夜も更ける

「じゃあ足りすぎるとは思うけど、生活費の天井は十五万って事でいいんだな?」


 話の方向性が途中で変わっていってしまった事で、しっかりと結論までは至っていなかったので、圭太郎は再度確認するように明へとそう尋ねる。

 

『そうだね。それでいいよ』

「分かった。ありがとな、父さん。なら、今夜はもうお開きで良いか?眠くなってきた」


 二十一時頃から始まった話し合いも、気が付けば三十分近くが既に経過していた。

 二十一時半。

 そこまで睡魔が強い時間帯という訳では無いが、今日はいやに眠い。日中に色々と活動したからだろう。圭太郎の全身には疲労が蓄積していた。

 

『んもうっ!けいくん冷たくてお母さん悲しい〜っ!まだお昼なのよっ!もっともっと話したいわよ〜っ!』


 小学生の子どものように、紗江が何やら喚いている。

 性質タチの悪い駄々っ子みたいに身振り手振りを使って、嫌だ嫌だと激しく主張しており、そんな母の姿を見た圭太郎は呆れる事しか出来なかった。

 

「時差考えろ。こっちはもう夜の十時になるんだぞ」

『え〜、まだ十時ならいいじゃない!あ、でもそうよね……っ!ソフィアちゃんと二人っきりになりたいわよねっ!ごめんねっ!お母さんってば気が利かなくて〜っ!』

「何でそうなるんだよ。曲解しすぎだ」

『まったまたぁ〜っ!んもうっ照れなくたっていいのに〜っ!』


 完全に冷やかされている。画面越しで無ければ、このこの〜っ!と肘で脇腹でも小突かれていた事だろう。

 なので、圭太郎は無視する事にした。真面目に取り合う必要なんてのは全く無い。そんな事をしたら逆に調子に乗らせるだけだ。

 

「じゃ、またな。何かあった時は連絡するし、そっちも連絡してくれ」

『うん、分かっているよ。二人とも、おやすみ』


 穏やかな微笑を浮かべた明が、画面の向こうで優しく手を振る。


『ソフィアちゃん!けいくんとごゆっくりねっ!健闘を祈るわよっ!』

「は、はいっ!頑張って健闘します!」


 紗江はと言えば何やらソフィアを鼓舞しているようだが、一体何と健闘する必要があるのだろうかと、圭太郎は疑問を抱いた。

 しかしあの奔放な母親の事なので、深く考えたって意味が無いと考えて、すぐにその疑問を手放す。

  

「おやすみ」


 そう言うと同時に、ピッ、と圭太郎は通話を切った。その手付きに一切の躊躇はない。

 続けて電源も切っていくと、画面はプツンと真っ暗になった。

 リビングに静寂が響き渡る。

 

「さて、寝るか。今日は活動しすぎたからか、いつにも増して眠い」

「お疲れ様です、圭太郎」


 くあ、と込み上げてきた欠伸をどうにか我慢しつつ、圭太郎は役割を終えたノートパソコンを閉じた。

 後は部屋に戻って就寝、となるのだがその前に、

 

「……あ、そういやお前、結構うちの親と交流とかしてたのか?随分とあの頃よりも打ち解けていたように見えたけど」


 ふと、気になった事をソフィアに聞いてみた。

 あの頃のソフィアは重度の人見知りだったので、圭太郎以外との会話は殆どと言っていいほど無かった。

 明と紗江すらもその例外では無く、特別仲が悪いと言う訳では勿論無いが、親密度で言ったら、圭太郎と比べれば五歩以上は劣っていた筈だ。

 

「そうですね。明さんはイギリスの方で何度かお会いしました。紗江さんとはここ最近は良く電話でお話していましたね」

「ふーん……」


 ソフィアに対し、圭太郎は刺々トゲトゲしく相槌を打つ。

 自分だけ蚊帳の外だったという現実に、圭太郎は無性にムカムカとしてしまっていた。それが態度に出てしまっている。

 

「なら本当に俺だけが何も知らなかったって訳か。そうですか、そうですか、俺だけが仲間外れでございましたか」


 わざと、当てつけのように、やっつけ気味に、圭太郎は言う。まるで拗ねた子どもだ。

 

「ち、違いますよ!!圭太郎とも凄く凄く電話とかしたかったですっ!!でもそうしたら約束の意味が無くなってしまうような気がして!!だ、断腸の思いだったんですっ!!」


 ソフィアはとても必死な形相で、全力でそれを否定している。

 

「冗談だ。まあそりゃ多少は思うところはあるけど、そんな必死な顔をされたらな」

「申し訳ないです……」


 へにょりと眉尻を下げて、しょんぼりとソフィアが肩を落としている。ずーん……という擬音まで聞こえてきそうだ。

 

「いいよ。てかその前に実は俺すっかり忘れてたしな。ここ数年」

「?約束の事ですか?」

「いや、お前の事自体を」


 さらっと圭太郎が放ったその言葉は、底意地の悪いものだった。

 

「ひっ、酷いですよ圭太郎っ!!そんなのって無いですよ!!私はずっとずーっと圭太郎の事を考えていたんですよ!?だから日本語の勉強だって他人とのコミュニケーションの練習だって毎日一生懸命頑張れたんです!!それなのに!それなのに!!酷いですよ!!!今の発言は魂の殺人と同じですよ!!」


 ソフィアが怒りと悲しみの混ざった顔で、圭太郎へと怒涛の勢いで詰め寄る。今にも炎でも吐きそうだ。

 

「わ、悪い。そんな怒るなって。ちょっと嫌味を言いたくなったんだよ」


 圭太郎はそんなソフィアを宥めようとするが、当然のごとく、その試みは失敗に終わる。

 と言うよりも、むしろ、逆効果となった。

 

「全然ちょっとじゃないです!!とんでもない嫌味です!!べらぼうに酷いです!!!目の前が真っ暗になりかけました!!!ていうかなってました!!!」

「……悪かった、ごめん。さっきの俺は子どもだった、反省してる」


 更に熱烈にヒートアップしていくソフィアに対して、圭太郎は深く深く頭を下げる。

 感情を抑えきれない子どものように、思わず嫌味を吐いてしまった駄目駄目な自分を、圭太郎は強く反省していた。

 

「………………分かりました、もういいです」


 そんな圭太郎の姿を見て、少しの間を空けてから、ソフィアは小さく息を吐いた。

 

「……でも、その、ついつい嫌味を言いたくなってしまうくらいには、圭太郎も私と早く会いたかったという事ですよね?」


 そろりと、ソフィアがそんな事を聞いてくる。伏し目でちらちらと、此方の様子をうかがいながら。

 

「まあ、うん、そう……なるな」


 圭太郎は、こくりと頷いた。

 全くその通りである。それならばもっと早く再会出来ていた筈なのだから、自分にだけ秘密だったという事に、それはそれは不満が募っていた。

 

「えへへ……そうですかそうですか。それなら許してあげますけど、ぎゅうってしてくれたら、もっともっと許してあげます」


 にへらぁ、といった具合に表情を緩ませたソフィアが、すりすりと擦り寄ってくる。

 頬に髪が当たって、チクチクと擽ったい。

 

「はい、了解です。これで許してやってください」


 圭太郎は可及的速やかに、ソフィアを抱き締めていった。

 

「圭太郎、温かいです……」

「ああ、だな」


 しばらくの間、そうやってソフィアを抱き締めていたら、いつの間にか時刻は二十二時へと差し掛かっていた。

 眠気が加速度的に増してきている。このままでは、このままの状態で眠ってしまいそうだ。

 それを避けるべく、圭太郎は腕の中のソフィアに、己の贖罪しょくざいが成功したのかを聞く。


「流石にもう許してくれたか?」

「はいっ、許してあげました」


 よし、成功したらしい。

 答えは満面の笑みで返ってきた。


「じゃあ、もう寝ようぜ」

「そうですね、そうしましょう」


 圭太郎の言葉に同意しているくせに、ソフィアは一向に離れようとはしていない。

 圭太郎は両手をパッと離しているのだが、ソフィアの両手は圭太郎の首裏にがっしりと回ったままだった。


「ソフィアさんや、これはあのキメラの役割では無いでしょうか?」

「分かってます。でも、もう少しだけ……駄目ですか?」

「う……」


 庇護欲を掻き立てられる揺れた瞳で、上目遣いで切なげに言われては、さしもの圭太郎も断れはしない。


「……後、五分だけな」


 ぽつりと、圭太郎は答えた。


「はい、あと五分だけです……っ」


 そして五分後になると、また五分後となって、そしてまたまたその五分後に、五分後となっていく……。

 そんな一連の流れを何回も繰り返し、最終的に離れられたのは二十三時頃だったと言うのは、わざわざ言う必要も無いぐらい、至極当たり前の話である。

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