さて、どうしたものか

 身支度を整えた圭太郎が、階段を降りてリビングへと足を踏み入れる。

 すると、それはそれは美味しそうな料理たちが、食卓の上にずらりと並んでいる光景が、いの一番に圭太郎の目に入ってきた。

 そこからはとても良い香りが漂っていて、早朝から食欲を大いに掻き立てられ、自然と早足になってしまう。


 ささっと席について、


「いただきます」


 と、ソフィアと食材への感謝の念を圭太郎が熱心に捧げると同時に、飯時の恒例行事が本日も幕を開けた。


「はい、あーんですよ」

「あむ、ん……」


 隣に座っているソフィアが口元へと運んできた料理を、圭太郎が口を開いて召し上がる。

 その一連の流れはこの数日でどんどんと洗練されていき、今では無駄というものが一切無くなっていた。


「どうですか?」


 こてんと小首を傾げながら、ソフィアは味の感想を圭太郎に尋ねる。

 圭太郎が最初に食べさせれた料理は、卵焼きだ。

 圭太郎はしょっぱいものよりも、甘い卵焼きを好んでいる。

 その事をソフィアに伝えた覚えは無いのだが、何故かソフィアの作ったそれは、自身の好みに合致しすぎるものだった。

 噛む度に口中に広がっていく甘みに対して、物足りないとかやりすぎだとか、そういった負の感想を抱く事はまるで無く、揚げ足取りすら出来ない完璧な仕上がり。


 率直に言うと、


「美味い。今日も世界一美味い」


 美味すぎた。物凄く美味すぎた。


「えへへ、良かったです。どしどし食べちゃってください」


 その感想を聞いて安心したように表情を綻ばせたソフィアが、次なる逸品を摘んだ箸を圭太郎の口元へとまた近づけていく。

 圭太郎もまた口を開いて、流れるようにそれをいただく。


(…………ソフィアに食べさせられるのも、もう違和感すら無くなったな。この一週間、自分では箸を全く使ってない。美味いのに不味いぞ。これが更に習慣になっていくと、学食で食ってる時も無意識に、雛鳥みたいに食べさせ待ちになりかねない)


 ほんの一週間前までは想像もしていなかった現状。ガラリと一変したライフスタイル。

 一生自分がやる事は無いと思っていた、あーんなどという恥ずかしい行為ですら、すっかりと身に染み付いてしまっている始末だ。


(今日は初日だから午前で終わるけど、明日からは本格的に学校が始まるな。はぁ……早起きとか授業とかよりも、昼飯を憂鬱に思う時が来るとは……)


 これからの学校生活の懸念材料には、学食も既に追加されている。

 食べさせられる事に慣れてしまったのも勿論あるが、それよりもソフィアの手料理を知ってしまった事が、かなり大きい。

 今の自分が学食の味で満足出来るのかが、甚だ疑問である。

 

「おかわりだってありますからね」

「…………」


 やっぱり食べるのぐらいは、自分でやるべきだろう。

 ソフィアが嬉々としてやってくれていたとしても、だからと言ってそれに大人しく甘えていて良いのか。いな、良くない。

 数多存在する生き物の中で、人間とは唯一遠慮の出来る生き物の筈だ。甘えているだけでは動物と何ら変わらない。

 

「圭太郎?」


 真剣な表情で考え込んでいる圭太郎を、ソフィアは不思議そうに眺める。

 

「………………ま、いいか」

「……?」


 結局、圭太郎はこの食事スタイルを継続する事を選んだ。

 あれだ。無駄なエネルギー消費を避けられるのだから、別にこれは悪い事ではない。効率よりも省エネだ。他意はない。

 圭太郎はそう自分に言い聞かせた。何とも自分に都合の良い考え方である。

 

(そんな事よりも登校だよ、登校。なあおいどうすんだ?制服姿は目立つし、身長も目立つ。マイナス×マイナスがプラスになるのと同じ感じで、逆に目立たなくなるとかは無いか?うん、無いわなぁ……)


 最優先で解決しなければならない問題に、圭太郎は再び頭を悩ませ始める。此方の案件は早急な対処を行う必要があるのだ。


(やっぱり制服を着るのをやめるのが最善か。仕方ない……心は痛むけど、前言を撤回しよう)


 色々な対策案を考えてはみるが、やはり制服を着るという選択がまず良くない。大前提として、自由自在な私服であるべきだ。

 何をどう考えても最善策は、二度着替え作戦しかない。

 心の中で土下座しつつ、圭太郎が口を開こうとして、

 

「なあ、ソ」


 と、頭文字を口にした辺りで、

 

「それにしても圭太郎の制服姿は、とってもとってもカッコ良いですね……!似合ってますっ!」


 キラキラ笑顔のソフィアに、フィとアの二文字を遮られる。

 

「……そ、そうか?」

「はい!そうなんです!」


 思いもよらなかったその言葉に、呆気に取られた圭太郎がそう尋ね返すと、ソフィアは食い気味に強く強く頷いた。

 

(む、無理だ。こんな嬉しそうなソフィアの笑顔は俺には崩せない。くそ、どうすれば……っ)


 こんな顔を見せられたら万事休すだ。どうすれば良いと言うのだ。

 開き直って、これ見よがしに、堂々とソフィアと歩けとでも、神は言っているのか。ふざけるな馬鹿。

 

(そ、そうだ。何かしらの設定を作ろう)


 ここはむしろ前提を変えて、ソフィアと共に登校するための自然な言い訳を、他者に説明するのに最適な設定を、圭太郎は考える事にした。

 必死に頭を働かせる。


(たまたま近所に留学生の子が引っ越してきて、学校までの道が分からないと言うから、人助けの一環として一緒に登校する事になった……ってのはどうだ?うん、こんなのあるあるだろ。超ありふれたもんだろ。それに学校では極力交流を避ける方針な訳だし……そう説明すれば、きっと大丈夫だ)


 それは確かにあるあるではあった。アニメやラノベなどと言った、二次元の世界の……とはなるが。

 つまりは、何も大丈夫では無いという事である。

 圭太郎は完全に混乱していた。訳も分からず自分を攻撃しそうになっていた。


「圭太郎、あーんです」

「ん……ぐ」


 差し出される箸にその都度口を開いて、脳を動かすのに必要なエネルギーを摂取しながらも、圭太郎は思考を絶えず巡らせる。

 

(楽観的にいこう、楽観的に。ネガティブに考えていると、それにつられて結果まで悪くなるってのは世の常だ。ポジティブシンキング、ポジティブシンキング。世界は案外優しいものなんだ……きっと、おそらく)


 マイナスな考えを切り捨てて、プラス思考に切り替えようと、思考を巡らせる。

 それは殆ど現実逃避と呼ばれる類の行為だった。


(そうだよ、別に大丈夫だろ。ソフィアと一緒に登校したところで何だ。ボディガードみたいなもんだ。だってどう見たって必要だろ、ボディガード。今ニュースに映っているアイドルよりも、断然ソフィアの方が可愛いんだぞ。一人でなんて絶対に歩かせられねーよ)


 ちゃんちゃかと流れているテレビの方を見て、その画面に映っている今をときめく人気アイドルらしい女性と、隣に座っているソフィアを見比べながら、圭太郎はそんな事を考える。

 うんうんと一人頷きながら、大義名分を絶賛作り上げていると、袖をくいくいと不意に引っ張られた。

 一体何事かと圭太郎が意識をそちらに向けると、


「……あ、ああいう人が圭太郎のタイプ……ですか……?」


 と、ふるふると怯えた様子のソフィアが、今にも消え入りそうな震え声で、おどおどと聞いてくる。

 その表情は大層不安げで、サファイアのようなソフィアの綺麗な青い瞳は、ゆらゆらと落ち着きなく波打っていた。

 

「ん?いや全然」


 圭太郎はあっさりと、首を横に張る。

 

「ほっ……良かったです……」


 それを聞いたソフィアは胸を撫で下ろし、安心しきったような表情で、一息ついた。

 

「圭太郎、何か難しそうな顔をしていたので……てっきり見比べられているのかと思いました……」

「あー……悪い、それは合ってる。ソフィアなら余裕でアイドルとかになれるよな、と思ってさ」

「そ、そんな事ないですよ……っ」

「いや、そんな事あるだろ」


 トップアイドルすらも霞む美貌を誇るソフィアをじーっと眺めながら、圭太郎はズバリと言い切る。反論の余地も与えないその口調は、確信めいていた。

 ソフィアがなれないなら、一体誰がなれるんだ?と思わずにいられない。冗談抜きに世界で一番可愛いまで、普通にあり得る気がする。

 最近はテレビやネットで女優やアイドルなどを見る度に「ソフィアの方が可愛いな」というふとした感想が、頭の片隅に勝手に浮かんでくるほどだ。


「ま、自信持てって。可愛いからさ。確実に世界一ぐらいのレベルで」

「そ、それは褒めすぎですよ……でも嬉しいです……っ」


 圭太郎がしっかりと口に出してソフィアを褒めた途端に、ぎゅううと右腕全体を抱え込まれるように抱きつかれた。

 抱き付いているソフィアは頬を染めて、口元を緩ませて、幸せオーラ全開である。


「新品の制服がしわくちゃになっちゃうぞ」

「……えへ、えへへ……そんなの別にかまやしないです……っ」


 遠回しにソフィアに離れるのを促してみるも、全く聞く耳持たずで、逆にもっと擦り付いてきた。

 万が一にでも、学校でソフィアにこんな風に抱きつかれたとしたら、その瞬間に全男子生徒の敵として認定されかねない。

 学校では距離を置いておこうという考えは、やはり正しかった。家族だどうだと主張しても、こんな姿を見られたら、聞き入れて貰えないに決まっているのだから。

 

「け、圭太郎も……あの人たちより断然カッコ良いですよ……。世界一カッコ良いです……っ」


 次のニュースへと移り、男性のアイドルグループが映っているテレビの画面をちらりと見てから、ソフィアは圭太郎にこしょこしょとそう囁いた。

 それを聞いた圭太郎はと言えば、同じようにテレビに視線を向けた後に、けろっとした様子で、


「いや、それは無いだろ」

「それしか無いですよっっ!!!!」

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