今日から学校

 時刻は朝の六時。

 チュンチュンと小気味よく小鳥がさえずっている時間帯。

 まあ当然のごとく、この時間帯の圭太郎はと言えば、ぐうすかと盛大に爆睡をかましていた。

 そんな圭太郎に対して、そろそろとにじり寄る人影があった。


「圭太郎、朝ですよ。起きてください」


 勿論、その人影の正体とはソフィアである。

 眠りこける圭太郎の肩に優しく手を添えて、ゆさゆさと揺らし、今日も今日とて起こしに来たのだ。

 全く起きる気配が無い圭太郎を起こすべく、ソフィアは重要な単語を口に出していく。

 

「早く起きないと、しちゃいますよ」


 遅刻。

 そう、今日からもう学校である。

 三日目以降も何ら変わり無く、ソフィアにご飯を食べさせて貰ったりと、怠惰で幸福な日々を過ごしていたせいで、残りの五日間もあっという間に過ぎ去っていった。

 気付けば、新学期が幕を開けようとしている。

 

「んん……遅刻……そっか、今日から学校かぁ……」


 ソフィアの作戦通り遅刻という単語を聞いて、圭太郎は目を覚ました。


「そうですよ。今日から学校なんですから二度寝はめっですよ」

「……はぁー…………」


 眠気も段々と覚めてくるが、代わりに憂鬱な気分がどんどんと増してきて、圭太郎の口からは深い溜め息が勝手に溢れ落ちた。

 二週間の休みに慣れた甘えん坊の体が、学校という存在を拒否している。てんでやる気が出てこない。

 

「ほらほら、早く起きてください」

「……はいはい。起きる、起きますとも……」


 ソフィアに急かされて、仕方なく圭太郎はその身を起こしていく。

 ナマケモノもかくやのスピードで、ノロノロと布団から体を出していく。

 

「……おはよ」

「おはようございます、圭太郎」


 まだピントが上手く合わない両目を擦りながら、圭太郎はソフィアの方を見た。

 

「…………」


 すると、無言になった。

 

「ど、どうでしょう……?似合っていますか……?」


 ソフィアは緊張の面持ちで、髪をすっと耳にかけながら、恐る恐る、圭太郎へとそう尋ねた。

 

「………………」


 今のソフィアは、叡峰の制服に身を包んでいた。

 叡峰学園とはその名の通りに、山をモチーフにした学校である。

 スクールカラーは黒と緑。左胸に校章の付いたダブルボタンのブレザー、スラックス、スカート、共に全て黒を基調としている。

 リボンとネクタイは濃い緑色。裾や袖、襟やポケットなどの細かい部分にも、同様に濃い緑が刻み込まれており、それが良いアクセントになっている。

 因みに校章は雲を突き抜ける山頂というデザインで、これには頂上を目指せという意味が安直にも込められているらしい。

 ソフィアは恐ろしいぐらい完璧に、そんな我が校の制服を着こなしていた。

 

「け、圭太郎……?」

「……似合ってる。可愛いというか、綺麗だ」


 暗色の色合い。クールで凛とした印象を見る者に抱かせるのが、叡峰の制服である。

 なるほど……。これは高嶺の花、と言ったところか。

 このソフィアが街中を歩いていたとして、その姿を他者が見たら、この女の子は自分とは住む世界が違うのだと、誰しもが一目で容易に分かってしまう事だろう。

 

「そ、そうですかっ?……えへへ、良かったです……」


 圭太郎の感想を聞くと、ソフィアの表情筋は即座に力を失い、一瞬ホッと安心したような、そしてすぐに嬉しそうな笑顔に変わった。

 

「私ずっとずっと日本の制服に憧れてましたから、圭太郎と同じ学校に通って同じ制服を着れる事が、嬉しくて嬉しくて仕方ないですっ」


 外国人に良くある、アニメを見ての憧れか何かだろうか。

 ソフィアが握り拳をぶんぶんと揺らしながら、キラキラと輝いた瞳でそんな事を言っている。

 

「…………あー、えっとだな」


 圭太郎は視線を逸らし、頰を掻く。

 

「圭太郎?どうかしましたか?」


 ソフィアが首を傾げる。

 

「俺はその、制服とか、着ない、タイプで、さ」


 残酷な事を言っている自覚があるからこそ、圭太郎は辿々しく、一語一語途切れさせながら、心底気まずそうにその言葉を紡ぐ。

 

「………………ど、どうしてですか?!」


 ソフィアが目をまん丸にしながら、慌てふためいた。


「いやあの、別にうちの学校は制服が強制って訳じゃないから、一応は私服でも問題は無くてだな」


 圭太郎の言う通り、校則の上では決して問題無い。

 なので全く悪い事では無いのだが、まるで法でも犯しているような気分に、圭太郎はなっていた。

 

「そ、そうなんですか……」

「あ、ああ」

「……それなら、仕方ないですね……」


 ソフィアが肩をがっくりと落とし、俯いた。

 その姿を見ていると、

 

(こ、心が痛い。でも許してくれ。うちの制服って着てると目立って仕方ねぇんだよ……)


 チクチクでは無くてザクザクと心を滅多刺しにしてくる、罪悪感の鋭い刃。

 

(それもこれも……結構な進学校なのがデカい。しかも都会じゃなくて田舎で、だ。加えて少数精鋭を謳っているせいで、他の学校と比べて生徒の数が少ないってのも良くない。それに制服の色合いも悪い。何だよ黒と濃い緑って……悪役かよ)


 叡峰生は希少な生き物なので、目立つ。

 圭太郎からすると制服を着るメリットというものが、これっぽっちも思い浮かばない。

 しかし極一般的な叡峰生からすれば、叡峰の制服はどんな高級ブランドよりも価値を持っているらしい。

 叡峰に通っているという事に対する誇りと、自分は優れているという尊大な自尊心、それを周囲に誇示するのに一番手っ取り早いのが、制服だ。これ見よがしに着ている者が大半である。

 背中にデカデカと叡峰の二文字が刻まれた学校指定のジャージなども、叡峰生の休日のコーデとしては結構な定番とどこかで聞いた事もある。

 圭太郎からすれば、信じられない話だ。

 

「……はぅ……残念です…………」


 ソフィアがしょもしょもと指を弄りながら、憂いの息を吐いている。

 

「…………まあ、でも……」

(おい待て、何を言おうとしてるんだお前は)


 入学式と卒業式以外では、制服なんてものは絶対に着ない。

 そう決めていた筈なのに、何故か口が勝手に、自動的に、動き始めていた。不思議な事もあるものである。

 

「せっかく高二になる訳なんだし、心機一転……今年からは制服で通うってのも、悪くはないか」


 返答と独り言のちょうど中間の声量で、圭太郎はそう呟いた。

 

「……ほ、本当ですか?」


 ソフィアが控えめに此方を覗きながら、聞いてくる。

 

「ああ、本当だ。着替えるから下で待っててくれ」

「は、はいっ!朝ご飯も出来ていますから、早く降りてきて下さいね……っ!」


 途端にぱあっと明るい顔になり、殆どスキップのような軽やかな足取りで、ソフィアは部屋を出ていった。

 

「……はあ……さっさと着替えるか」


 立ち上がり、クローゼットへと向かう。

 戸を開けると、ハンガーにかかった真新しい制服が目に入る。

 早々にそれを手に取ると、まずは顔を近づけていく。


「ずっとしまってあったけど……匂いは……うん、大丈夫そうだな」


 無臭だった。これなら着る分には問題ないだろう。

 そうと分かれば寝巻きを脱いで、早速着替えを始める。Yシャツを着るのも、ネクタイを結んだりするのも、随分と久しぶりだ。

 仕上げにブレザーに袖を通す。

  

「サイズもあらかじめ大きめのやつを選んでおいたから、問題なし……と」


 多分、最後に制服を着たのはちょうど一年前の入学式の時だったと記憶しているが、その時よりも俄然ピッタリと体に合っていた。しっくりとくる。

 圭太郎は鏡を見ると、己の制服姿を視認する。

 うん、悪くはない。こんなもんだろう。

 

(てかどうすんだよ?登下校時について、今ここに至るまで何の解決策も思いついてないんだぞ。着ぐるみ作戦は却下として……一応最有力候補として考えておいた、二度着替え作戦もこれで出来なくなった。学校に着いた後にトイレとかで違う服に着替えようとか考えていたのに、制服という縛りが入ると話が全然変わってくる。やっぱり帽子か……?)


 制服を着る事に決まってしまったので、一気に選択肢が絞られてしまった。

 叡峰生で、なおかつ高身長ともなれば、かなり人物は絞られてきてしまう。帽子もあまり意味をなさない。


 正直、不味い。どうすればこの格好でソフィアと一緒に登校しつつ、自分だとバレないように出来ると言うのか。そんなのは不可能じゃないか。

 

「…………あれ、これ詰んでないか?」


 圭太郎の頭脳をして、何の打開策も思い浮かんできてはくれなかった。

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