無事帰宅

「ふぅ……長かった」

 

 二十キロ近くもあるカメウサくんを背負った状態で、人の目に晒されながらも結構な距離を歩いて、まあまあ乗客の多い電車にも乗って、やっとの思いで今まさに、圭太郎は帰ってきたところである。


「今開けますね、よいしょ」

 

 圭太郎が玄関の前で一息ついていると、ソフィアがポケットから取り出した鍵を鍵穴に差し込んだ。

 ガチャリと施錠の解除された音がして、扉がゆっくりと開いていく。


「ただいま、っと」

「ただいまです。…………ただいまです」


 家の中へと入っていき、当たり前のように帰宅の挨拶を交わすが、ソフィアが少しの時間を置いてから、何故かもう一度そう言ってくる。

 その間、ソフィアはじっと圭太郎を見つめていた。何となくは言わんとしている事が分かった。ニュアンスも掴めた。

 だからこそ、圭太郎は首を横に振った。


「見ての通り両手が埋まってるから、今は物理的に無理だ」

「い、いえ別に……ぎゅうってして欲しいだなんて、お、思っていないですよ」


 圭太郎の思っていた通りである。詳細までは言っていないのに、ソフィアは勝手に自白してくれた。

 やはり帰宅の挨拶であるハグを求めていたようだが、今の圭太郎は二メートル近い巨体を背負っているので、土台無理な話であった。


「まあ分かるぞ。挨拶は大事だもんな。これはルーティンみたいなもんだし、やらないと違和感があるのは分かるけど」

「…………むぅ……そうじゃないです……」


 足をひょいひょいと振り回して雑に靴を脱ぐと、圭太郎は廊下へと上がる。

 背後のソフィアが頬を大きく膨らませている事には、やはりと言うか、これっぽっちも気が付いてはいなかった。

 

「さて、これでコイツをお前の部屋に待っていけば、晴れて俺は自由の身……と」


 廊下を歩いて、階段の前へ。ゴールはもう後少し。


「階段、大丈夫ですか?」

「大丈夫だ。けど俺の後ろには立つな。先に行け」

「どうしてですか?後ろから支えた方が、圭太郎も楽になれませんか?」

「万一バランスでも崩したら大変だろ。お前に何かあったら、俺が一番困る」

「圭太郎……っ」


 乙女心を大きく揺さぶる言葉を無自覚で放つ圭太郎に、ソフィアは思わず抱き付きそうになったが、寸前で圭太郎が大きな大きなぬいぐるみを背負っているのを思い出して、グッと我慢した。

 ちらちらと小刻みに振り返りつつ、ソフィアが階段を上り始める。圭太郎がその後ろを追う形で、階段を上っていく。

 

「よっと……く……っ」


 ツマモールから繁華街を抜けて、電車に乗り、家へと帰ってくる、その全工程でビッグなぬいぐるみを支え続けてきた圭太郎の脚にとって、階段は大いなる天敵であった。

 天賦の才があろうとも、いかに優れた身体能力を保持していようとも、数年間もの長い期間稼働させていなければ当然それは錆び付いていく一方で、運動不足の圭太郎は一段一段上がる度に、苦悶の表情を浮かべていた。

 

「ほ、本当に大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫、大丈夫。余裕すぎて逆にキツいぜ」


  不安げな顔で見てくるソフィアに対して、圭太郎は精一杯の強がりで返す。

 どうにかこうにか男の意地で、階段の踏破に成功。ここで立ち止まったらもう歩けないと考え、その勢いのままに最後の力を振り絞り、ソフィアの部屋へと急いで向かうと、ベッドの上にカメウサくんをドサっと乗せた。乗せたと言うよりも落下させた、の方が近かったかもしれない。

 

「…………ふぅ、流石にちょっとばかり……疲れたかな……」

「お疲れ様です、圭太郎。とってもとってもカッコ良かったです」


 パチパチとソフィアが拍手をしながら、圭太郎を労う。

 

「よし、これで今日から安眠生活だ。良かったな、ソフィア」


 圭太郎はぐぐっと伸びをした後に、ソフィアに向かって両腕を広げる。


「そんで、ほら」

「……?」


 ソフィアが疑問符を浮かべている。

 

「いやほら、おかえり」

「ぁ、ただいまです……っ!」


 弾かれたようにトトっと駆け出して、圭太郎の腕の中へとソフィアが勢い良く飛び込む。

 バランスを少し崩しつつもそのアタックを耐え切ると、圭太郎はソフィアを包み込むように抱き締めていった。


「っと、よしよし」


 二つのリボンが左右で揺れている金の髪。

 圭太郎はそこに己の手のひらを乗せると、大切なものを扱う時そのものみたいな繊細な手付きで、ソフィアの頭を緩やかに撫でていく。

 その最中にすすっと胸板が擦れる感覚がしたと思ったら、ソフィアが此方を向いていて、澄んだ青い瞳が圭太郎を捉えていた。

 

「圭太郎、今夜は何が食べたいですか?」


 唐突に夕飯の献立を尋ねられた。

 ソフィアの料理なら何でも美味いに決まっている、だが、何でも良いと言う言葉は不正解だとどこかで聞いた事があるので、そうは言わない。

 昨日の夕飯と今朝の朝食(昼飯)は和のテイストだったので、今回は洋にする事とした。

 人類のほぼ誰しもが大好きだろう食べ物が圭太郎の頭に浮かび、それを口に出す。

 

「なら……ハンバーグが食べたい」

「はい、分かりましたっ。任せてください。愛情込めて作りますね」

「考えただけで腹減ってきた」


 ソフィアが手で捏ねて作ったハンバーグ。

 絶対に美味い。想像しただけで、圭太郎の腹の虫が騒ぎ出した。

 

「えへへ、何でも作れますから、何でも言ってくださいね。和洋中何でもござれです」

「三つ星シェフに余裕でなれそうだな」


 どんな料理でもあの完成度で作れるのだとしたら、どんなに格式の高い店であろうとも料理長を務められる腕前はあるだろう。

 ソフィア、とんでもない凄腕料理人である。

 

「いえ、無理です。圭太郎以外に作りたくなんて無いです」


 すっと冷めた表情で、ソフィアがシェフの名称を突っぱねる。一見さんお断りではなくて、圭太郎以外お断りらしい。

 

「それは嬉しいけど……ソフィアの料理を独り占めとか、贅沢すぎる気がするんだが」

「なら、私が他の人のために料理を作っても、圭太郎は良いんですか?」


 それを聞いて、圭太郎は想像する。

 ソフィアが自分以外の誰かのために料理を振る舞っている姿を。

 瞬間的に、表現するにも難しい負の感情が、心の奥で煮えたぎる。率直に言うと、凄く嫌だった。とてもムカムカとした。

 

「それは、物凄くしゃくな気がする」


 圭太郎は素直に心のうちを伝えた。

 ソフィアは腕の中で頷いた。

 

「私も同じなんです。圭太郎以外に作るのは癪です。面倒です。五万から考えます」

「生々しいってその金額。そこは五十万からだろ」

「それは高すぎませんか?」

「あのクオリティなら妥当な金額だ。俺だって本当なら金を払いたいぐらいだ」


 むしろ、五十万でも安い。五十万ぽっちでソフィアの手料理を食べる機会を他人に奪われるのならば、圭太郎は借金をしてでもそれより上の金額を払うかもしれない。いな、払う。

 

「圭太郎からは充分お礼を貰ってますから……むしろ、お釣りまで来ちゃってます……」

「そっか。まあ、それなら、良かった」


 それを最後に無言となって、そこからは何十分もそのままだった。

 離さないとな……とは思いつつも、ソフィアの方から離してと言われるまではこのままでもいいか、なんて悠長な事を圭太郎が考えていたせいで、やめ時が見つからなくなっていたのだ。


 やがて「ハンバーグはタネを寝かせる時間とかもあるのでそろそろ……」と、どこか残念そうにソフィアが言った。そのお陰で、圭太郎はソフィアを離す事が出来た。

 ハンバーグ以外の料理を頼んでいたら、もうしばらくは、その時間が伸びていた事だろう。

 自分のチョイスに感謝しつつも、どこか後悔もある、複雑な気分の圭太郎であった。

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