到着、叡峰学園

 世界有数の資産家である一ノ山総一が十四年前に創立した教育機関であり、そこから僅か十年足らずで全国屈指の進学校にまで登り詰めた叡峰学園は、その知名度と話題性に反して、日本一謎の多い学校として知られている。


 ホームページにも載せられるような簡単な情報以外の何もかもが分厚いベールに包まれており、そのサイバーセキュリティはとても強靭で、全世界のハッカー集団に同時に総攻撃されたとしても、何ら問題は無い強度を誇るらしい。まあ、それが本当なのかは知らないが。


 相応に物理的な防御面にも優れていて、ぐるりと敷地全体を取り囲む高さ五メートルの壁はミサイルを撃ち込まれてもヒビ一つ入らないほど頑丈らしいが、その真偽のほどは定かではないし、その真偽のほどを確かめるような機会が来ない事を祈りたい。


 そして校門はと言えば、当然此方も一際頑丈に造られてはいるのだが、最も特筆すべき点があるとすればそれは、門の真上に取り付けられているゴテゴテとした監視カメラの事だろう。

 前に椿が言っていたのだが、あの監視カメラには最新鋭の顔認証システムやその他諸々の防衛システムがふんだんに搭載されているらしく、部外者が敷居を跨ごうとしたものならその途端、ビュオンとレーザービームが放たれて、肉片の一片すらも残さずに対象を蒸発してしまうらしい……いや、嘘つけ。アメリカでも許されないだろ、そんな恐ろしいシステム。


 一応、唯一の例外として、十月の下旬頃に行われる『解峰祭かいほうさい』の時のみ校内が一般公開されるが、それでも一般の方々が立ち入れる場所は大いに限られていて、世間が求めそうなスクープは一つも手に入れられない仕様となっている。


 さて、そんな訳で、叡峰学園は今説明した通りの徹底的なまでの秘匿主義を掲げている訳なのだが、知っての通り全寮制では無い。通いの生徒も数多く在籍している。

 我が校の理事長いわく、万全な学習には万全な精神とやらが必要不可欠なようで、ここ叡峰では生徒の自主性が極力尊重されているのだ。

 開校初期はその自由主義を良い事に、通学途中の生徒などに突撃インタビューを仕掛けるメディアなども少なからず存在していたようだが、今はそんな事もまるで無い。

 そういう不届きな輩は裏で理事長によって消されてしまったらしい。そう椿が言っていたが、レーザーに比べると話の信憑性が高くて困る。あれほどの金持ちならば無理な話では無さそうだ。


 さて、そんなセキュリティ万全な校門を圭太郎がいざくぐろうとした、その瞬間、


「今日から本校に通う、ソフィア・リプセットさんですね?」


 と、ほんの後ろでソフィアがとっ捕まった。とは言っても勿論不審者にという訳では無く、叡峰学園の職員の方にである。

 ソフィアは転校生という身分なので、朝から色々と説明する事でもあるのだろう。決してレーザービーム対策では無い筈だ。だよな?


「では、此方に来てください」


 ソフィアはそそくさと、そのまま連れ去られていく。

 その途中、


「うう、けいたろぉ……」


 と、何やらソフィアが此方に助けを求めていたような気もしたが、圭太郎は無関係な振りをして、そそくさとその場を後にした。そこに罪悪感などは無い、これは仕方のない事なのだ。

 許せ、ソフィア。


 圭太郎が校門をくぐると、近未来という言葉が良く似合うガラス張りの建造物が、前方にドドンと現れた。叡峰学園の校舎だ。

 一対の高層ビルのような外観の建物で、向かって左の棟は中等部の校舎、右の棟は高等部の校舎となっている。中央の昇降口から中へと入り、そこから二手に分かれていくという構造だ。

 よりイメージし易くその見た目を例えるとすれば、都庁にやや似ている。インスピレーションを受けたのは間違いない。


 昇降口の前には、たくさんの生徒達が集まっていた。

 ワイワイガヤガヤと色めき立っているその人だかりは、二つのグループに綺麗に分かれていた。中等部と高等部の二つのグループに。

 中等部の制服は高等部の制服とは少し違い、深緑の部分が黄緑に変わっているので、その区別は容易い。


 恐らくは、昇降口前に設置されている掲示板でも見ているのだろう。近未来とは程遠いどこにでもある凡庸な掲示板、そこに今年の分のクラス名簿が張り出されているのだ。

 なので右側の掲示板を目掛けて、圭太郎はツカツカと進んでいく。Dクラスなのは分かり切っているので、クラス名簿を見る意味など圭太郎には全く無いのだが、ソフィアのクラスだけは今一度確認しておきたいらしい。

 掲示板に近付くに連れ、喧騒は言葉に変わっていく。


「ありゃりゃー、今年はCクラスかー」

「叡峰のえいはAのえいなり!」

「D……ディスペアの……D……」

「この私がB、ね。ま、別にいいけど」


 中等部と比べて高等部のグループでは、喜びと悲しみの感情が入り乱れていた。高等部は学力順にクラス分けされていくのだから、仕方のない話である。

 どのクラスに割り振られるのかで、今後の人生設計に色々と関わってくるのかもしれない……圭太郎には万に一つも関係の無い話だが。

 

 そんな天国と地獄の境界線じみた人波をするりと掻き分けて、圭太郎は最前列へと躍り出る。

 縦に四枚貼り付けられた紙のうち、一番上に貼ってあった紙へと、圭太郎は真っ先に目を通した。

 

(お、やっぱソフィアはAクラスみたいだな)


 案の定、そこにソフィアの名前はあった。Aクラスの名簿に。

 ついでにはなるが、椿の名前もそこにはあった。当然ながら、圭太郎の名前は無かった。

 真隣で同じようにクラス名簿に目を通していた椿が、わざとらしく肩を落とす。


「あーあ、やっぱり圭太郎はDクラスだったね。同じクラスになれなくて、ボクは残念でならないよ」

「はっはっは、そんなにこの俺と同じクラスになりたいんなら、手でも抜いておく事だな」


 それはそれは得意げな顔で、圭太郎が格好の悪い事を宣う。

 

「なるほど、圭太郎みたいに?」

「馬鹿言え。俺のこれは全力の結果だ。俺は常に全力少年なんだ」

「なるほどね。積み上げたものをぶっ壊して、身に着けたものを取っ払ってるところって訳だ」

「いいや違うね。躓いて転んで置いてかれてるところだよ」


 軽口もそこそこに、二人は人混みから離脱すると、校舎に足を踏み入れていく。

 新たに割り当てられた靴箱の蓋を開けると、新品の上履きがそこには納められていた。学校生活に必要な大抵の備品は、叡峰学園ではこんな風に学校側で用意しておいてくれるのだ。

 それはとても便利な事ではあるのだが、その代わりに身長や体重から得意科目、不得意科目、色々な個人情報をガッチリと握られてしまっているので、手放しに喜んで良いものなのかは疑問である。

 しかし、そのデータ収集も入学時点から開始されるものだと聞いているので、小学校時代はノーカウントだと考えれば、手放しに喜んでも良いのかもしれない。

 上履きに履き替えると、廊下を右手に進んで、二年の教室を目指す。

 一階のラウンジを通り抜けて、ちょうど空いていたエレベーターに、二人は颯爽と乗り込んだ。

  

「にしても、どうしてうちの学校ってのは、変なとこだけアナログなんだろうな。クラスをわざわざ紙で掲示する必要があるか?何のためのエイホンなんだか」


 設備の整った先進的な学び舎に革新的なカリキュラム、その象徴とも言えるエイホン。

 そんな代物があるのに何故掲示板なんかに紙の名簿をペタペタと貼り付けて、旧来のやり方でクラスの発表などするのだろうか。

 そこはお得意の電子データにでもして、パッとワンタッチで送れば良いものを……本当に謎である。

 

「利便性だけが全てじゃないからね。うちの理事長は古来から伝わる由緒正しき青春イベントも大切にしているんだよ。それに何もかもこれ一つで完結させていたら、学校に来る意味すらもなくなっちゃうよ?」

「俺は別にそれでもいいんだけどな」


 さらりと呟かれた圭太郎の言葉を聞いて、椿は短く嘆息する。

 

「はぁ、圭太郎は本当に枯れているね。一度きりしかない高校生活なのに、全部をリモートで終わらせようだなんて愚の骨頂でしかないよ。勿体ないと思わないの?」

「これっぽっちも思わないね。家から出ないで済むなら、それに越した事はない」


 リモート……ああ、何て甘美な響きなのだろうか。家でゴロゴロリモート授業。もういいじゃないか、全部それで。これからは座右の銘をリモートにしたって良い。むしろさせて頂きたい。

 

「まあ、圭太郎の場合は確かにそうかもね。それなら存分に二人っきりになれるもんね」


 椿の勝手な勘違い。同じような事を少し前に言われたばかりだ。具体的に言うと、母親に。

 ガシガシとぞんざいに髪を掻き乱して、圭太郎の口から溜め息がまた一つ。

 

「……ったく、どこぞの母さんみたいな事言うなよ」


 圭太郎がそう愚痴ると同時に、まるでその言葉がキーワードであったかのように、ピンポーンと目当ての階に辿り着き、前方のドアがゆっくりと開き始める。


 そのドアの向こうには、見慣れた光景が広がっていた。

 奥行きの広い開放感のあるフロアが、広がっていた。

 そのフロアの中央には、一階のラウンジまで見下ろす事の出来る大きな吹き抜けがあって、その周囲を取り囲む落下防止用の強化ガラスは、屈強なラガーマンが百人同時に体当たりをしても問題ないらしい。

 

 そんな中央の吹き抜けを仕切りとして、教室が左右に二つずつ配置されている。左側にはAとBクラスの教室があり、右側にはCとDクラスの教室があり、向かって奥側にはトイレがある。

 これが叡峰の各学年フロアの、基本的な構造だ。

 ちなみにトイレ以外の壁もガラス張りなので、教室の中まで丸見えで筒抜けとなっていて、SF映画にでも出てくる実験施設のような雰囲気がほんのり漂っている。

 実際、この学校が設立された理由を考えれば、その側面も確実に孕んでいるのだろう。

 

「さて……椿、後は頼んだ。橋渡しでもしてやってくれ」


 ひょいとエレベーターから降りると、圭太郎はソフィアへのサポートを椿に頼んでから、右に進んでいく。

 椿はAクラスなので、ここでお別れだ。

 

「うん、任せてよ。そうは言っても、ボクの出番なんて無いと思うけどね。今日にでも人気者になっちゃうと思うし」

「ま、そうだろうな。可愛いし」

「急に惚気のろけないでよ」

「俺は一般論を述べただけだ。……何かあったら連絡してくれ」

「何かあったら、圭太郎が殴り込みにでも来てくれるのかな?それは楽しみだね」

「そうならない事を祈っているよ。じゃあな」

「あ、そこ否定しないんだ」


 そんなこんなで椿と別れて、圭太郎は自分の教室へと向かう。

 Dクラスの教室、ガラスの壁の向こう側に、見慣れた後ろ姿があった。

 圭太郎は教室に入り、新たにあてがわれた自分の席へと向かう。その男の後ろの席へと。

 

「よう、今年一発目はお前の後ろか。これっぽっちも、嬉しくはないな」


 椅子に座りながら、圭太郎は悪態をつく。

 するとその男が、博史が、不機嫌そうな顔で振り返った。

 

「ふん、それはこっちの台詞だ。何が悲しくて貴様に無防備に背を向けねばならんのだ。おちおち眠ってもいられん」

「別に寝首を掻いたりしねぇよ。お前にそんな価値ないだろ」


 溜め息と頬杖をつきながら、圭太郎はぼんやりと外を眺めた。

 

「圭太郎、貴様に一つ聞いておかねばならん事がある」

「ん、何を?」


 首を動かすのも面倒なので、圭太郎は視線のみを博史へと浅く向けて、何事かと聞き返す。

 

「あれから一週間もの時が流れた。その間貴様は舶来の美少女と一つ屋根の下で水入らずの生活をしていた、という事になる訳だが……まずこの事について何か反論はあるか?」

「そりゃホームステイだからな。で、だから何だよ?」


 やけに語気が強い博史が一体何を言いたいのか、圭太郎には分からない。

 というかそれ以前に、今は新学期のために教室内が騒然(Dクラスという絶望)としているから良いものの、そういった話題を教室では一切出して欲しくはない。ヒヤヒヤする。

 

「していないだろうな?」

「だから、何を?」

 

 博史の質問の意味が理解出来なさ過ぎて、圭太郎の語気まで思わず強くなった。向けている視線も、少々鋭くなってしまう。

 

「決まっているだろう、不埒な事をだ」

「……は?」


 自分でも分かるほど間の抜けた声が、圭太郎の口から漏れ出た。


「俺が寮で禁欲なる生活に勤しんでいる間に、よもや貴様だけあんな事やこんな事やそんな事まで……毎日毎日、毎晩毎晩、楽しんでいたのではなかろうな……?」


 恨みつらみのこもった博史の声色と口調と表情。

 寮生の博史(むさ苦しい男子寮で日々生活中)が通いの圭太郎(金髪碧眼料理上手デレデレ巨乳美少女と同棲中)に対して、怒りを覚えるのも仕方がないのかもしれない。あらぬ妄想をしてもおかしくはないのかもしれない。圭太郎が刺されてもおかしくはないのかもしれない、いや、刺されてしかるべきだ。

 

「はぁ……ったく、椿といいお前といい……。どうしてこう、男女が二人で暮らしていると聞いたら……そういう下世話な事しか考えられないのか……」


 余りにも荒唐無稽な質問に、ズキズキと頭が痛んでくる。圭太郎は眉間を指で押さえると、深々と溜め息を吐いた。

 今朝だけで一生分の溜め息を、圭太郎は吐いている気がした。既に疲労困憊で満身創痍で、一刻も早く帰りたい。

 

「俺とあいつは全くもってそういう関係じゃない。邪推するなって言ったろうが」

「ふん、どうだかな」

「ったく……」


 また窓の外へと視線を向けて、圭太郎は空を眺める。


(俺がこんなにも憂鬱な気分になっているというのに、空って奴はどこまでも能天気で……綺麗で……う、なんで俺は今ソフィアを思い出したんだ……。あーもう、自分が嫌になるな……)

 

 その爽やかな青にソフィアの面影をついつい見出してしまい、そんな自分にほとほと呆れながら、圭太郎はぐでんと机に突っ伏した。

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