案の定、面倒ごとの予感

 朝から時は流れて、現在の時刻は正午。

 太陽が真上で燦々さんさんと活動している時間帯ではあるのだが、本日の日程は全て終了したのでこれにて解散、放課後となる。


(ふう、今日はつつがなく終わったな。椿からの連絡も一切無し。ま、明日からが本番か。はあ……毎日午前で終わればいいのに)


 凝り固まった体をぐいっと伸ばしつつ、圭太郎は一息ついた。

 イレギュラーなどは特に無く、何もかもが順調に進んだ。毎日がこんな感じであれば良いのにと、心の底から思わずにはいられない。

 午前終了の素晴らしさに敬礼、ピシッ。


 さてさて、ではでは、帰らせて頂こうか。

 圭太郎は椅子から立ち上がろうとした。

 しかし、それを遮るように、

 

「圭太郎、貴様午後の予定はあるのか?」


 と、不躾に投げ付けられる声。

 その発信源の方へと視線を向けると、博史がむっとした顔で此方を睨むように見ていたので、負けじと圭太郎はぶすっとした顔で睨み返し、

 

「別に無いが、お前に割く時間も無い」


 と、吐き捨てるように言いのけた。

 言っての通り、博史にくれてやる時間なんてものは、今の圭太郎には一秒だって無い。

 時間は貴重な資源である。時は金なり、という格言だってある。ソフィアならまだしも、博史にポンとそれをくれてやるほど、圭太郎はサービス精神に満ち溢れた聖人では無いのだ。

 

「ふん、なるほどな。午後は蜜月の時でも二人で過ごすつもりか。どこまでも恨めしい奴だな貴様は」

「ああもう本当にしつこいね、君は。もういいよそれで。お前面倒だから」


 博史なんぞと議論を行う暇もやる気も、圭太郎には微塵も無いので、投げやりにあしらう。

 

「てか、俺の予定が無いってだけだ。あいつに予定が無いとは限らないだろ。転校初日の午後がまるっと空いてるんだぞ?歓迎会でも催されたりするんじゃないか?知らないけど」

「確かにそれはそうかもしれんな。大方の予測通りではあるが、ここからでも凄まじい人気振りが分かる。一つ屋根の下で暮らしているなど露見すれば、貴様の死は間違いなく免れんな」

「不吉な事を言うなよ」


 博史の語った、想定し得る最悪の未来。

 想像しただけで、身の毛がよだった。


 壁がガラスのために、多少の距離があろうとも他クラスの様子はうかがえる。Aクラスとは対極の位置にあるDクラスの教室からでも、ソフィアがチヤホヤされている事が手に取るように分かった。

 なにせ今この瞬間も、ソフィアはクラスメイトの方々に囲まれているのだ。隙間時間が生まれる度にまるで渋谷のハチ公像かのように、ソフィアの元に人が集まっていて、既にクラスの中心人物になってしまっている。

 終わったんだからさっさと帰れよ……と、圭太郎はその事を憎々しく思いかけていたが、慌てて頭を振るった。


『人気者』素晴らしい事じゃないか。なあ。

 

「そう言えば圭太郎、貴様今朝は共に登校してきたのだろう?」

「ああ、まあ、そうだが」


 事情を知る博史には隠す事でも無いので、圭太郎は素直に頷く。

 

「その割には目の敵にされていないようだが……どういう事だ?どうせ手でも繋ぎながら、仲良しこよしで来ていたのだろう?」

「制服を着て顔も晒してる状態で、あんな小っ恥ずかしい事が出来るかよ」


 圭太郎は当たり前のようにそう言った。

 口に出した後に、今のが失言だったという事に気が付いた。

 

「ほう。私服で顔を隠した状態の時には、そういう事をさも普段から行っているかのような口振りじゃないか」


 先ほどよりも俄然鋭い眼光で睨まれる。

 やはり、聞き逃してはくれなかったらしい。

 

「……さぁて、帰るか。お疲れい」


 圭太郎は聞き逃したていを装って、素知らぬ顔ですっと椅子から立ち上がり、颯爽と教室から出ようとしたが、当然そんな事が許される筈もなく、


「逃げるか貴様ぁっ!」

 

 怒り狂った博史に、ガッと胸ぐらを乱暴に掴まれる。

 博史は阿修羅像もかくやの鬼気迫る表情をしていた。これが高齢者だったのなら、憤死という歴史上でしか聞いた事の無い物珍しい死に方を、間近で拝めたのかもしれない。それぐらいに猛っている。

 

「こんのぉっ!!貴様という奴は!!世の報われぬ男達のため!!今ここで手討ちにしてくれるわぁっ!!」

「な、何だよ。別に家族と手を繋ぐ事ぐらい、普通に良くある事だろ。日本の常識が世界の常識だと思うな。イギリスではそうなんだよ、きっと」

「黙れ!貴様だけは許さん!俺の無念を晴らしてやらねば気が済まぬのだ!」

「おい、そこお前の無念なのかよ。それはお前が我慢すればいいだけの話だろうが」

「俺が寮で勉学に身を捧げている間に貴様という奴は!貴様という奴は!本当に貴様という奴はぁっ!!」


 博史が腕を大きく振りかぶったタイミングで、コンコンと小気味の良い音が、廊下の方から突如聞こえてきた。

 反射的に、二人してその音の方へと顔を向けると、椿がガラスの壁を指で叩いている姿が見える。

 

「……ん、椿か……?」

「……ちっ、こんな時に何だと言うのだ」


 そんな椿の横槍によって、破裂寸前だった風船に穴が開き、ヒートアップしていた博史の威勢は急激に萎んでいく。ふう、助かった。

 スタスタと、椿が教室の中に入ってきた。

 

「や、二人とも。お取り込み中のところごめんね。もう少しだけ、ボクは待ってた方が良かったのかな?」

「いや、これ以上に無いタイミングだったよ。助かった」

「それなら良かったよ」

「ふん、正義を執行している最中だったのだがな。まあ良い」


 腕を組んで鼻を鳴らしている博史を、圭太郎は白けた顔で見る。

 あれのどこが正義だったんだ?正義の反対は別の正義だと聞いた事はあるが、さっきのに限っては、どう裏返しても正義にはなれないと思うが。

 

「それで、何の用だ?もしかして何かあったのか?」


 どこか楽しそうな椿の表情を見る限り、何の目的も持たずにここに来たとは思えないので、圭太郎はすぐさま用件を尋ねる。

 

「ああ、そうそう。えっとね、これからソフィアさんの歓迎会をしようっていう流れに今なっててね」


 なるほど、やっぱりか。そんな事だろうとは思っていた。

 想定の範囲内ゆえに、圭太郎は素早く話を進めていく。

 

「分かった。どこでやるんだ?場所だけ教えてくれ。適当にその近くで時間でも潰してるからよ」

「駅前のカラオケ店でやる予定だよ」

「了解。じゃ、サポートよろしくな。何かあったら連絡してくれ」


  駅前なら喫茶店などもあるので、時間を潰すには都合が良い。圭太郎は片手を上げて、そう言い残して、教室を後にしようとした。

 が、

 

「ちょっと待ってよ、圭太郎。ボクがただそんな報告をしに来ただけだと本気で思っているのかい?」


 椿に呼び止められる。

 

「え、違うのか?」


 振り返ると、椿はとても良い笑顔をしていた。しかし、その笑顔には裏があるように見える。いや、確実にあるのだろう。

 どこか嫌な予感がする。

 その予感は味わう暇もなく、

 

「まっさかーっそんな訳無いじゃないかぁ。ボクは二人をお誘いに来たんだよ」


 ほんのすぐに的中してしまった。


「いや、何でだよ。Aクラス主催の歓迎会なんだろ?ならDクラスの俺らはどう考えても場違いだろ」

「ふっ、貴様はともかくとして、俺のポテンシャルはAクラスをも優に超えているのだから、あながち場違いとも言い切れまい……」

「言えるね、言い切れるね。場違いじゃなくてもはや段違いの域だと言えるね」


 くいっと眼鏡の位置を調整しつつ、不適な笑みを浮かべている博史に、圭太郎は冷ややかな目を向ける。

 不意に、椿が近付いてきた。指をくいくいとしており、どうやら耳を貸せと言っているようなので、圭太郎は渋々ながらも屈んでやった。

 

「(やれやれ、圭太郎はソフィアさんが心配じゃないのかい?Aの男子はもう、ソフィアさんに首っ丈だよ?目を離していると危ないんじゃないのかなぁ?)」

「(そ、そこまでなのか?一応はまだ初日だろ?)」

「(うん、そこまでだよ。だって他ならぬ圭太郎が言っていたじゃないか。ソフィアさんは可愛い、って。既に学園のアイドルと言っても過言じゃないかもね)」

「(……そうか。そうだよ、な。そうなるのも必然、だよな)」


 ソフィアがモテるのは分かる。そんなのは分かり切っている。むしろモテない方がおかしい。

 きっとこの先、色んな男達がソフィアにアプローチをかけてくるんだろう。別にそれを止める権利は自分には無い、無いのだが……だが。

 

「(それで、勿論、圭太郎も来てくれるよね?というより圭太郎に来て貰わないと困るんだよ。そういう流れになっているってだけで、歓迎される側のソフィアさんが乗り気じゃなかったら何も始まらないからね。

 ほら、圭太郎も朝に言っていたよね?ソフィアさんはクラスの中心で薔薇色の高校生活を送るべき、って。

 ならさ、歓迎会ってその薔薇色の高校生活ってものの、記念すべき第一歩目を飾るには、ピッタリのイベントなんじゃないのかな?それを無かった事にしていいの?

 ソフィアさんがここで歓迎会をすげなく断っちゃったら、誘いにくい雰囲気とかが今後は出てきちゃうんじゃないのかなぁ?)」

「(う……)」


 そんな椿の圧倒的な正論には、圭太郎でさえ反論が出来ない。

 確かに自分で言った事だ。これを否定したら、朝の自分を否定した事になる。

 

「(来てくれるよね?というか来るよね?来るしかないよね?来る以外に無いよね?もしかして、来る?)」

「(……分かった、行くよ。行けばいいんだろ。俺も是非とも参加させてください)」


 圭太郎はあえなく観念した。戦場に赴く事にした。

 

「(うんうん、それでいいんだよ)」


 と、椿が満足そうに頷く。

 一方、博史はと言えば、怪訝な顔でそんな二人を見ていた。

 

「何をコソコソと話しているのだ?」

「天邪鬼な圭太郎を説得していたんだよ。博史はもちろん来るよね?」

「ふ、無論だ。この俺が助太刀してやろうではないか」

「わー心強いよ」

「で、女子の参加者はどれぐらいいるのだ?」

「あ、それはね」


 そんな風に此方の気も知らずに、能天気に会話を続ける友人共の傍らで、

 

(はぁ……面倒な事にはならないでくれよな。……頼むぞ、本当に……)


 圭太郎は深々と、がっくしと、肩を落とした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る