楽しいな

「あの兎と亀のキメラを買う前に、他に何か用は無いか?あれ買ったらもう帰るだけになっちゃうから、あるんなら先に言っといた方が良いぞ」


 本日のメインイベントをこなすべく、おもちゃ屋へと向かっている道中、エプロンの入った袋を左手に提げた圭太郎がそんな事を尋ねると、

 

「いえ、大丈夫です」


 と、頭の両側に青いリボンをつけたソフィアが、間髪いれずに首を振る。


「そうか?ならいいんだけどさ」

「はい。それに例え何か用があったとしても、今日は言わないです。だって今日だけで全てを終わらせてしまうのは、勿体ないですから」


 ソフィアの紡ぐ言葉には、何らかの真意が、別の目的が、込められているらしい。

 用があったとしても敢えて言わないとは、一体どういう事だろうか?その用もついでに終わらせてしまえば、無駄に出掛ける必要が無くなるのだし、メリットしか無いように思えるのだが。

 圭太郎はその真相を聞き出すべく、続きを促す事にした。

 

「と、言うと?」


 はにかんだ顔で、ソフィアが答える。

 

「予定を小分けにすれば、その分もっともっと圭太郎とお出かけ出来ますもん」

 

 確かにそれは、インドアな圭太郎を外に何回も引っ張り出すには、もってこいの裏技だった。

 男心を的確にくすぐってくる、健気な言葉の弾丸が、圭太郎の心をズドンと撃ち抜く。いや、ズキュンだったかもしれない。


「…………別に用が無くたって、いくらでも付き合うよ、お前になら」

 

 圭太郎はさっと顔を逸らして、ぼそりと呟いた。微かではあるが、それでもソフィアの耳にはしっかりと届く程度の声量で。

 気恥ずかしさを隠すように、スタスタと早歩き。


「…………ソフィア?」

 

 途中で隣にいる筈のソフィアがいない事に気が付く。振り返ると、ソフィアは少し離れた場所で、下を向いた状態で立ち止まっていた。

 普段のカロリーオフな姿はどこへやら、圭太郎は血相を変えて、ソフィアの元へと急いで駆け寄る。

 

「ど、どうしたっ?具合でも悪いのか?きゅ、救急車呼ぶかっ?」

「……違います。嬉しすぎて、どうにかなっちゃいそうなんです……」

「…………っ……」


 想定外の返答に、圭太郎は一瞬、呼吸を忘れかけた。が、すぐに首を振って、肉体の機能を正常に稼働させ直す。

 

「そ、そうか。けどそんな場所で立ち止まってたら、他の人の迷惑になるだろ。ほら行こうぜ」

「はい……えへへ……」


 空いている方の手を圭太郎が差し出すと、ソフィアは嬉しそうにその手を握り、ぽわぽわと表情を緩ませる。

 バクバクと騒ぐ心臓の音がソフィアに聞こえてしまわないか心配しながらも、圭太郎はソフィアの手を引いて、また歩き始めた。



 ――――――



「ではあちらの商品ですが、ご自宅に配送の方で宜しいですか?」


 大型サイズのぬいぐるみコーナー、その中でも一際目立つ偉そうな位置に居座っている兎と亀のキメラ『カメウサくん』の方を見ながら、レジの向こうの店員が首を傾げる。

 

「いえ、このまま持って帰ります」

「ぅえっ、だ、大丈夫ですか?重さが二十キロほどありますが……」

「はい、大丈夫です」


 ギョッとした顔を向けてくる店員に対して、正反対の涼しげな表情で、圭太郎はあっさりとそう言い切る。

 

「け、圭太郎、無理しなくても大丈夫ですよ」

「でも、無いと良く眠れないんだろ?だったら明日とか明後日とかよりも、今日からあった方が良いだろ」

「それはそうですけど……っ」

「ま、安心したまえ。二十キロなんて軽いもんさ。重さ的には小一の子どもぐらいだし、そのぐらいは簡単に背負えないと、逆に困るだろ」


 配送ではどう頑張っても、今日中に家に届く事は無いだろう。ソフィアは抱き付くぬいぐるみが無いと良く眠れないと言っていたのだから、長く待たせる訳にはいかない。

 この場で持ち帰るという選択肢しか、圭太郎は持ち合わせていなかった。

 

「…………そ、それは……えっと……しょ、将来的に困る……という感じですか?」


 ソフィアがどこか恥ずかしそうな表情で、途切れ途切れに聞いてくる。が、その質問の要領を圭太郎は得ていない。

 しかし、聞き返すのも何だかはばかられたので、とりあえずここは肯定しておく事に圭太郎は決めた。

 

「ん?ああ、そうだな」

「な、ならお任せします……これは将来のための、予行練習……みたいなものですよね……っ」

(…………予行練習?)


 圭太郎は内心で、大きく首を捻る。聞けば聞くほど詳細が掴めない。

 

「そういう訳で、はい。このままで大丈夫です」

「わ、分かりました。では、お買い上げありがとうございました。またのご来店お待ちしております。くれぐれもお幸せになってくださいねっ!」

(お幸せに……?そこはお気を付けて、じゃないのか?)


 追い討ちのようにかけられる言葉に、謎は深まるばかりだった。

 

「さて……よ、っと……」


 用の済んだレジから離れて、ぬいぐるみコーナーへと向かうと、二メートルはありそうなカメウサくんを、圭太郎はよっこらしょっと背負い上げた。

 

「……大丈夫そうですか?」

「ああ、余裕余裕。デカいお陰で重心が安定するから、見た目よりも結構楽だぞ。このままスクワットだって出来るぐらいだ。よっ、ほっ、はっ」


 心配そうな顔で見てくるソフィアを安心させようと、巨大な物体を背負ったままの状態で圭太郎はダイナミックに体を動かして、自分は大丈夫だと行動で示してみせる。

 

「さ、帰ろう帰ろう」

「つらくなったら、いつでも言ってくださいね」

「俺がつらいと言ったとして、その後はどうするんだ?」

「その時は私が代わりに持ちます」


 ふんすと得意げな顔で、ビシッと親指で自分の顔を指し示して、私に任せなさい!と言わんばかりのソフィア。

 

「絶対に言えないな、それだと」

「むむ、圭太郎、私を甘く見ない方が良いですよ。見てくださいこの筋肉、カッチカチです」


 袖を捲って見せてくれたソフィアの腕は、白くて細くて、力仕事を任せようなんて微塵も思えない。簡単にポキッと折れてしまいそうで怖い。今のまま、エプロンだけを持っていて貰おう。

 

「まず全然カッチカチじゃないのは置いといて、ネタが古いぞ。時差のせいか?」

「お笑いは日本語の勉強に最適なんですよ。意味が分からないと笑えませんから」

「意味が分かっても笑えない時に、凄い複雑な気分になりそうだな」

「はい、そうなんですよ。自分が悪いのか、アイツらが悪いのか、分からなくなってちょっと困ります」

「急に口悪いなおい。芸人さんって呼んでやれよ」


 唇を尖らせて不満そうにするソフィアを見て、圭太郎は苦笑いを浮かべる。


「面白くないのに……ですか?」


 心の底から不思議そうな顔で、ソフィアがこてんと首を傾げる。純粋ゆえの残酷さだった。

 

「まあ……面白くないのが面白い芸人ってのも、いるからな。すべり芸というか」

「無自覚なら良いですけど、それを自分で言い出したらコメディアンとしてはお終いです。ただの逃げです」

「厳しすぎる、こえーって」


  お約束も暗黙の了解なども理解している日本人と比べて、何も知らないからこそ客観的に見る事の出来る海外の人間の方が、色眼鏡なしの公正なジャッジというものを下せるのかもしれない。

 圭太郎はそんな事を考えたが、まあでも特別ソフィアが厳しいだけだろうな、とも思っていた。

 

「でも圭太郎でしたら、布団が吹っ飛んだでも笑える自信があります」

「何でだよ。採点甘すぎるだろ」

「だって、圭太郎は特別ですから」

「………………」


 170キロのストレートは、圭太郎には打ち返せない。


「…………さいですか」

(……ふ、不意打ちが過ぎる。危うくこのキメラを落とすところだった……)


 呆気に取られたせいで、背中からズリ落ちかけたカメウサくんの位置を、圭太郎は体を揺すって微調整。またしっかりと背負い直す。

 無言で歩き始めると、店の外へと出て、人で混み合った通路を進む。


(……何か今日、楽しいな。そうだ……楽しい。俺は今、ただただ楽しい。別に、楽しい事がここ数年で一度も無かった訳じゃないけど、混じりっけなしで楽しいのは……久しぶりだ……。感謝しないとな……ソフィアに)


 ソフィアとの会話は元より、背中にあるこの重みも、周りの何もかもが色付いていて、圭太郎は新鮮な感覚に襲われていた。新鮮というよりも、単に忘れてしまっていた感覚か。

 

「…………ソフィア、ありがとな」


 歩きながら圭太郎はぽつりと、だけどハッキリと呟いた。

 

「圭太郎、急にどうしたんですか?」

「いやさ、凄く楽しいんだよ、今。だから、ありがとな」


 素直な感想である。嘘一つも無い、本心の吐露。

 その感情に釣られて、表情も緩む。

 それはそれは穏やかで楽しそうな、子どものような笑顔だった。老若男女問わず魅了出来る程度には、絶大な破壊力の伴っている圭太郎の無垢な笑顔が、ソフィアへと向けられた。

 

「……やっぱり圭太郎は、笑っている顔が一番似合いますね」

「そ、そうか?何か恥ずかしいな……」


 思ってもいない言葉に圭太郎は動揺を隠せず、照れ臭そうに顔を逸らす。耳まで赤く染まっていた。

 

(……はぁ、圭太郎は何でこんなにカッコ良くて、可愛いのでしょうか?紗江さん達には感謝しかないです。圭太郎と二人きりで暮らせるなんて、幸せすぎます……)


 ソフィアはうっとりと、恍惚の表情を浮かべていた。少し狂気を感じそうになるぐらい、その顔からは、圭太郎への深く重い愛が溢れ出していた。

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