駅へ
朝食を済ませたら、しばらくはテレビでも眺めながら、予定の出発時刻まで、まったりと穏やかにソフィアとのひとときを過ごす。
それにしても本当に不思議なものだ。至福の時間というものは瞬く間に過ぎ去っていく。
二十分以上はボーッとそうやって過ごしていた筈なのに、体感は三分程度、気づけばもう出発の時間となってしまっている。
「はぁ……んじゃま、行くか」
のそのそと、それは面倒臭そうに、圭太郎は椅子から立ち上がった。
続いて、そんな圭太郎とは対照的に、
「はいっ」
と、すたっと華麗にソフィアが立つ。
リビングを出て、廊下を歩き、二人で玄関へと向かう。
玄関に辿り着くと、先に圭太郎が靴を履いて、普段よりやけに重く感じる扉を、ゆっくりと開け放った。
本日の天気は、快晴。
日本各地で行われるだろう入学式。その主役である若者たちの門出の日としては、幸先の良い最高の空模様。
が、圭太郎にとってはただただ鬱陶しい。てか眩しい。空が青すぎる。暑い。帰りたい。まだ玄関を出て一歩目だというのに。
「……うへぇ……」
圭太郎がザ・憂鬱といった表情で青い空を見上げていると、
「今日もいい天気ですねっ!学校日和です!」
と、満天笑顔のソフィアがぴょんと軽やかな足取りで、開きっぱなしの扉から姿を現す。
ふぁさっと揺れる金髪と青いリボンが、降り注ぐ日光に照らされて、透明感が物凄い。陰鬱な圭太郎とは正反対である。
「……そうだな。初日から雨の中を歩くよりかマシか」
「……雨」
圭太郎は快晴の良い点のみに目を向けて、自分自身に言い聞かせるようにそう呟いた後、扉を閉めて鍵をかけて、太陽の下をスタコラと歩き始めるが、ソフィアが自分に付いてきていないという事実に早々に気が付く。
門の手前で足を止め、振り返ってみると、玄関の前で俯いているソフィアが見えた。
「ソフィア?」
「あ、すみません……っ」
圭太郎が名前を呼んでみれば、すぐにソフィアは顔を上げて、小走りで駆け寄ってくる。
「どうかしたのか?」
「あ、えっと……雨もいいなぁ……と思いまして……っ」
「え、何でだよ?」
ソフィアの言葉を聞いて、圭太郎は思わず首を捻ってしまう。
するとソフィアはまた下を向いて、小さな小さなか細い声で、
「その、あの……雨なら、傘を……こう、一緒に……出来たりして……みたいな、その……」
と、途切れ途切れに、しかし身振り手振りを使って、考えている事を懸命に圭太郎へと伝える。
ソフィアが何を自分に伝えたいのか、圭太郎は直ちに察した。つまりは相合傘の事だ。間違いない。
「だ、駄目ですか……?」
ちらりと、ソフィアが子犬のような目で、見てくる。
これをキッパリと断れる人間がいるのか、圭太郎は全人類に聞いてみたくなった。仮にいたとしたら、ソイツは人の心というものを持っていないに決まっている。
「……まあ、雨降った時に、な。別にいいぞ、そんぐらい」
案の定、圭太郎は断れなかった。この一週間で圭太郎も随分と変わってしまった。というより、昔に戻ったと言うべきか。
根本的に圭太郎という男は、ソフィアには常に笑顔でいて欲しいと考えているので、頼みを断る方が実は不自然なのである。でなければ子どもの頃とは言え、風呂も寝床も共にしている筈が無い。
「ほ、本当ですかっ!?やったっ、雨の日が楽しみになりました……っ!早いとこ降って貰いたいものです……っ!」
周囲が一段と明るくなったと勘違いする程度のキラキラ笑顔で、ガッツポーズを繰り出すソフィア。
その姿を一瞥してから、圭太郎は門を出て、駅へと向かい始める。勿論、ソフィアを隣に携えた状態で。
「あれ……そう言えば圭太郎、手ぶらですけど大丈夫なんですか?」
圭太郎と同じ学校というシチュエーションに浮かれていたせいか、注意力散漫になっていたソフィアは、圭太郎が鞄すら持たない真の手ぶら状態だという事に今更になって気が付く。
「ん?ああ、大丈夫だ。とりあえずこれさえ持っとけば、後は万事どうにでもなる」
制服の内ポケットに手を入れて、薄っぺらい板のようなものを圭太郎は取り出した。
片面はツルツルとしており、もう片面は黒色で、その中央には雲を貫く山が緑色で描かれている板状のソレは、小型のモバイル端末。
「?スマートフォンですか?」
ソフィアが小首を傾げた。
「あ、そっか、お前まだ持ってないのか。なら、説明してしんぜよう」
その反応を見た圭太郎は、ごほんと一度咳払いをした後に、手に持った端末を左右に揺らしながら言葉を紡いでいく。
「これはエイフォン。我が校の生徒手帳であり、教科書でもあり、先生でもある、超便利アイテムだ。正式名称は革新教育補助電子機……だったっけな、確か」
新時代の教育方法の確立、とかいうなんともふわっとしている我が校の理念を、現実のものとして裏付ける為に必須なアイテム。
それがこのエイフォンだ。
「ほへぇ……日本の学校って凄いんですね。まるでアニメみたいです」
間の抜けた声を出しながら、圭太郎の持っている見知らぬ機器を、色んな角度から興味津々といった様子で、ソフィアは見る。
「いや、うちの学校が特別なだけ。トップが人材教育にお熱な方でよ。てか……マジで何も知らずにうちを選んだのか?」
少々特殊な我が校の教育方針については、学校選びの際に嫌でも目に入ると思うのだが、ソフィアは本当に何にも知らないらしい。
「む、そんな事ないですよ!何も知らなくはないです!圭太郎の学校って事は知ってましたもん!」
頬をぷくりと膨らませながら、ばばんとソフィアが胸を張った。
「それは何も知らないのと一緒だ」
と、圭太郎はそれを一蹴した。
「別に中のシステムなんて知らなくたって問題なしです!私にとっては圭太郎がいるのかいないのか!ただそれだけが問題なんです!それ以外は取るに足らない事なんです!」
ソフィアが堂々とそう宣言した。やはり何も知らないらしい。完全に開き直っている。
勝手に出てきそうになる溜め息を堪えながら、圭太郎はソフィアを見遣った。
「その考え方だと、俺が不登校になってた場合は一体どうしたんだ?」
「無論その時は一緒にレッツ不登校です!」
またもやソフィアが胸を張る。当たり前だとそう言い切る。
「おい、そこは引きずり出せよ。一緒に茨の道を歩もうとすんな」
「ふっ……分かってないですね、圭太郎。茨の道を歩くなんて、そんなのどだい無理なお話なんですよ。だって圭太郎と一緒の道が茨になんてなりっこないんですから」
ちっちっちっと、ソフィアが不敵な笑みで指を振る。多少なりともイラっとしそうな仕草なのだが、ソフィアの場合は可愛さが優に上回っていた。
「それどう考えても逆だろ、逆」
「?どういう事ですか?」
きょとんとした顔で、ソフィアは圭太郎に尋ねた。圭太郎は今日までの生活を振り返りながら、淡々とした口振りで答える。
「お前と一緒だから楽な道になる、って事だよ。だってお前、道にある棘を片っ端から切り取るだろ?こんな贅沢な生活を後二年も送ったら、俺はもう一人で生きていかれる気がしないぞ」
「ですから、そうなっちゃえばいいんですよ。いえ違いますね、そうなるべきなんです」
ああ、何だそんな事か。心からそんな風に思ってるだろう雰囲気で、ソフィアはこともなげにそう言った。
圭太郎はがくりと肩を落とした。
「なるべきって……おい。この世には人を駄目にするソファってのがあるけど、お前はあれだな、人を駄目にするソフィアだな」
「正しく言い換えると、圭太郎を駄目にするソフィア、ですね」
しれっと訂正。圭太郎以外は本当に駄目らしい。圭太郎という枕詞をちゃんと入れておかないと、逐一訂正してくる事だろう。
「二年後の自分を想像するだけで、ゾッとするぜ。歯磨きすら自分で出来なくなってそうで怖い」
圭太郎は半分ではなく冗談九割ぐらいで言ったつもりなのだが、
「あ、それ良いですねっ。今日の夜から私がやりましょうか?」
ソフィアは真に受けてしまったようだ。積極的に申し出てくる。
「勘弁してくれ。絵面が酷すぎる」
一瞬想像しただけで、とても恥ずかしくなった。もはや新手の拷問にすら思える。圭太郎にとって仕上げはお母さんですら、まあまあ恥ずかしかったというのに。
「もう、遠慮なんてしなくていいんですよ?存分に駄目になってください」
「もう充分駄目になってるって」
「ノー、まだまだですよ。まだ圭太郎には駄目になる素質が残ってます。一人で着替えをこなせている時点で論外です」
「それもう駄目以外の別の何かだろ……」
遂には堪える事も出来ずに、深い深い溜め息が、圭太郎の口から勝手に零れ落ちた。
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