仲が良すぎるのも考えもの
圭太郎はこの家族会議において、絶対に聞いておかないといけない事がある事を思い出すと、その内容を口に出した。
「父さん、生活費はどうしたらいい?」
『前に渡したカードがあるだろう?好きに使えばいいさ』
何も躊躇う様子も無く、明が軽快な口振りでそんな事を言ってきたので、
「好きに使える訳ないだろ。上限だよ、上限を決めてくれ」
圭太郎は痛む額を押さえながら首を振り、画面の向こうにいる己の父親を真っ直ぐに見据える。
『なら二人でいくらくらいあれば、不自由がなく過ごせそうなんだい?』
その質問を聞いた圭太郎は顔を横に、ソフィアへと視線を向けると、
「どれぐらいだと思う?」
「圭太郎にはたくさんたくさん私のご飯を食べて貰いたいので、食費は多めが良いですね」
「だ、そうだ」
と、また前を向く。
『なら三十万ぐらいでいいかな?』
「多いって。フードファイターじゃないんだからよ。ただの高校生の二人暮らしでそんな大金はいらない。その半分で全然いい。いや半分でも多いわ」
想定していた金額、そして必要としている額を遥かに超過する金額を告げられると、圭太郎はその太っ腹が過ぎる申し出を即座に突っぱねた。
『遠慮はしなくていいさ。息子のためになるのなら、父さんは何も惜しまないよ』
本気で言っているんだろう。紡いでいる内容の割に、冗談めかした雰囲気が皆無である。
「……前々から思ってたけど、父さんって何の仕事してるんだ?絵を描いてるってのは知ってるけど、それだけで簡単に稼げるもんじゃないだろ。綾坂明で調べたって何も出て来やしないし」
圭太郎は昔から抱いていた疑問を口に出す。首を捻りながら、色々と詳細が不明な父親を見やる。
三十万もの大金をポンと毎月出すというのは、相応の財力が無いと不可能な筈だ。
だが自分の父親は医者や弁護士といった、いわゆる高給取りと呼ばれる職業では無く、絵描きだ。普通ならば素寒貧になる可能性の高い職業だ。
しかも、名前を検索しても何も出てきやしない。ペンネームを使っているのかもしれないが、圭太郎は不思議でならなかった。
『圭太郎、時には知らない方が良い事もあるんだよ。それに母さんにも手伝って貰ってるんだからね』
「ふーん……そうか。なら危ない事では無いな」
特に言及する事も無く、深入りもせずに、紗江を一瞥して、圭太郎はあっさり納得する。
あのきゃぴきゃぴとしている母親が法に触れるような事や、危険な真似が出来る訳が無いという確信が、物凄くあった。父の言葉には説得力しか無かった。
『うん。父さんは真っ当に生きているよ』
『そうよけいくん!何も心配なんていらないわよっ!』
「なら良い。夫婦水入らずでそっちの生活を是非とも楽しんでくれ」
危険が無いのなら良い。
何をしているのかは勿論気にはなるが、聞くなと言われたのなら、聞く気は無い。
久方ぶりの二人きりでの生活を、存分に楽しんでいただく事にしよう。
『うん。そうさせて貰うよ』
『ええ!二人も同棲生活を思いっきり楽しんでねっ!』
「は、はい!楽しみます!」
ソフィアがぴしっと姿勢を正して、首振り人形みたいに何度も何度も頷く。
『けいくん返事は〜っ?聞っこえないぞ〜?』
画面をいっぱいに埋め尽くすレベルでカメラに耳を近付けて、堪忍袋への攻撃特化の周波数としか言えない無性にイライラとする声で、返事を急かしてくる紗江。
「分かった。存分に楽しむよ」
とてもとても
『あら、あらあら〜っ!明さんちょっと今の聞いた?!けいくんが素直よ〜っ!』
『そうだね。僕もてっきり、これはホームステイであって同棲ではない、みたいな事を言うかと思ったよ』
「ホームにステイするんだ。訳し方によっては、同棲にぐらい出来るだろ」
色めき立っている紗江と、ニコニコと意味深な笑顔を浮かべている明に対して、圭太郎はぶっきらぼうにそう吐き捨てる。
ホームステイだ。ホームにステイだ。和訳すれば、同棲にもなるだろう。ただそれだけだ。
『え〜じゃあ、もっとお洒落に訳したら結婚にもなるのかしらね〜??』
ギクリとなった。同棲という単語を聞いた時、同時に頭をよぎった単語である。
圭太郎はそっぽを向いて、ソフィアは顔を真っ赤にし、
「…………それは知らん」
「……け、結婚……っ……」
と、二人は各自で大いなる動揺を覗かせる。
目を逸らしたままの状態で圭太郎はソファの肘置きで頬杖をついて、ソフィアは沸騰したやかんのように、頭から湯気を吹き出していた。
『でもちょっとソフィアちゃんに嫉妬しちゃうわね……っ。一日でけいくんが変わってる気がするわ……っ!』
『歳の近い子ども達同士だからこそ、出来る事もあるのさ。紗江が落ち込む事じゃないよ」
『明さん……!』
紗江が明の手を両手で取って、何かのミュージカルのように、ドラマティックに見つめ合っている。年齢を感じさせない熱々ぶりだ。
実の両親がいちゃついている姿など、積極的に見たいものでは無いので、圭太郎はより一層視線を外す。
「……憧れますね……」
「そうかぁ……?」
羨ましそうに二人を眺めているソフィアを、圭太郎は半目で見た。
夫婦仲が良いのは勿論結構な事なのだが、何というか、息子としてはアレである。圭太郎は少しばかり複雑な気分だった。
『圭太郎も、ソフィアちゃんと仲良くするんだよ』
「言われなくても、喧嘩なんてする気はない」
胃袋を掴まれているのだ。もう逆らえないし、逆らう気も無い。
むしろソフィアの機嫌を損ねないように、自分は立ち回らないといけない。そういう状況になってきてしまっているのだ。
『そういう意味じゃないんだけどね。まあいいか。何か他に聞きたい事はあるかい?』
「いや、特には無いな。母さんを泣くまで問い詰めてやろうとは思っていたけど、興を削がれたし」
『けいくんってばそんなおっかない事考えてたの〜っ?!』
「当たり前だ。隠してた事自体はもうどうでもいいが、数年ぶりに日本に来たソフィアを一人で家まで歩かせようとした件についてはまだ怒ってる」
圭太郎は淡々と、だけど確かな怒りを覗かせながら、びっくり仰天といった様相の紗江に対して、切れ味鋭い視線を向ける。
『えっ?!私ちゃんとお金とか渡したわよっ?!これで家までタクシーで帰ってねって〜っ!!』
必死に身の潔白を主張する紗江の姿を見て、圭太郎が思わず真横を向くと、
「そ、そうです!紗江さんは悪くないんです!私がただお金が勿体ないと思って歩いて帰ってただけなので!紗江さんは悪くないんです!」
ソフィアも必死に首を振っていた。紗江とは違い、上下に。
「……気にするなよ、そんな事。重い荷物引いて歩くより、タクシーでさっと来た方が良いに決まってるだろ」
「お昼頃で天気も良かったですし、日本は治安も良いので、歩いて行っても問題無いと思って……」
「そりゃ治安は良い方だろうけど、お前の場合は話が別だ。変なやつらに絡まれたっておかしくないんだぞ」
「あう、すみません……」
ソフィアはしゅんっとしている。これが犬だったのなら、尻尾も耳も垂れている事だろう。
「以後気を付けろ。お前はちょっと無防備すぎる。心配する俺の身にもなってくれ」
それでも圭太郎は緩めずに、注意を続ける。というか、しなければならないのだ。心配でしかない。
「はい……すみません……」
「大切なんだよ、本当に。お前に何かあったら嫌なんだ」
いつになく真剣な表情の圭太郎。ソフィアの事をどれだけ大切に思っているのかが、並々ならぬその表情から容易に感じ取れる。
当然ながらソフィアは、胸のド真ん中を射抜かれてしまった。
「……圭太郎……」
熱を帯びた眼差しで、圭太郎を見上げている。
『うふふ、若いって良いわね〜っ……!』
『近いうちに孫が出来てしまわないか、僕はその可能性に少し怯えているよ』
こんなに親密な間柄の男女が同じ屋根の下で、二人きりで過ごすのだ。明の心配は、もっともだった。
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