも言えない歌声をBGMとして聞きながら、圭太郎は目を閉じ腕を組んでいる。
目を開けたらギラギラとした眼差しが嫌でも視界に入り込んでくるので、圭太郎はこの体勢で時を過ごす他なかった。
(歓迎会には席替えって概念は無いのか?俺は隅の席が良い。こんな席は御免だ。男子人気ナンバーワンのソフィアと、女子人気ナンバーワンの高見、これ以上この二人に挟まれていたら、無駄に敵を増やしかねない。まあ、既に遅いかもしれんけど……)
この現状を打破するとすれば、目立つ席から目立たない席に移るのが、最も簡単な方法である。学校という場ではその節目節目で席替えが行われるが、歓迎会という場ではどうなんだろう。
生憎と一度もこういったイベントには参加した事がないので、圭太郎には勝手が分からない。もう一時間以上は経過しているのだから「心機一転!席替えタ〜イムッ!」とでも誰かが提案してくれたなら、喜んでその案に乗るのに。
「ねえねえ、高見くんは歌わないのー?」
典型的な猫なで声が左の方から聞こえた。圭太郎が話しかけるなオーラを滲ませていたお陰で手の空いていた高見に、井上がアプローチをしかけているらしい。圭太郎は目を閉じているので、これは推測だ。そして紛れもない事実だろう。
なお、
「うーん、歌は得意じゃなくてね。それに最近の曲も僕は全然分からないんだ。あと、一人で歌うのってちょっと恥ずかしいよね」
高見は全くもって乗り気ではないようだ。声色からも、放つ言葉の内容からも、如実に分かる。
圭太郎はその会話を聞きながら、
(よし、今のうちにトイレに行こう。まずはこのアウェーな環境から抜け出す事が先決だ)
今この時がチャンスだと考えた。
なんせ今なら高見に話しかけられる心配の無い、フリータイム。
そうだ、今しかない。トイレで籠城でもかましてやろう。自分一人いなくなったとしても、誰も気にはしない筈。
圭太郎は目を開けて、左をうかがう。
高見の向こうに座る井上は、二つもマイクを持っていた。どうやら、井上が高見に対してデュエットの申し出をする、ちょうどその瞬間だったらしい。
片方のマイクを高見へと、井上は差し出した。
「じゃあ、私と一緒に」
よしよし、いいぞ。勝手に二人で歌っていてくれたまえよ。グッドラック。
圭太郎がすっと席を立った、その瞬間、
「そうだ、綾坂くん。良かったら僕と一緒に歌ってくれないかい?」
と、高見が性懲りも無く、さも当然のように、圭太郎へと話しかけてきた。井上の言葉を遮って、だ。
その信じられないタイミング、その信じられない言葉の内容に、圭太郎の口の端がひくりと引き攣る。
(何故にそこで俺に振る?どう見てもそっちと歌うべきだろ。そういう流れだったろ、今の。どういう価値観してんだ)
内心でそう毒付きつつ、
「悪いが、遠慮させてくれ。俺も歌は苦手なんだ」
圭太郎はなるべく平坦な物言いで、それをすげなく断った。
途端に、井上がギロリと剣呑な眼差しでガンを飛ばしてくる。何でだよ、俺は君を気遣ってやったのに……。
「(ちっ、何なのよこいつ。高見くんがせっかく誘ってあげてるのに、それを断るなんてありえないでしょ。つーか歌わないならなんで来てんの?ソフィアさん目当ての脳味噌海綿体野郎が)」
愚痴のように零れた井上の恨み節は、あまりにも暴言で……いっそ清々しい。
(おーい聞こえてる聞こえてる。物凄く酷い悪口が普通に聞こえちゃってるから)
二つ隣の自分にすら聞こえてしまったのだから、真隣の高見にも勿論それは聞こえているものだと思っていたが、なんと高見には聞こえていなかったようで、
「そっか、残念だね……」
と、高見は呑気に肩を落としている。
聞き逃したというよりも、聞く余裕が無かったといった様子だ。
そんな高見を見て、圭太郎はやや引いた。
(お前そんなに俺と歌いたかったの?何なんだよ、こいつは本当に……。てか、う、また見る目が厳しくなってるし……)
高見を落ち込ませたせいか、女性陣から一層睨まれる。ヘビに睨まれたカエルのように、圭太郎は萎縮せざるを得なかった。
脚の力が抜けて、また椅子に座り直す。
「……じとととー……」
何故だか、ソフィアの目付きも同じく鋭くなっていた。
が、やっぱり他の女子達とはジャンルが違う。相も変わらず、ジメジメっとしている。
「ソフィアさん大丈夫?具合でも悪い?」
「いえ、違います。単に虫の居所が悪いだけです」
だけじゃないよ、それ。腹立ってるって事だもん。
圭太郎のヒヤヒヤタイムは続く。
「でも、お互いに歌わないのなら……時間が余ってしまうね。綾坂くんには引き続き、話し相手を頼んでも大丈夫かな?」
いつの間にか気を取り直していた高見が、此方をまた真っ直ぐに見てきていたので、圭太郎は深い溜め息を吐いた。心の底から放っておいて欲しい。
「…………なあ、なんでそんなに俺に構うんだ?それが同情ならやめてくれ。俺は孤立も普通に楽しめるタイプだから、変に心配しなくていい。大丈夫だ」
「同情なんかじゃ無いよ。僕はただ、綾坂くんと仲良くなりたいだけだからね。それ以外の理由なんてある訳ないさ」
「あっそ。同情であって欲しかったよ、俺は」
失う好感度などはもうとっくに無いので、圭太郎はぶっきらぼうにそう吐き捨てた。
椿と博史と同じように、こいつも雑に扱ったって良いだろう。元々、丁重に扱う義理もない。
「ずっと思ってたけど、そのリボン可愛いねっ!ソフィアさんにとっても似合ってるよ!」
ぴくり、圭太郎の耳が動く。
ソフィアのリボンは二つとも自分があげたものなので、その話題に意識が傾くのは仕方がない。これは決して、盗み聞きなどではない。プレゼントした側としては、色眼鏡なしの評価を聞くのも大事なのだ。客観的な視点は役に立つ。
いや別に、誕生日には何をあげようとか、そういうのを考えている訳では無い……という訳でも無いが。
「本当ですか?ありがとうございますっ!お気に入りなんですっ!とってもとっても大事なものなんですっ!」
「へー、そうなんだっ。あ、もしかして、彼氏さんから貰ったのぉー?ほらほら教えてよーっ!」
残念でした。そんな甘酸っぱい代物ではないんだよ、それは。
『彼氏』という単語に、圭太郎は一瞬ドキッとしたが、余裕な佇まいは崩さずに、不敵に笑って聞き流す。
しかし、ソフィアは圭太郎のように冷静ではいられずに、その単語にそれはそれは動揺してしまった。
「い、いえっ……そ、そうでは無いんです……!そうでは、無いんです………。で、でもっ、このリボンはすごくすごく大好きな人から貰った、世界で一番大切なもので……私の宝物なんです……っ」
瞬く間に顔をトマトみたいに真っ赤にしたソフィアが、わたわたと手と首を大袈裟に振ったかと思えば、その次の瞬間にはしゅんと寂しそうに肩を落とし、けれども最後はリボンを愛おしそうに撫でながら、嬉しそうな顔となる。
目まぐるしく変わるその表情とリアクションが、何もかもを物語っていた。
ソフィアさんって、恋する乙女なんだ。この場の全員(圭太郎以外)が直ちに理解する。
(か、可愛いーっ……)
(きゃー!なんかラブコメの匂いがするー!)
(天使だ……天使がいる……)
(ソフィアさんが大好きな奴だと?なんて羨ましい奴……)
その愛らしい姿に女子は色めき立ち、男子は嫉妬に萌えた……ではなく、燃えた。
その一方で、
「…………」
見た感じは特異な反応を見せずに、無言で座ったままではいるが、
(……ヤバい、何か燃えるように顔が熱いんだが……)
その実、大いに動揺していた。ソフィアに負けじと、顔を朱色に染めている。
そこまで大切だとはっきり言い切られると、嬉しい反面気恥ずかしさすら出てきてしまう。
家族からのプレゼントなんだし、大切で当たり前じゃないか。そう自分に言い聞かせるが、中々どうして、鼓動は落ち着いてはくれない。
「綾坂くん」
高見が空気も読まずに、そんな圭太郎へと話しかける。
圭太郎は湧き立つ動揺を隠しながら、
「……何だよ?」
「熱でもあるのかい?顔が真っ赤になっているよ?」
「あ、いや、えっと、これは」
「凄く心配だね」
「いや、本当に何でもねぇよ、本当に」
心配そうに顔を覗き込んでくる高見に対して、圭太郎は咄嗟に顔を隠した。そのまま、首を振る。
今の顔はどこの誰にも見せる訳にはいかない。茹蛸のような顔を見せびらかす趣味は無い。
そんな高見との攻防の最中、不意に、
「…………えいっ」
「冷たっ?!」
ソフィアにびしゃっと、圭太郎は水をかけられた。腹の辺りが着弾地点で、そこを中心に大きなシミが広がる。冷水が布を通り抜けて肌に触れ、とても冷たい。
「あ!す、すいまセン!誤って手が滑ってしまいマシタ!」
ペコペコと平謝りする、ソフィア。
どこか棒読みな気がするが、聞き間違いだろうか。日本語を学習途中だった、ホームステイ序盤を思い出す。
余談にはなるが、
(今、えいって言わなかったか?)
(えいって言ったよね?)
圭太郎と大っぴらに話せるなんてズルいと、高見に対して嫉妬と対抗心と
「本当に申し訳ありません!すぐに拭きますね!」
ソフィアは慌ててハンカチを取り出して、びしょびしょに濡れてしまった圭太郎の制服を、その手で拭き始める。
「そんなに気にしなくていいって……」
なんて事だ。この状況は拙いぞ。
自分の制服を拭いているソフィアを見ながら、圭太郎は現状を嘆く。
不運すぎた。手を滑らせたなら仕方ないが、かと言って、このまま大人しくされるがままも駄目な気がする。
ああ、そうそう。念のため言っておくが、圭太郎は故意だとは気付いていない。不幸な事故だと信じていた。
「いえ、そんな訳にはいかないです!これは私のミスなんですからっ!」
ごしごしと濡れている箇所を熱心に拭きながら、ソフィアが大きく首を振る。
「ああっ!なんて事でしょうか!あちこちびしょびしょになってしまってます!一大事です!これは大変です!危機です!」
一際大きな声を出した後に、ソフィアが圭太郎との距離を更に詰める。もう少しで体と体が触れ合いそうだ。
(いいなあ、俺もソフィアさんに体を拭かれたい……)
(羨ましいにも程があるだろ……!)
嫉妬をとうに通り越して、圭太郎は今、ひたすらに男どもに羨ましがられていた。当然の話である。
やがて、ソフィアが圭太郎の顔を至近距離で見上げる形になった。
「……むう……じとととー……ぷんぷんすかすか……むかむかもんもん……」
などと、ソフィアはオノマトペを呪文のように唱えながら、頬をぷんすかと膨らませながら、圭太郎に対しそのジトジトした青い瞳で、不平不満を存分に訴える。不公平だと言いだけだ。
不機嫌と辞書を引いて、今のソフィアの顔が載っていても、何らおかしくもない。
(ソフィアさんよ、それは一体何の呪文なんでしょうか?てか、なんか朝より断然不機嫌になってないか……?それにこの膨れっ面……だ、誰にも見られてはいないよな?もしも見られていたとしたら、かなりまずい気が……)
既に体勢の時点で大分まずいが、ソフィアのこの顔を見られたら、もっとまずい。どう見ても赤の他人という関係性では無いとバレてしまう。
圭太郎は頬に冷たい雫をたらりと伝わせながら、周囲の様子を確認した。
隣で、
「……ふふ」
高見が笑みを浮かべていた。含みのある笑みを。
その顔を見て、
(くそっ!見られてる!完ッ璧に見られてる!それも一番見られたくない奴に、見られたらまずそうな奴に、何を考えているのか分からない奴に……っ!)
焦り散らかす圭太郎。
平穏の遠ざかる音が、やがて小さく聞こえた。
「(やっぱり仲が良いじゃないか)」
と。
「ははっ、はははっ……。ははは……っ」
圭太郎は大袈裟に笑って見せる。
しかし、
(もうやだおうち帰りたい)
心では泣いていた。
その心は折れそうだった。
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