ソフィアお手製ハンバーグ

 良い香りがする。

 洋食店の扉を開いた時などにふわっと香ってくる、特有の香り。

 それは、芳醇なデミグラスソースの香りだった。

 

「圭太郎、もう少しだけ待っていてくださいね」


 青白カラーの新品のエプロンを身に纏ったソフィアが、キッチンから顔を覗かせて、ソファに座り込んでいる圭太郎へと声をかける。

 声をかけられた圭太郎はと言えば、視線こそテレビに向けてはいるものの、意識自体は声をかけられるよりもずっと前から、キッチンの方へと向けられていた。

 自分だけこんなにぼけーっとしていて良いものなのかと、圭太郎は申し訳なさをひしひしと感じ続けていたのだ。

 

「やっぱり待ってるだけは、罪悪感があるな……。何か俺に手伝える事とか無いのか?」


 罪悪感に耐えかねて、圭太郎が手伝いを申し出てみるが、

 

「キッチンは戦場なんですよ。ステゴロの人がいても、単に死んでしまうだけです」


 あっさりと却下されてしまう。

 確かに料理のスキルの無い自分が手伝おうとしても、無駄に手間を増やすだけだとは分かっている、分かっているのだが、

 

「何も出来ない足手纏いの独活ウドの大木はいらない、と……」

「べ、別にそこまでは言ってないですよっ!適材適所ですっ!!」


 悲しげな顔で自虐的な事を呟く圭太郎に、ソフィアは慌てたように大きな声を上げた。

 

「……分かった。大人しく待ってるよ」

「はい。お腹を空かせて、待っていてくださいね」


 諦めた様子で背もたれへと背中を埋めて、テレビからも目を離し、ソフィアのクッキング風景のみを眺める。

 その状態で、圭太郎は物思いに耽り始めた。

 

(ソフィアが俺の選んだエプロンを着て、俺のために料理を作ってくれている。何というか、優越感みたいなのがあるな……って、性格悪すぎるだろ、俺)


 自分が選んだエプロンをつけて、自分のためにソフィアが手の込んだ料理を作ってくれているという、その紛れもない事実が圭太郎の心を昂らせる。

 しかし、こんなにも自分が性格の悪い浅ましい人間だったのかと、かなり悲しくもなった。


(……春休みもあと五日。新学期からはソフィアも同じ学校だ。通学に関してが目下の悩みの種、だな。電車だから時間はズラせない、てか一人で行かせるのは嫌だ。かと言って一緒に登校なんてしてみろ。嫌でも目立つだろうし、質問攻めは避けられない。しかも俺は一番下のDクラスで、ソフィアはきっとAクラス。まさしく月とスッポンってやつだな)


 学校での交流が絶てたとしても、通学や下校時は難しい。都会と違って満員電車では無いが、ソフィアを一人で乗せる気にはならないので、どうしても自分が近くにいる必要が出てくる。

 とは言え、だ。二人で仲良く登下校なんてしていれば、同じ家に住んでいる事なんてすぐに周りに露呈する。

 その場合は確実に全男子生徒に、仇敵として認定されてしまうだろう。それだけは絶対に避けておきたい。

 圭太郎は考える。ソフィアの身の安全を確保出来て、なおかつ自分が渦中に飛び込まないで済む方法を。

 

(ここは椿にでも頼んでみるか?いや、男だと駄目だ。変に噂になって、ソフィアにも椿にも迷惑をかけかねない。頼むならAクラスの女子だな。一応一人連絡先を持ってはいるけど……最後のやり取りは中等部の頃。しかも委員会での連絡事項……)


 Aクラスで連絡先を持っているのは二人。

 一人は友人の椿で、もう一人は単なる顔見知りでしか無い。

 最後のコンタクトなんて、もう二年も前の事である。


(……うん、辞めておこう。晒されたら怖い。そんな事するタイプじゃないとは思うが、下手なリスクは取らないに越した事は無いよな)

 

 圭太郎は諦めた。現実から目を逸らした。

 五日後の当日にでも、何らかの解決策は思い付く筈だ。

 圭太郎は未来の自分に己の命運を託した。というより、押し付けた。


「圭太郎、出来ましたよっ!愛情と真心のこもった私お手製ハンバーグです!」


 結論を出すと同時に、タイミング良く、ソフィアが手に持った皿を食卓に置いた。

 料理が完成したらしい。もわもわとそこから湯気が立っている。

 圭太郎は即座に立ち上がり、テーブルへと足を進めた。そして食卓の上を眺めて、出来上がった品を見ると、

 

「うお……店で出てきても何の違和感もないぞ。見た目と匂いだけでご飯三杯はいけるぜ」


 感嘆の言葉しか、口からは出て来なかった。

 焦げ目のついた丸みのあるハンバーグには、手作りのデミグラスソースがかかっていて、とても美味しそうだ。

 ポテト、にんじん、ブロッコリーが添えてあって、彩りも良い。温かみのある家庭的な一品……逸品である。

 食べなくても分かる、星三つだ。いや、星百はあるだろう。

 

「たくさんたくさん、食べてくださいね」


 圭太郎が席につくと、すかさずソフィアも隣に座った。

 圭太郎が手を合わせて、食前の挨拶をしようとすると、視界の隅では、ソフィアがハンバーグに箸を入れる瞬間が見えた。

 ナイフでも無いのに抵抗無く奥まで入り、容易に切り分けられるハンバーグからは、肉汁がぶわぁ……とこれでもかと溢れ出している。瞬間、室内にあっという間に広がる香りは、涎が垂れそうなぐらいに、食欲がそそるものだった。

 祈るように圭太郎は頭を下げて、

 

「いただきます」


 と、聖母ソフィアと食材への感謝を表明する。

 その後すぐに、口元へと近付いてきたのは、一口サイズに切り分けられた、肉汁たっぷりのハンバーグ。

 

「あーんですよ」

「ですよね、んぐ、ん……」


 箸で簡単に切れる柔らかいハンバーグと同じく、抵抗も無く圭太郎は口を開いて、ソフィアに食べさせて貰った。

 もぐもぐ、咀嚼する度に溢れる旨味。口に広がる香りと味は、圭太郎の知るハンバーグとは一線を画す代物。

 

「味の方は大丈夫そうですか?」

「大丈夫どころか完璧すぎて、その辺のじゃもう物足りなくなるぞこれ……」


 今まで食べてきたものはハンバーグじゃなかった。あれはハンだった。これがハンバーグなのだ。

 それを知ってしまったからには、圭太郎が外食でハンバーグを頼む事は金輪際無いだろう。圭太郎はグルメになりかけている。

 

「えへへ、一生懸命作ったかいがありました。ほら、あーんしてください」

「そこは頰だ」


 ハンバーグを摘んだソフィアの箸が口では無く、圭太郎の頬へと軽く当たった。

 偶然とかでは無くて、どう見ても最初から狙いが頬だったと確信して言える軌道だった。

 

「圭太郎、ほっぺたにソースがついていますよ。もう、仕方ないですね」

「清々しいぐらいのマッチポンプだなおい」


 いつの間にかソフィアが手に持っていたナプキンで、圭太郎は頬を拭われる。自作自演にもほどがあった。

 ソフィアはどうしても圭太郎の世話を焼きたいらしい。

 

「では改めて、あーんです」

「……んぐ、あむ……ん、うま……美味すぎる……」


 次はちゃんと圭太郎の口の中へと、ハンバーグが入れられる。二口目でも襲いくる感動に変わりは無かった。

 ソフィアお手製の手ごねハンバーグに舌鼓を打つ事しか、今の圭太郎には出来ない。


(……まずいな。まだ二日目なのに、もうソフィア抜きの生活が考えられなくなってるぞ。二年後とか、俺は一体どうなっちまってんだよ……)


 圭太郎は己の胃袋が完全にソフィアに掴まれてしまった事を自覚すると同時に、こんな幸福度の高すぎる生活に浸り切った二年後の自分を想像して、とても怖くなった。

 ソフィアに彼氏でも出来てしまったら、何も出来ない駄目人間が、ポイッと野に放たれる事になるのだ。そんな未来を想像して、圭太郎はひたすらに怯えてしまった。

 まあ、そんな日々は未来永劫、来る筈が無いのだが。

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