俺だけじゃどうにもならないね、これは

「ねえ圭太郎、そんな余裕をこいてて大丈夫なの?もうあと四分もしたら、次の駅に着いちゃうと思うんだけど」


 また音を立ててガタゴトと揺れながら走り始めた電車の中で、ふと椿は圭太郎に問いかける。

 目を閉じ腕を組んだ状態で電車のドアに寄りかかっていた圭太郎は、その質問を聞くと同時に、ぱちっとその目を開けた。

 そして、鬱屈とした表情で椿の方を見遣って、

 

「お察しの通りだ。何一つ大丈夫じゃねぇよ」


 と、言い切る。キッパリと、はっきりと、力強く。

 もうお手上げである。何も思いつかない。出す手がない。全方向から銃を突きつけられてるのと同じだ。どうすれば良いというのだ。

 

「?圭太郎、何か気がかりな事でもあるんですか?」


 それを聞いたソフィアが、不思議そうに首を傾げながら圭太郎を見つめる。

 すると、問われた圭太郎よりも先に椿が口を開いた。

 

「ああ、それはね。圭太郎はソフィアさ」


 椿の紡ぐ言葉は途中でブツリと電源を切ったラジオのように、途端に途切れる。

 文字通りの電光石火で、圭太郎が椿の減らず口を閉じさせたのだ。普段のんびりとしたカエルが、獲物が目の前に来た瞬間だけ猛スピードで舌を伸ばす、あの瞬間にとても良く似ていた。


「圭太郎は……何ですか?」

「いや、ちょっとな。ま、気にすんな」

「……?」


 ソフィアが何とも不思議そうな顔で、また首を傾げて見てくるので、圭太郎は首を振って、曖昧な答えでお茶を濁した。

 そのやり取りの途中で、不意に腕を叩かれる。何だよ、と圭太郎が視線を下ろすと、


「っ、っ」


 やや苦しそうな表情の椿が此方を見上げていた。

 喉に食い込んだ腕をペチペチと叩いている。ギブアップの合図だ。


「あ、わりぃ」


 圭太郎は力を緩めて、椿の気道を無事確保。しっかりと呼吸が出来るようにしてやる。

 そのままの流れでコソコソと内緒話を始めた。

 

「(圭太郎苦しいよ)」


 椿が恨めしげに言ってきた。

 しかし、圭太郎は気にしない。それどころか問い詰めるような荒々しい口調で、すぐさま本題を切り出す。

 

「(椿くんや、お前は今何を言おうとしたんだ?)」


 睨みながら、圭太郎は聞いた。

 

「(何って、優しいボクからの手助けの言葉だよ。どうせ圭太郎の事だから、ソフィアさんと一緒に暮らしている事や仲が良い事を学校の皆には隠したい、とか思ってるんでしょ?)」


 淡々と、椿がそう答えた。

 

「(ああそうだ、流石は俺の友達だけあるな。それは合ってるし、間違いなく正しいぜ)」


 圭太郎は頷く。

 が、その鋭い目付きが和らぐ事はない。

 

「(圭太郎……友達じゃなくて、、だよ)」

「(ああそうかい。で、改めて聞くが……何て言おうとしたんだ?)」


 圭太郎は再度、椿にそう尋ねた。

 返答によっては、少々痛い目を見て貰う事になるかも分からない。

 

「(圭太郎はソフィアさんと一緒にいるところを学校の誰にも絶対に目撃されたくないから、一刻も早く離れて欲しいと思ってるんだよ、だね。ボクが言おうとしていた言葉は)」


 椿の答えは本質的には間違っていないのだが、だけど完全に間違っていた。言葉選びと人の心、的な意味で。

 圭太郎はすぐに腕に力を込めた。ギリギリと音が鳴る。首に腕が食い込む音が。

 

「(おいこら、絶対に言うなそんな事。ソフィアが傷付いたらどうすんだよ。大まかな事情が分かってんならもっとオブラートに包んでくれ。あいつ泣かしたらキレるぞ)」


 続けて、マジなトーンで、説教をかます。


「つ、つ、つ」


 蒼白になりかけの椿が、こくこくと必死に頷き、また圭太郎の腕を叩く。

 ぱっと力を抜いて、お仕置き終了。椿がぜーはーと荒い呼吸で、酸素を乱獲する様を眺めながら、圭太郎は短く息を吐いた。

 

「(……やれやれ。そんなに大切に思ってるのなら、周りの事なんて何も気にせず、堂々と一緒にいればいいのに)」


 呼吸が落ち着いた頃合いで、椿が肩をすくめて、やれやれ言う。

 

「(そりゃ家族だからな。大切に決まってるだろ。てか、だからこそだよ。せっかく日本にまで来たんだから、こっちで薔薇色の高校生活ってのを送らせてやりたいんだ。俺の灰色に巻き込む訳にはいかないだろ。ソフィアはクラスの中心でキラキラとした光の中で過ごすべきだ、絶対に)」


 何の気なしに、当たり前だと言わんばかりに、圭太郎はさらっとそう返した。そのごく自然な態度が、圭太郎がソフィアをどれだけ大切に思っているのかという事を何よりも如実に物語っている。

 まあ、だからと言って、圭太郎のその気遣いがソフィアにとっても嬉しい事なのかどうかは、全く別の問題になるのだが。

 

「(……はぁ、本当にやれやれだね。心底やれやれしたくなるよ。というかそれを言うのなら、圭太郎だってそうやって生きるべき存在だとボクは思うけどね)」


 長く深い溜め息を吐きながら、椿はこめかみを押さえる。

 椿はほとほと呆れ果てていた。綾坂圭太郎という色々とアンバランスな男に。どうしてこうひねくれてしまったのかと、思わず聞きたくなってくる。

 

「(ねぇって俺にそんな価値。椿、お前は俺を買い被りすぎなんだよ)」


 そして同じく、圭太郎も呆れ果てていた。

 今の自分は完全な駄目人間であって、決して高評価されるべき人間では無い。グッドよりもバッドをつけられるべきなのだ、間違いなく。

 

「(…………やれやれ。まあいいや。それでどうするんだい?あと三分くらいで次の駅に辿り着いちゃうよ。あそこが最寄りの生徒は多いから、早く対処しておかないとまずいんじゃないかな?)」


 窓の外でビュンビュンと流れ行く景色。今こうやって話している間も電車は確実に進んでいて、命のリミットは減っている。

 圭太郎の歯がガリッと音を立てて、軋む。無意識に顎に力が入っていた。歯を噛み締めてしまっていた。

 

「(…………なあ、どうすればいいと思う?)」


 圭太郎は弱気になっていた。自分の中のみで完結させずに、素直に他者に助けを求めるぐらいには。


「(あれ、珍しいね。圭太郎がボクを頼るなんて。いつもそんな素直な感じだったら良いのに)」

「(茶化すなよ。今はお前だけが頼りなんだ。俺はこの一週間で何も思いつかなかったからな。本当に、何も、全く、全然、これっぽっちも)」


 自分で言っておいて何だが、圭太郎はとても悲しくなった。

 ついでに、情けなくもなった。人に頼るという事に対してのハードルが以前よりも低くなってきている。これもソフィアに頼り切った生活による弊害か……。

 

「(そっかそっか。そんな風に言われたら、ボクも頑張らない訳にはいかないね)」


 椿がいやに嬉しそうな顔で言う。

 

「(助かるぜ。俺の平穏なる高校生活のために、君の頭脳を存分に貸してくれたまえよ)」


 味方が出来た事で、圭太郎の心はふっと軽くなった。『三人寄れば文殊の知恵』とは良く言うが、二人でも大分心強い。それにもう一人の候補は役に立たなさそうなので、むしろ二人が最善かもしれない。

 心の余裕が出来た事で圭太郎の表情には柔らかさが出始めた、ところで、ぐいぐいと結構強めに、圭太郎は引っ張られる。視線をそちらに向けると、


「………………」

 

 大層不満そうな顔をしたソフィアが、そこにはいた。何かを目で強く訴えてきている。

 

「ん、どうした?」


 圭太郎が尋ねてみると、

 

「何というか、何だか……ムカムカします」


 と、ソフィアは返した。

 それは実に要領を得ない内容だった。ソフィアが何に対して不満を感じているのか、全くもって圭太郎には分からない。

 しかし、椿には伝わったらしい。


「あははっ」


 椿は愉快に笑っていた。

 それを見た圭太郎は、何だか少し悔しくなった。だが、いくら考えても分からない。考えれば考えるほど、ドツボにはまっていくような気がする。

 

「ソフィアさん、ごめんごめん。だけど安心してよ。ボクと圭太郎は親友同士であって、それ以上でも以下でもないからね。それに男同士だし、あ、でもこれはそんなに関係ないか」


 椿が笑いながら、そんな理解不能な事を宣う。

 椿の言葉を聞けば何か分かるかもしれないと、圭太郎はほんのり淡い期待を抱いていたのだが、その期待は非情にも裏切られてしまった。尚更、分からなくなってしまった。

 それでも一つだけ分かった事があるとすれば、胃の中がムカムカしている、という訳では無さそうな事……ぐらいか。うん、それはやっぱ違ったか。

 

「んー……」


 ソフィアと椿を、交互に眺める。

 不満なソフィアと笑顔の椿を、交互に眺める。

 それでもやはり、何も分からない。

 

「んんんんー……??」


 圭太郎は首を捻る。ちょっと痛くなりそうなぐらいに首を捻る。

 他の乗客も合わせ、それでも圭太郎だけが、この場で何も分かっていなかった。

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