確かに面倒ごとだが、思っていたのとは違う

 会場は駅前のカラオケ店の、ありふれたパーティールーム。

 そこで三十分ほど前から始まったソフィアの歓迎会は、その途中で熱が冷める場面は一切無く、盛り上がりの一途を辿っていた。

 高見に恋する井上なにがしさんは、どうやらAクラスのムードメーカーを担当しているようで、曲の間奏パートではマイクパフォーマンスを律儀にも欠かさず、


「さあさあ皆さん!どんどん盛り上がっていきましょー!!」


 と、元気いっぱいにマイクを掲げながら皆に呼びかけたりと、八面六臂はちめんろっぴの活躍ぶりである。まだまだ歓迎会も半ばではあるが、MVPは彼女に間違いない。

 肝心の圭太郎はというと、歓迎会が始まってから今に至るまで勿論一度もマイクなど握ってはいない。圭太郎がこんな大人数の前で歌声を披露するような度胸と器量がある筈も無いので、これは大方の予想通りであろう。

 だがしかし、一応は参加させて貰わせて頂いているという身なので全く何もしないという訳にもいかず、周りに合わせて手拍子などをしたりして、圭太郎なりに可もなく不可もなくこの場をやり過ごしていた。

 

 そんな圭太郎の右隣の席では、

 

「ソフィアさんの髪って凄いサラサラだよね。何かやってるの?」

「いえ、特には何もしていませんね」

「えー羨ましいー、いいなーっ!」


 この歓迎会の主役であるソフィアが、女子達と会話に花を咲かせている。

 何ゆえこのような場でも圭太郎の隣にソフィアが座っているのかと言えば、それは偶然以外に何も無い。最初に席をくじで決めたのだが、圭太郎は何故だかソフィアの隣になってしまったのだ。

 それだけならまだしも、最悪の偶然はもう一つ重なってしまった。

 そのもう一つの最悪が何かと言えば、左隣に座っているのが、


「綾坂くんは、今は何かスポーツとかやっているのかい?」


 高見であるという事だ。

 なんたる悲劇、最悪のサンドイッチである。他の面々からすればここは特等席なのかも分からないが、当事者の圭太郎にとってこの席は電気椅子に等しい。

 しかも、だ。何故なのかは知らないが、先程から延々と高見が話しかけてくるのだ。頼むから放っておいてくれ、と言ってやりたい。

 ひとまず圭太郎は首を振る。


「いえ、特には何も」

「そうなんだ。何だか勿体ないね」


 高見が残念そうな顔で、残念そうな声色で、そんな事を言っているが、圭太郎の心は微塵も揺らがない。

 良くある事だ。背が高いというだけで運動神経云々は特に関係無く、運動部からの勧誘ラッシュを受けるものである。もはや自然の摂理と言ってもいい。圭太郎はその全てを袖にしてきたのだから、高見の反応はとうに見飽きたものだった。

 ああ、合点がいったぞ。高見がここに来た理由が、自分にばかり話しかけてくる理由が。


(そうか、俺をバスケ部に引き入れるのが目的か。ここ半年はどこからの勧誘も無かったから、ようやく諦めてくれたものかと思っていたが……ったく、まだいたのかよ)


 部活に入る気なんて圭太郎には毛頭ない。スポーツなんてものには、体育以外で関わるつもりは一生ない。バスケなんて、尚更。

 入学時から圭太郎はそういったスタンスで、勧誘活動に対しては素っ気なく接してきた。だと言うのに、自分ならいけるとでも高見は考えているらしい。才に恵まれた人間特有の傲慢だ。圭太郎にもそういう時代はあった。

 ならば、人生とはそうそう上手く進み続けるものではないと、ここいらで分かっていただくとしよう。これまでよりも断然、付け入る隙すら与えず、高見からの勧誘を跳ね除けてやる。無視だってしてやる。

 圭太郎は固くそう心に誓ったが、


「それにしても、綾坂くんがこういう催し事に参加するタイプだとは思わなかったよ」


 高見のその言葉には、ついつい食い気味に頷きそうになった。

 全くだ、キャラじゃない。これがソフィア以外の歓迎会だったのなら、何の後腐れも躊躇いも無く、肩で風を切って帰っていたに違いない。


「まあその……成り行きで」

「ソフィアさんと仲が良いのかい?」

「まさか、そんな訳が無いじゃないですか。俺なんかが、あり得ないですよ」


 圭太郎はそれをすぐさま否定した。火のないところに煙は立たないと言うが、その火種が生まれる前に消火器をぶっ放す。ボヤすら起こす訳にはいかないのだ。


「綾坂くんがソフィアさんと朝一緒に登校しているところを、偶然見かけてしまってね」


 最悪だ。他の奴らならいざ知らず、あの場を高見に目撃されていたのか。これは早急に言い訳をしないと。

 圭太郎は口を動かす。


「はは、それは勘違いですよ。あれはたまたまソフィアさんが後ろを歩いていただけで、別に一緒に登校なんてしてはいないです。仲が良いどころか、むしろ避けられているように見えませんでしたか?なのにまさか参加を許して貰えるなんて、思いもしませんでしたよ」

「他の皆にはそう見えていたかもね。でも、僕にはとても仲が良さそうに見えたよ」

「勘違いですよ、本当に」

「ふふ、そういう事にしておこうか」


 圭太郎の弁明も虚しく、高見は含みのある笑みを浮かべている。

 しておこうか、ではなく、だったのか、と言って欲しい。追加の弁明を紡ぐ必要がありそうだ。

 圭太郎がぐるぐると頭を働かせていると、


「でも、羨ましいね…………」


 と、心の底から漏れ出たような本音のトーンで、高見がそんな言葉を零した。

 羨ましい。話の流れからして、その言葉が指し示す意味なんて、今はこの一つだけに違いない。


(こいつ、ソフィアの事が好きなのか……?羨ましいってのはそういう事、だよな?

 高見遼……成績は学年トップで、Aクラスの級長。スポーツはからっきしの叡峰において、去年はバスケ部を県のベスト4にまで導いた実力者。

 ソフィアの相手としては申し分ないスペックの持ち主、か)


 なんて事だ。ソフィアを任せられる条件の持ち主が、こんな身近にいてしまった。現れるのが早すぎる。

 ああ、ぽっと出の高見に掻っ攫われてしまうのか……ソフィアが。いや、最初からソフィアは誰のものでもないのだから、その表現は正しくはないが。

 圭太郎は苦悩する。今ならまだ妨害工作を行う事だって、出来なくない。しかし、そんな事をする権利は自分には無い筈だ。恋人が狙われている場合でもない限り、人の恋路を邪魔する権利はない。

 後ろ髪をグイグイ引っ張られながらも、


「安心してください。僕はソフィアさんと仲良くなんて無いですから」


 圭太郎はゆっくり首を振った。

 すると不思議な事に、


「いいや、違うよ」


 と、高見まで首を振る。

 高見はそのまま、圭太郎を真っ直ぐと見つめて、


「僕が羨ましいと思っているのは、君に歓迎会に参加して貰えるソフィアさんが……だよ」


 なんて、この日一番の真剣なトーンで、とても正気とは思えない爆弾を投下してきた。


「……は……?」


 勿論、その言葉に圭太郎は愕然とした。予想だにしていなかった。そんな事を言われるとは。


(こいつは何を真面目な顔で言ってるんだ?それだとつまりはソフィアじゃなくて俺が目当てみたいになるだろ……ったく……え、違うよな?)


 ここまでの会話の流れ的にそうなってしまうのだが、そうなって欲しくは絶対にない。

 ああ、そうだ。これはきっと高見の定番のジョークか何かなんだろう。打ち解けるためのテクニックなのだ。そうに違いない。というか、そうであれ。あってくれ。


「あはは面白い冗談ですね」

「冗談なんかじゃないよ。それに僕たちは同い年なんだから、敬語はやめて欲しいな」

「分かった、敬語はやめてやる。だからそのタチの悪い冗談もやめてくれ」

「だから、冗談なんかじゃないよ。本当に心の底からソフィアさんが羨ましいんだ」


 そこは冗談であれよ。なあ。


「去年の事になるけれど、君は覚えているかな?ベスト4という中途半端な順位ではあったけれど、学校全体で慰労会を開いてくれたんだ」

「ああ、あったな。そんなのも」


 聞かれ、思い出す。

 確かにそんな事もあった。当然、我関せずで帰宅したが。


「綾坂くん、来てくれなかったよね?」

「いや、だってあれ別に強制じゃなかったろ」


 と、圭太郎は自身の正当性を主張する。

 強制ならば渋々とこの歓迎会のように参加したとは思うが、強制でないならば他者に責められる謂れはない。


「僕は君が来てくれる事を期待していたんだけれどね。やっぱり優勝じゃないと駄目だったのかな?」

「そこは別に関係ない、初戦敗退だろうと全国大会優勝だろうと。そもそもの前提から間違ってるんだ。何で俺が参加する必要があるんだよ。正真正銘の部外者だぞ、俺は」


 圭太郎は叩き付けてやった、もっともな正論を。

 バスケ部の活躍なんて、帰宅部の自分には何も関係が無い。自由参加の慰労会なんて知った事ではない。帰宅部は速やかに帰宅するだけなのだ。

 圭太郎はこの話題に関して、絶対的勝利を確信していた。誰にも論破なんて出来はしない。出来る訳がない。

 しばしの間を置いて、高見がぼそりと何かを呟く。とても微かな声だったので、圭太郎は仕方なく耳を澄ました。


「部外者、ね。綾坂くん、君はバスケをやめてしまったのかい?」


 その声の意味を聞き取れた途端に、圭太郎の喉は一気に干上がった。おびただしい量の動揺が血液のように、全身を駆け巡る。バクバクと心臓が早鐘を打ち始める。

 何故、それを知っている……?


「…………な、んの話だ。俺はバスケなんて体育以外で一度もやった事は無い。人違いだ」


 上手く回らない舌に鞭を打ち、どうにかこうにか平静を装い、圭太郎は出来るだけ早く、高見の言葉を否定する。

 声はまあまあ震えてしまっているが、今の精神状態を考えると、これでもかなり上出来だろう。


「……今は、そういう事にしておこうか」

「これからもずっとそういう事だよ。悪いが、それは俺じゃない」


 それだけ言うと、圭太郎は目の前に置いてあるグラスを掴み、そこに入っているメロンソーダをぐいっと口に流し込んで、渇いた喉を豪快に潤した。

 水分補給のついでに、これ以上の問答をする気はないという意思表示ともなっている。


(本当に人違いであってくれ。県外に出る訳でもなく地元に残る道を選んだんだから、昔の俺を知ってる奴がいたって別に不思議じゃない。

 でも……バスケは師匠以外とやった事なんて無い筈だ。大会は勿論、試合に出た事だって一度も無い。無名どころか透明だ。なのに、何で知ってるんだ?)


 水分の補給をしながらも、圭太郎は黙々と頭を働かせていたが、本当にこれっぽっちも覚えは無かった。

 十五秒ほどそうやって考え込んで、


(……まあ、考えるだけ時間の無駄か。分からない事は分からない。どれだけ考えたって意味は無い。なら、そんな無意味な行為をしているよりも……)


 圭太郎はあっさりと、考える事を辞めた。

 答えが出てこない問題を延々と考える事は、貴重なエネルギーの無駄な消耗でしかない。

 それよりも今は最優先で対処すべき問題が、二つも新たに出現してしまっているのだ。

 一つ目は、


「……じとー……」


 ソフィアが何とも言えない目で、さっきから此方を見てきている事だ。その薄く開かれた青の瞳に宿っているのは、紛れもない負の感情。熱帯雨林のようにじっとりとしている。


「ソフィアさんどうかしたの?」

「いえ、何でもありません」


 ふいっ、とソフィアが首を振り、前にツンと向き直る。どこからどう見ても、何でも無いようには見えない。一体どうしてか、不機嫌全開だ。

 まあ、それはこの際良い(良くない)。実はもう一つの問題の方が、遥かに深刻なのだ。

 二つ目の問題、それは、


(くそう……ソフィアさんの隣に座りたかった……)

(……いいなぁ、羨ましい……)

(何なのあいつ、高見くんとベタベタしすぎでしょ)

(思わぬところからライバル出現……っ?!)


 気付けばこの場にいる男子と女子、その殆どから負の感情を向けられているという事である。

 これぞまさしく四面楚歌。肩身が狭い事この上なし。

 一応は味方と呼べる椿と博史は、不運にも遥か彼方の隅の席におり、可能ならば今すぐに席替えをして欲しい。五千円までなら払っても良い。払わせて下さい。


(……さあ、どうするか、この状況。ありとあらゆる方角から敵意を感じる。包囲網を敷かれている気分だ。胃が痛い、帰りたい……)


 とっくに空になっているグラスから断固として口を離さず、依然としてぐいっと傾けたままの状態で、圭太郎は石像のように動きを止める。

 今は少しでも、注目を集めたくなかった。

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