新しい思い出を
あれから三分ほど歩いて、雑貨屋へと辿り着く頃には、頬の熱は引いていた。
平静に戻った圭太郎は雑貨屋の中へと足を踏み入れると、エプロンの置いてあるコーナーに向かって、一目散にその歩みを進めていく。
その途中、不意に思った。そう言えばエプロンはつけていた筈だと。ソフィアのエプロン姿は、今朝も見たばかりだと。
「……あれ?でもそういや、昨日の夜も今朝もエプロンってつけてたよな?」
「あれは元々キッチンに置いてあったものですから、自分用のが欲しいんです」
「なるほど」
確かにそうだった。母さんと同じものをつけていた事実に、圭太郎は今更になって気が付く。
やはり自分のものと人のものとでは勝手が違うのか、料理をしないので気持ちは分からないが、圭太郎はそういうものなのかと一人納得した。
やがて、お目当てのコーナーへと辿り着く。
そこには様々なエプロンがハンガーにかけられた状態で、ずらっと並べられていた。
「うお、色々あるな。どれにするんだ?」
「……えっと、圭太郎に選んで欲しいです」
ソフィアが指の先をつんつんと合わせながら、そんな可愛らしい事を言ってきたので、また顔に熱が集中しそうになったが、圭太郎は気力でどうにかそれを押さえ込んだ。
「俺に?自分がつけるものなんだし、自分の好きな色とかデザインのやつの方が良いんじゃないのか?」
「いえ、圭太郎の好みのものが良いんです」
「……分かった、なら俺に任せとけ」
自身の美的センスに自信は無いが、そのお願いを断れるほど圭太郎は無粋な人間でも、心の冷たい人間でもない。
考える人にも似たポーズを取りながら、目の前のエプロン達を隅から隅まで見渡すと、自分の趣味に合って、なおかつソフィアにも似合いそうな代物を探し始める。
「つっても、お前なら何だって似合うだろうから……これは逆に難しいな」
ソフィアという超一流の素材があるので、どれもこれも合格点を優に超えてくるだろう。
だからこそ、選ぶのが難しい。
「無地か、柄物か……。機能性か、凝ったデザインか……」
「…………圭太郎?」
エプロンとソフィアを交互に見比べて、圭太郎は自身の頭の中で再現図を作り上げる。頭の中で構成されたその画像、全部が全部似合っていた。ソフィアのために作られたのでは無いかと思うぐらいに。
王道なものも、邪道なものも、きっとソフィアなら抜群に着こなしてくる。ならばここは、自分の琴線に触れたものを片っ端から試していくしかあるまい。
手始めにフリルのついた白黒のエプロンを手に取ると、ソフィアに向けてズバッと差し出す。
「ちょっとこれ試してみてくれ」
「はい、分かりましたっ」
ソフィアは圭太郎からそれを受け取ると、直ちに後ろを向いて、躊躇う素振りすら見せずに、そのエプロンを従順に身につけ始めた。
ほどなくして、エプロンをつけ終えたソフィアがくるんと華麗に回って、ふわっとスカートを
「どうですか?」
こてんと小首を傾げて、圭太郎の反応をうかがう、ソフィア。
とても可愛かった。これぞ目の保養だ。
白と黒のカラーリングのせいか、メイドさんのような雰囲気がどこか出ている。
ご主人様と呼んでくれ、ついついそんなトチ狂った言葉を圭太郎は放ちそうになったが、寸前で呑み込んだ。
代わりに、
「凄い可愛いと思うぞ」
「…………そ、そうですか?なら、これにしますか……?」
「……いや、もう少し吟味させてくれ」
「わ、分かりました。納得いくまでお願いします」
圭太郎、結構な煩悩の塊である。十六歳、それはもう健全な青少年なのだ。ソフィアの色んな姿を見たくなっても仕方がない。誰にも責められない。悲しき過去を抱えているのだから、多少の狼藉は許してやって欲しい。
次は先ほどのものとは正反対の真面目な雰囲気漂う、グレーの無地のエプロンを手渡していく。
「……次はこれで」
「はい。……どうですか?」
それを身に纏ったソフィアは、素朴で家庭的な感じだった。
何だかとても落ち着く。例えるのなら、実家のような安心感、といったところか。
毎日見ると考えると、これが一番良い気もする。
「こっちも捨て難いな……」
「……えへへ、じゃあこれにしますか?」
「いや、まだまだ他にも候補はある。次は――」
知らぬ間に圭太郎は乗り気になっていた。その様はまるでアイドルか何かのプロデューサーのようである。ソフィアに様々な衣装を着せてみたいという、そういう欲求を抑えきれなくなっていたのだ。
ソフィアも断らないせいで、まるでブレーキが効かない。あれもこれもそれもこれも、圭太郎はソフィアに手渡して、つけて貰って、見せて貰った。
その度に圭太郎は可愛いと素直な感想を言って、ソフィアが顔を赤くして照れる。そんな甘ったるいやり取りを、公衆の面前で繰り返す。
勿論そんな二人には視線が怒涛に集まっている。何をせずとも人目を集める風貌をしていると言うのに、おもちゃ屋でいちゃつき、雑貨屋でもいちゃつき、目立たない訳が無かった。
エプロン選びなんかをしているせいで、若年夫婦と確実に勘違いされている。
「――よし、それに決定だ」
「なるほど、これが圭太郎のイチオシなんですね」
最終的には青を基調にしていて、白のラインの入っているエプロンに決まった。
落ち着き過ぎず、かといって派手過ぎず、中間に位置するデザイン。色合いもソフィアに似合っていて、圭太郎の好みでもある。まさしくイチオシだ。
「じゃあ、これで終了と……」
これにてエプロン選びは終了。後は購入するだけだ。
圭太郎がレジに向かって歩き始めると、その途中に色彩豊かなコーナーが目に入った。
そこには極太のCDのようなものがたくさん並べられていて、とどのつまり、リボン売り場であった。
「あ、リボンもついでに買ってくか?それもう大分長いだろ?良く見たら所々傷んできてるみたいだし」
ソフィアの右側頭部についている、青いリボンに目を向ける。
良く手入れはされているようだが、それでも小学生の頃にプレゼントしたものだ。当然、経年劣化は避けられない。まじまじと見てみると、所々がほつれたりしている。
「い、いえ!これはノーチェンジで大丈夫なんです!」
ソフィアが焦ったような顔で、食い気味に首を振る。
「いやでも」
「これは圭太郎が私に初めてプレゼントしてくれたものですから……っ!」
「…………なら、ずっと使い続けるのか?」
「はいっ!そのつもりです!」
「ボロボロになって、千切れたりしたらどうするんだ?」
「そうしたら直すだけです!私は絶対にこれを死ぬまで使い続けるんですっ!」
プレゼントした側として、そこまで大事なものと思って貰えているのは嬉しくはあるが、だからと言って、どれだけボロボロになっても捨てずに使い続けられるのは、何だか息苦しいものがある。それでは呪いと変わらない気がした。
何故か急に湧き上がってくる、黒く濁った感情、それを胸の内に抱えながら、圭太郎は姿勢を正して口を開いた。
「ソフィア、テセウスの船って知ってるか?」
「し、知らないです。何ですか、それは……?」
「パラドックスの一つだよ。例えば靴下が一つあったとする。靴下ってのは使い続ければ、いずれは穴が空くものだろ?で、そこで捨てずに、その部分を補修していくとしよう」
「はい」
「でも直したとしても、またいずれ他の場所にも穴が空く。そうしたら、次はそこを直す。また他の場所に穴が空く。またそこも直す。これを繰り返していった結果、その靴下の全ての部分が替わってしまっていたとしたら、それは最初と同じ靴下だと言えるのだろうか?」
「……わ、分からないです……」
「だよな。でも多分どっちも正解なんだ。道具として考えるか、思い出で考えるか、それだけの違いだと思う。こんなの言ってたら、人間の細胞だって日々入れ替わっている訳だし、今の俺と昔の俺は別人って事になっちゃうしな」
実際別人みたいなものだけど……。自分で言っておいて、圭太郎は小さく嘆息した。
何でこんな事を語ったのか、自分でも良く分からない。
もしかしたら、過去の自分に嫉妬でもしていたのかもしれない。
今の自分と過去の自分は別物だ。自分で自分を殺してしまった。だからこそ、
そうか。過去の自分じゃなくて、今の自分を身につけて欲しかったのか。そう考えた瞬間、腑に落ちた。あの言い知れぬ感情は、そういう事だったのか。
随分と歪みきった性根をしているな……。圭太郎はまた自己の評価を下げる。まあ、自己肯定感なんてものは、とうの昔に失っているのだが。
「まあ、何だ。拘るのも勿論良いけど、違う見方もあるって話だ。俺が言いたかったのはそれだけだ」
指でつばをつまんで帽子を深く被り直しながら、話の締めに入る。高尚な事を語っているように見えて、今のは単なる嫉妬に過ぎないのだ。
圭太郎は己を恥じた。そんな資格は無いだろうと。
「……それでも、私はこのリボンを使い続けます……。思い出が一番大切ですから……っ」
ソフィアならそう言うと思った。圭太郎の想定通りの返答だ。
しかし、自分自身の回答は想定外だった。ソフィアの頭に、リボンのついていない方にすっと手を伸ばして、触れる。
「……それだったら、新しい思い出も作っといた方が良くないか?大切な思い出は多い方が良いだろ。幸いこっち側には何も無い訳だしさ」
「んん……それだったら……新しいのも、欲しいです」
己の手のひらに頭を擦り付けてくるソフィアの姿を見ていると、自身の濁った心が、徐々にまた清らかな状態に戻っていくのが分かる。
圭太郎はその手を離さずに、真横の棚に視線を向ける。新しいリボン、全体のバランスを考えると同じ青色が良いだろう。
「左右につけるんだし、同じ色で統一したいよな」
「圭太郎は青が好きなんですもんね?」
「ああ、寒色系は見てて落ち着くから好きだ」
「じゃあ、私の目も見ていて落ち着きますか……?」
「そうだな。落ち着く。ずっと見ていられそうだ」
リボンの物色を止めると、またソフィアに視線を戻す。じぃと此方を見上げている宝石のような青い瞳を、圭太郎は一途に見つめ返した。
「「………………」」
そのまま、二人は無言で見つめ合う。ソフィアがおもむろに、圭太郎の腰の辺りに手を添える。
((((あの若夫婦、もしかしてこんな場所でキスでもする気なのかしら……?))))
周囲からはそう思われていた。普通に考えれば、確かにキスをする流れである。これがハリウッド映画であれば、もうとっくにいってるだろう。三回目ぐらいだろう。
「ご、ごほん……!」
真横から、咳払いが聞こえた。明確な意思のこもっている類の咳払いだった。
「「……っ?!」」
瞬間、弾かれたように二人は離れる。まるで磁石の同極同士をくっつけようとした時のようだ。ついさっきまではS極とN極だったと言うのに。
「えーお客さま、何かお探しでしょうか?」
邪魔して悪いですけどこれも仕事ですから、そんな風なオーラの出ている、二十代ぐらいの茶髪の女性店員。労働時間外だったら、事の顛末を見届けたがるタイプに違いない。
「あ、す、すいません。大丈夫です、すいません」
「す、すみません!」
ペコペコと二人は同時に頭を何回も下げて、息ぴったりに平謝り。
「いえいえ、ごゆっくりとお買い物なさってくださいね」
「…………さっさと買うか」
「そ、そうですね……っ」
秒速で似た色のリボンを選んで、秒速でレジに向かった。
リボンをカットしている時間すら、永遠と思うぐらいに長く感じる。その間、圭太郎はこの場から一刻でも早く立ち去る事しか考えられない。
一方、隣のソフィアはと言えば、
(もっ、もしも止められなかったら、ど……どうなっていたんでしょうか……もしかして……はぅ……)
圭太郎とは違う意味で顔を真っ赤にしながら、頭を沸騰させていた。
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