なんだかんだ、過保護

 ソフィアの様子が大変おかしくなってしまった。

 まるでパラレルワールドの世界にでも迷い込んでしまったようだ。

 

 その代わりに近過ぎた距離感は適切に……と言えるのかは分からないが、先ほどまでの肩がくっ付いてしまうほどの超至近距離では無くなった訳なので、ここは適切という事にしておこう。その方が都合も良い。

 距離感のみを考えると、圭太郎が望んでいた通りのものになった。これは泣いて喜ぶべき結果だ。窮地から救ってくれた椿には感謝したってしきれない筈である。

 だってそうだろう?あれから三十秒もしないうちに乗っていた電車は南妻本へと辿り着き、そして多数の叡峰生が続々と乗り込んできたのだ。ああ、本当に危なかった。

 どうにかタイムリミットには間に合った。先ほどまでの距離感のままだったら、既にあの時点でゲームセットとなっていた事だろう。

 平穏な学生生活に、首の皮一枚繋がったのだ。

 

 だと言うのにどうも心がスッキリとしない。計画通り、と言った感じの爽快感がまるでない。

 ガタンゴトンと揺れる電車の中でも、電車から降りて学校へと向かう道すがらでも、


(ちゃんとこの状態から元に戻るんだろうな……?)


 圭太郎はそんな事ばかりを考えて、ヒヤヒヤと心配ばかりしていた。

 ちゃんとした距離感を保った状態で、やや後方を歩いているソフィア。まともだ。まともなのに、違和感しかない。まともだからこそ、かもしれない。

 この一週間は風呂と睡眠以外は常に一緒にいた気がする。外出自体がスーパーへの買い出しぐらいしか無かったので、殆どの時間を家の中で過ごしていたのだから、そうなるのも当然の事だった。

 なので正直なところ、この変テコなソフィアがずっと続いてしまったら、精神衛生上良くない。

 利き手が突然逆さまになったのと同じだ。問題は無いのかもしれないが、強い違和感を覚えてしまう。何だか落ち着かない。

 そんな圭太郎の心情を知ってか知らずか、多分知っているのだろうが、


「やあやあ圭太郎どうしたんだい?とっても浮かない顔をしているように僕には見えるよ?」


 と、えらく楽しそうな顔で椿が話しかけてきたので、


「浮いた顔してるよりかは幾分もマシだろ」


 と、圭太郎はツンとした物言いで返してやった。間髪すらも容れずに、素っ気なく、速攻で。

 

「ソフィアさんの事がそんなに気になるのかい?」

「…………」


 無遠慮に核心を貫かれた。返すべき言葉も見当たらない。だが、素直に気になりますと言うのも癪だ。

 なので、圭太郎は言葉ではなく行動でその質問に答える事とした。無言で振り返り、後方の様子をうかがう。

 

「ぷいっ、です」


 目が合うと同時に、ソフィアが明後日の方向を向いた。明後日どころか、来月ぐらいの方向だったのかもしれない。顔を大きく背けられた。

 その擬音口に出して言う奴っているんだな、と圭太郎は思ったが、それは口には出さないでおいた。

 すっと椿に視線を戻す。


「あれちゃんと元に戻るんだろうな?」

「んー、さあ?」


 両手を上げて、小首を傾げる椿。

 無責任の極みである。まるで他人事のようだ。まあ、他人事ではあるのだが。

 それに元はと言えば此方から頼んだ事なので、強くは出にくい。怒るに怒れない。

 

「さあって、お前なぁ……」


 圭太郎は力無く溜め息を吐いた。今はそれしか出来なかった。

 

「ソフィアさんが元に戻るのかは圭太郎次第だよ」

「俺次第、ねえ……。それなら一体どういうルートを選べば良いんだ?まだ選択肢すら出てきてないんだが」

「とりあえず今すぐにでも抱き締めてあげればいいんじゃないかなぁ?」

「脈絡無さすぎだろ。どんな変態主人公だよ。シナリオライター首にしろ」


 公衆の面前でいきなり抱き締めるなんて、考えただけで体が震えてくる。その選択肢だけは間違っていると胸を張って言える。世界の中心でだって堂々と叫べる。

  

「ねえねえ圭太郎ってさ、性欲とか無いの?」


 本当に唐突に、とんでもない質問を椿がぶち込んできた。

 その質問は爽やかな朝には最もそぐわないものだった。この質問が許される時があるのだとしたら、それはきっと修学旅行の夜ぐらいだろう。いやまあ、その時が来たとしたら、好きな女の子の話題とかそういう定番のにしておいて欲しいが。

 

「こんな朝っぱらから人様に何を聞いているんだい君は。セクハラで訴えるぞ」

「いやだってほらソフィアさんって凄いでしょ?」

「凄いって、何が?」


 椿が何を言いたいのか、圭太郎にも大体は分かる。悲しいが、分かってしまう。

 しかし、例え形式的なものだったとしても、これには素知らぬ振りをしておくべきだ。

 確かにソフィアの胸は大きいが、あと柔らかくもあったが、良い匂いもしたが、そんな事はさして問題では無い。問題では無い……筈だ。多分、きっと、恐らく。

 

「まったまたー分かってるくせにー」


 椿がニヤニヤとした顔で、脇腹を小突いてくる。とても凄く鬱陶しい。

 

「やかましい、変な目で見るなあいつを」

「そういう目で見て良いのは俺だけだ、って事かな?」

「はぁあー……どんな拡大解釈をしてんだよ……」


 深い溜め息が圭太郎の口から零れた。付近の二酸化炭素濃度などに影響を与えてしまいそうなほどの、それは大きな溜め息が。

 

「じゃあさ、もしも僕がソフィアさんの事を好きになっちゃったら、圭太郎はどうするの?」


 椿からの不意の質問。

 今回のは下世話なものでは無かったが、聞かれて気分が良いものかと言われたら、それは何とも言えない。ノーコメントで。

 無愛想な顔で、圭太郎はこう答える。

 

「別にどうもしねぇよ。ただ、そうだな。どんな苦難に陥ろうとも、ソフィアを絶対に守り抜く事を誓え。例え世界を敵にしたって絶対に守ってみせると、俺の前で言い切ってみせろ。生半可な気持ちだったら許さない。ま、それだけだ。簡単な事だろ」

「えー、それって簡単なのかなぁ?」


 首を捻りながら疑問を呈する椿とは対照的に、圭太郎はフッと口の端を吊り上げた。


「はっ、簡単だろ」


 大層不敵な笑みで、そう言い切る。

 

「その程度の覚悟は持って貰わないと困るね」

「普通にハードルが高いよ」

「馬ッ鹿、スタートラインの話を今俺はしてんだよ。ハードルなんてのはまだまだそっから先の話だぞ」

「えー……それならさぁ、圭太郎が思うソフィアさんを任せられる男の条件ってものを僕に教えておくれよ」


 ふむ、と腕を組んで、圭太郎はしばし考え込む。

 やがて、

 

「んー……そうさな、まず大前提としてソフィアを守り抜けないと駄目なんだから、あいつ以上のスペックの持ち主が望ましい。隣に立っていても見劣りしない奴が良い。身長で言えば180以上は欲しいな。あとソフィアは可愛いから、顔だって相応であるべきだ。そして頭もソフィアより良くあるべきだな。ま、とりあえずはそんな感じの奴になら……あいつの事も諸手を挙げて任せられる、と思う」


 と、ソフィアを任せられる男の条件というものを、圭太郎はツラツラと述べていった。

 それって圭太郎の事じゃないのかな?と椿は思ったが、それは口に出さないでおいた。

 

「うーん、本当にいるのかなぁ?そんな凄い人って」

「さて……どうだろうな。ま、冗談だよ。許す許さないだの、任せる任せられないだの、何様だって話だろ。外野がとやかく言う事かよ。好きなら好き、そんだけだ。あいつが好きになった奴なら誰だっていいよ。男だろうと女だろうと、本当に誰でもな。……てことで、はい、これにてこの議題は終了。以上、起立、礼、解散」


 キッパリとそう結論を下して、圭太郎は会話を終了へと導いた。

 あまり話したい内容でも無いし、考えたい内容でも無いので、さっさと終わらせたに違いない。当の本人はその事に気付けていないが、言葉の端々からそんな雰囲気が滲み出ている。


「わー、カッコいい事言うね。惚れちゃいそうだよ、圭太郎」

「普通に気持ち悪いから辞めろ」


 パチパチと手を叩いている椿から視線を外して、しっかりと真正面に向き直ると、大きく歩幅を広げて、ズカズカと圭太郎は進んでいく。


(やれやれ……分かり易いなぁ、圭太郎は)


 そうやって遠ざかっていく圭太郎の背中を眺めながら、椿は小さく肩をすくめた。


(さて、こっちはどうかな?)


 と、椿はおもむろに振り返る。

 後ろでは、


「えへ、えへへへ……作戦ちゃんと成功しています……。圭太郎、私の事すごくすごく気にしてくれてます……、大事に思ってくれてます……。幸せすぎます……」


 先ほどの話題の中心だったソフィアが凄く幸せそうな表情で、絶賛身悶えていた。

 やはり、ソフィアは全部を聞いていたらしい。先ほど圭太郎がツラツラと持論を述べていた時に、ソフィアが聞き耳を立てていた現場を、実は椿は押さえていたのだ。ピコンと直立した犬耳を椿が幻視してしまう程度には、ソフィアは圭太郎の言葉に聞き入っていた。


(わー、ソフィアさんも分かり易いなぁ。ずっと聞き耳を立てていた事に、圭太郎は気付いていないんだろうなぁ)


 やれやれとまた肩をすくめてから、椿は圭太郎を追いかけていく。無論、ソフィアも同様である。


 もう少しで、学校だ。

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