解決したのか?これ

 もう次の駅までの猶予はない。当然、心の余裕もない。

 圭太郎は焦っていた。焦り切っていた。そのせいで更に思考は纏まらなくなり、頭の中が真っ白になっていく。猫の手にすら劣る自信が、今の圭太郎にはあった。

 なので、圭太郎は他力本願を決め込む。椿に何もかもを丸投げする。


「さあさあ椿さん。何か思いつきらっしゃいましたでございやしょうか?」


 恥も外聞もなく上司に媚びへつらう下郎のように、圭太郎は両手を揉みながら椿の助けを待つ。言いようもなく不自然な敬語で。

 悲しいかな、自尊心を捨て去った男の末路である。

 

「んー、そうさねぇ……」


 顎に指を当てて、考え込んでいる椿。

 大いに頭を働かせてくれているようで、その顔は真剣そのもの。ああ、頼もしい。

 

「……むぅ……」


 ちなみにソフィアはと言えば、未だに不満そうなままである。唇を尖らせている。

 

「うんっ、思いついた。圭太郎、大船に乗ったつもりでボクに任せておくれよ」


 椿がドンと胸を叩いて、そのまま胸を張った。自信満々といった感じだ。何やら素晴らしい作戦が思い付いたに違いない。小柄な椿の背中が、今はとても大きく見える。


「おう、任せ尽くした」


 そんな頼もしい背中をバシッと叩いて、圭太郎は椿を戦地へと送り出した。


「あーでも圭太郎」


 うん、何だろうか。椿は何かに引っかかっているようだ。数歩進んだところで足を止め、此方を振り返る。

 

「どうした?」

「ソフィアさんが耳を貸してくれない事には、何も始まらないんだけどね」


 その言葉を聞いて、一体何事かと、圭太郎はソフィアの方を見た。

 すると、

 

「むむむむむぅ……っ」


 そこではソフィアがガルガルしていた。何故だか椿を威嚇している。これは獣だ。でも猛はつかない。小動物が行う、和むタイプの威嚇。

 正直凄く可愛いのだが、圭太郎にはどうしてソフィアがこうなってしまっているのか、やはり見当もつかない。

 しかし、ソフィアには椿の話を聞いて貰わないといけないので、理由は分からずとも、これをどうにかする必要がある。違う、どうにかせねばならぬのだ。

 

「ソフィア、頼む。こいつの話を聞いてやってくれないか?」


 圭太郎はぽんとソフィアの頭に手を乗せると、まずは至って普通に頼んでみる事にした。これで無理そうなら、他の頼み方を考える必要があるのだが、さて。

 

「……圭太郎がそう言うなら、分かりました」


 幸いな事にその必要はなかった。

 ソフィアの牙はあっさりと抜けた。表情は若干不満そうなままではあるものの、瞬く間に大人しくなる。

 

「じゃあ、ソフィアさん。ちょっとこっちに来てよ」


 椿がひょいひょいと手招きをして、ソフィアを呼ぶ。それにつられ、渋々とソフィアが近づいていく。

 圭太郎から少し離れた場所で、二人は話を始めた。

 

「まあまあ、そんなに身構えないでよ。これはソフィアさんにとっても良い話なんだからね。いや、違うね。ソフィアさんにこそ良い話、なんだよ」


 依然として警戒心を滲ませたままのソフィアの気を引くために、椿はわざと含みのある言い方を選んだようだ。

 そしてその企みは、上手く作用する。

 

「私にこそ、ですか?」


 きょとんとする、ソフィア。

 

「ソフィアさんは、圭太郎サイドから求めら」


 ここが攻め時だと、椿が本題へと入ろうとしたところで、

 

「思います。凄く凄く思います。日々思い尽くしています」


 と、当のソフィアによって食い気味に、流れが遮られる。食い気味というよりかは完璧に食い込んでいた。もはや刺さっていた。

 まるで早押しクイズのプロだ。椿が出そうとした問題文を、一字一句完璧にソフィアは先読みしたのだ。

 

「レスポンス早いね、6Gかな?まあ、いいや」


 椿ですらその反応速度に、呆気に取られる。それでもすぐに気を取り直す。

 

「ソフィアさんなら分かると思うけど、圭太郎は気難しい生き物だから、正面から攻めたって上手くいかないとボクは思うんだ」

「そうですね……。私もそう思います」


 非常に真剣な顔で、ソフィアが深く頷いた。圭太郎に関する事はそれ即ち最優先事項なのだ。ソフィアにとっては。

 

「でね、ボクが見たところソフィアさんはグイグイいきすぎだと思うんだ。それじゃあ駄目だと思う。それだときっとずっとこのまんまだよ。俺からいかないとっ!って、圭太郎に思わせないと」


 ビシッと人差し指の先をソフィアへと突き立て、椿が持論を述べていく。

 

「確かに……そうかもしれませんね。でも、どうすれば良いんでしょうか?」


 ソフィアは椿に率直にそう尋ねた。早急に結論を欲する。

 

「日本には押して駄目なら引いてみろって、有名な言葉があってね。今の圭太郎は現状にあぐらをかいちゃってるから、その思い上がりを壊す事が先決なんだ」

「押して駄目なら引いてみろ……」


 反芻するように、小さく口の中でソフィアが呟く。どうやらその考えはなかったらしい。圭太郎を目の前にして引くだなんて、ソフィアは考えてもみなかった。

 

「つまりはツンが必要って事さ。想像してみてよ。例えば今の立ち位置を逆転させてみて、圭太郎が常にソフィアさんとくっ付きたがっている、とでもしようか」


 椿が更に言葉を続けた。詳細な例まで挙げてみた。

 

「……えへへ……それ最高です……」


 それを想像した途端に、ソフィアの顔は真夏のアイスクリームみたいに緩んで溶ける。今にも頬が零れ落ちそうだ。

 

「でね、ある日急にそんな圭太郎が素っ気なくなったら、ソフィアさんはどうする?こうね、近づきもしなければ、目も合わせてくれない、みたいな」

「…………普通に死んじゃいます」


 たちまち、ソフィアはしゅんとした。先ほどから一転して、絶望丸出しの顔になる。

 喜怒哀楽が非常に分かり易い。なお、これも圭太郎の事に関してだけである。

 

「つまりそういう事なんだよ、ソフィアさん。圭太郎だってソフィアさんが急に素っ気なくなったら、絶対に心中穏やかじゃないと思うよ」

「…………」


 ソフィアは無言で聞き入っている。最終盤に差し掛かった受験生のような表情。聞き漏らしなんてあってはいけないのだ。


「それにマンネリ化というのもあるからね。ずっと側にいたら新鮮味が無くなりかねないよ。家でも外でも一緒にいたら、ソフィアさんのいる有り難みを圭太郎は当たり前の事だと思っちゃうし」

「……はい、一理あります」


 ソフィアが頷く。

 

「ソフィアさんが素っ気なくする事で、何だかモヤモヤした気持ちに圭太郎はなっていって、それがどんどん蓄積していって……帰宅時にドッカーンと爆発するに違いないよ」


 大袈裟に両腕を広げて、自信満々な顔で、椿はソフィアにそう言い放つ。話は爆発オチだった。

 これにて、今回のお話は終了。ご清聴ありがとうございました。

 

「……ば、爆発……っ」


 はてさて、ソフィアは想像した。想像してしまった。多分、妄想の方が正しいかもしれない。

 場所は玄関。帰宅するやいなや、圭太郎がバッと背後から抱きついてきた、そういうシチュエーション。

 

『ソフィア、俺もう……我慢できねぇよ。お前が欲しい。今夜は寝かさないぜ』


 いや、誰だこいつ。

 

「……圭太郎……だ、駄目ですよっ……まだここは玄関で…………うへ、うへへへ……」


 だらしないという言葉では到底表現出来ない、何と言えばいいのか、とにかく不味い顔を今のソフィアはしてしまっている。

 それはソフィアという超絶怒涛の絶世の美少女だから許されているだけの事であって、普通の人間がその顔をしていたら通報されるのもやむなしなレベルであった。それぐらいには不味い顔だった。

  

「よし、圭太郎。作戦完了だよ」


 清々しい笑顔の椿が親指を立てながら、戻ってくる。

 

「おい待て、一体何を吹き込んだ?大丈夫なのかあれは」


 圭太郎は顔をしかめながら、様子のおかしなソフィアを指差す。あれはどう見ても正常じゃない。異常が生じている、それもかなり重大な。

 

「大丈夫大丈夫。バッチリ上手くいったから」

「いや、全然大丈夫に見えねぇんだけど……。お、おい、ソフィア……?」


 恐る恐る圭太郎は、そんなソフィアに声をかけてみた。

 瞬間、


「……はっ!」


 弾かれたようにソフィアが顔を上げるも、

 

「だ、大丈夫です!別に圭太郎の事なんて全然大好きなんですからねっ!」


 やはり重大な異常は発生してしまっていた。

 ソフィアのキャラが変わっている。これはツンデレ……にはなっていないみたいだ。口調とかはそうなのだが、良く聞くと全然ツンじゃない。普通にデレデレだ。新手のスタイルだ。

 

「お、おう。俺も大好きだぞ」


 圭太郎は引きつった表情ではあるが、しっかりとそう返しつつ、一時退却を決めた。これは形勢が悪い。状況も何も理解出来ていないまま戦ってもジリ貧になるだけだ、歴史を見れば分かる。

 ゆっくりと後ずさって、元凶であろう椿をとっ捕まえて、またコソコソと内緒話。

 

「(おい、おいおい?お前は本当に何を吹き込んだんだ?どこからどう見てもおかしいだろ)」

「(ぷぷぷっ……。何って、圭太郎が望んでた事をだよ。ボクは適度な距離感が大事ってソフィアさんに教えてあげただけだよ)」

「(距離感を教えてあげただけってなぁ……っ)」


 吹き出している椿をぐっぐっと絞めながら、圭太郎はソフィアの様子をまたうかがう。

 ソフィアは、

 

「ふんっ……です」


 残念ながら治っていなかった。往年のツンデレヒロインみたいになったままだ。腕を組んでそっぽを向いて、頬を膨らませながら、ちらちらと此方に視線を向けてくる。

 これにどう対応すれば良いのか、圭太郎には分からない。正解が見つからない。


(それでどうやったら、こうなるんだよ……)


 確かにこの状態ならば他の生徒に関係性がバレにくいのかもしれないが、それはそれとして、違和感が半端ではない。助かるのだか助からないのだか、難しいところである。

 何だかんだ、椿の考案した作戦は成功しているのかもしれない。ソフィアの事ばかりに気を取られて、圭太郎の心労は絶えないのだから。

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