滑る口
三階建ての建物二棟と二階建ての建物一棟で構成されているツマモールは、県下最大級のショッピングモールである。
妻本市民のみならず、県内の至るところから人がやって来るために、平日でも休日でも常に大盛況。ここはテーマパークかと勘違いしそうになるくらいには、客足が絶えない。
勿論本日もその例に漏れず、人の往来が激しいエントランス付近にて、圭太郎はのそのそと歩きながら、
「で、何を買いに来たんだ?」
と、ソフィアに純粋な疑問を投げつける。
よくよく考えると、圭太郎はここに来た理由をまだ知らないのだ。ソフィアが何を買いに来たのか、今更ながら圭太郎は気になった。
「エプロンと、夜眠る時に抱き締める用のぬいぐるみです」
前者はありふれたものなので特には気にならなかったが、後者には興味を惹かれた。微笑ましい図が、圭太郎の頭に浮かぶ。
童話の中のお姫様が眠っているような天蓋の付いた仰々しいベッドの上で、クマのぬいぐるみでも抱き締めながらスヤスヤと眠りこけるソフィアの姿が。
「なるほどな。確かに最後のはこっちに持って来づらいから、日本で買うしかないか。それ無いと眠れないのか?」
「はい。自分よりも大きなものに抱き付いていないと、良く眠れないんです。昨日の夜も大変でした」
良く眠れない、それは死活問題だ。知っての通り圭太郎は人生において睡眠を、何よりも大事なものとして据えている。
「マジかよ……。そりゃ不便だなぁ……」
圭太郎は当の本人よりも深刻そうな表情で、ソフィアにしみじみと同情していた。
「けど、お前の身長で考えると基準がちょっと厳しいな。最低でも170以上のぬいぐるみにはなるって事だろ?」
「いえ、最低180は必要です」
それだけは譲れないと、ソフィアが圭太郎の言葉を律儀に訂正。どうしても180以上をご所望したいらしい。
「俺より多少低いぐらいか。まずそんな大きいぬいぐるみが、ここで取り扱われているのかどうかが怪しいな」
「もしかしたら無いかもしれないですね……」
「けど、無かったらお前が眠れなくて、困るんだもんな。ま、とりあえず探すだけ探してみよう。そんでいくら探しても無かったら、ネットで買えばいいさ。えーと、どれどれ……?」
近くの壁に貼り付けてあったフロアマップを眺め、ぬいぐるみの置いてありそうな店を圭太郎は探す。
「お、あったぞ。それっぽいとこが」
幸運な事にこの棟の二階に、それらしき店があった。誰もが一度は聞いた事のある某おもちゃ屋の名前が載っている。
ここならばぬいぐるみぐらいは、置いてあるだろう。大きいサイズのものがあるのかどうかは分からないが、今打てる手はこの店に行く事しかない。
「よし、早速行ってみようぜ」
そう言いながら圭太郎は、エスカレーターの方へと向かう。
その背中を追いかけながら、
「…………圭太郎が一緒に眠ってくれれば、万事解決するんですけどね……。私がこうなってしまったのも、圭太郎のせいですし……」
と、ソフィアがぽつりと不満げに呟いたその言葉は、圭太郎にも他の誰にも届かず、空調機の風に乗って、虚空の中に消えていった。
――――――
「さて、と。ここなら多分あると思うんだが…………ありそうか?」
ツマモール内に数多く存在するテナントの中でも一際目立つ、カラフルな内装をした店の前に、圭太郎とソフィアは辿り着いた。
ザ・おもちゃ屋といった感じの店内に早々に足を踏み入れて、二人は目当てのものを探し始める。
その間も、視線は集まっていた。
「あ、きょじんだー」
「こらっ、そんな事言っちゃ駄目でしょ!」
店のジャンル的に子どもがどうしても多くなるので、身長がより際立ち、目立つ。ソフィアも背が高い方なので、並んでいるととにかく目立つ。ビッグカップルだ、それはもう文字通りの意味で。
「えーっと……あ、ありましたよっ」
「でも、小さいのばっかだな」
お手頃サイズのぬいぐるみ達が飾ってある棚をソフィアが指差すが、ソフィアが抱き付くにはどう見てもそれらはタッパが足りなかった。
「大きいのは……」
圭太郎は視線をそこからスライドさせて、奥の方に視線を向ける。
「あっちか」
そうしたら、巨大なぬいぐるみ専用のコーナーを見付ける事に成功した。
ソフィアと共にそこへと向かう。
「色々ありますね」
そこには王道のテディベアから犬や猫にワニやサメ、しまいには兎の耳が生えた亀みたいな大分ヘンテコなものまで、色んなぬいぐるみのビッグサイズが置いてあった。
それでも、その大きさは一メートル前後が多い。180以上となるとものはグッと限られてくるようだ。
この店に置いてあるぬいぐるみの中では、最後に挙げたヘンテコなものだけが、残念ながらソフィアの条件を満たしてしまっていた。
「180以上はあの色物枠だけか……どうする、ネットで買うか?」
「いえ、あれが良いです。何だか可愛いと思いませんか?」
「…………そうか?」
ソフィアがお気に召したソイツは、名を『カメウサくん』と言うらしい。
安直な名前だな、と圭太郎は思った。普通は亀の甲羅を背負った兎にしないか?てかウサカメくんのほうが語呂が良くないか?とも思った。
「う……ちょっと高いですね……」
カメウサくんのお値段は二万円。
ソフィアが言うように少し高くも感じるが、大きさを考えると妥当な値段なのかもしれない。
「そこは気にしなくていい。見ろ、これがある」
圭太郎は財布を取り出すと、その中からシックな色合いのカードをピッと指で抜き取って、ソフィアにまじまじと見せ付ける。
「圭太郎、カードを持っているんですか?」
「高等部に上がった時に記念でな。去年はほぼ使わずに生きてきたから、多少の散財は許される筈だ。というかいきなり二人暮らしをしろなんて無茶振りされてんだから、資金ぐらいは多めに援助して貰わないと困る」
「だ、駄目です、悪いです。私は私でお金を持っていますし、これは自分で買いますからっ」
「いいって。この先もあんなに美味い飯を作って貰う訳だし、びた一文としてお前に出させる訳にはいかないだろ」
寝てばかりの圭太郎は、ものを買う機会などが全く無い。学校に行っても寄り道もせず直帰が殆ど。学食が無料なので、帰り道に自販機でジュース一本、せいぜい使ってもそのぐらい。
カードなんて到底必要の無い質素倹約な生き方をしているのだ。宝の持ち腐れもいいとこだ。
「今夜のビデオ通話で、この辺はしっかり父さん達と話し合わないとな。一ヶ月の生活費の上限とかはしっかり決めないと、金銭感覚が狂いかねない」
「それはその通りですけど!でっでもこれは私が個人的に買うものなので、生活費のうちには入らないです!」
ソフィアは簡単には首を縦に振ってくれない。意地でも自腹を切る気らしい。
だが、圭太郎も引く気は無い。
「遠慮なんてするなよ。俺達は家族みたいなもんだろ。父さんと母さんだって、ソフィアに遠慮なんてのはされたくないと思うぞ。お前の事は娘みたいに思ってるだろうし。じゃないと一人息子と二人きりで生活なんてさせないだろ」
ソフィアの目を真っ直ぐに捉えて、圭太郎は思っている事を淡々と語る。
ソフィアに遠慮されるのは何だか嫌だった。ソフィアによそよそしい態度を取られると、とても窮屈な気持ちになる。
「家族……ですか?」
「ああ、家族だ」
圭太郎はゆっくりと、だけど力強く、頷く。
「それは妹みたいな存在って事でしょうか……?」
「ん?んー、それだとしっくりこないな。強いて言うなら…………嫁、とかじゃないか?」
圭太郎は眉をひそめながら指先を顎に添えて思考の姿勢をとり、五秒ほど考えてから、さらっとそう答えた。
「……っ!」
「………………!?」
曲がり角でわっ!と驚かされた時にも似たソフィアの反応を見て、一拍置いた後、圭太郎は自分が放った言葉の内容にやっと気が付く。
(……って、何を口走っているんだ俺は!?しっくりきたとは言えども、それは言ったら一番いけないやつだろ?!)
己の顔面に急激に熱が集まっていくのを圭太郎は感じた。
慌てて釈明を行おうとするが、頭の中がこんがらがって上手い言い訳が出てこない。
「あ、今のはだな?!」
「……わ、わわわわ!分かってますっ!!」
「そ、そうか?!わ、分かってるならいいんだけどさ!」
「は、はい!!言葉の綾というものですよね!!」
「そうそう!しっくりきたからってだけで、そうなって欲しいとか決して思ってる訳じゃなくてだな!」
妙にハキハキとした声で、でもどこか裏返った声で、圭太郎は帽子を引き下げて顔全体を隠しながら、ソフィアは明後日の方向を向きながら、互いに顔を真っ赤にした状態で、しどろもどろな会話を繰り広げる。
「「……………………」」
やがて、無言になった。気まずい時間が辺りに流れる。
(し、失敗した……。勘違いするなよ、馬鹿。料理を作って貰えてるのは、母さんが俺にご飯を用意してくれてたのと同じ類だろ。もしかして俺の事を好きだからやってくれてるのか?とか、そういう先走った考えが犯罪に繋がると知れ。勘違い男なんてのは、醜くて目も当てられない存在なんだぞ……)
圭太郎は
それでも、跳ねた鼓動は簡単には落ち着いてくれない。動揺が全身を血液のように駆け巡っている。
話しかけようにも喉が上手く開かないので、延々と続く、無言の時間。
二人ともきっかけが来る瞬間を虎視眈々と狙っているのだが、そのきっかけの発端を双方が相手に委ねてしまっているので、いつまでもその時がやって来る気配は無い。
その様子が、これだ。
「…………っ」
「…………ぁ」
二人は互いにちらちらと視線を送り合っているくせに、いざ目と目が合うと、慌てて顔を逸らしている。
これではきっかけもクソも無いだろう。一歩進んで四歩は下がっている。下手すれば一生このままかもしれない。
そんなじれったいやりとりをぬいぐるみコーナーの前でずっとしていれば、周囲の注目が余計に集まるのは当然の話であり、
「ママあれなにー?」
「私にもあんな時代があったわねぇ……ああ、青春だわ……」
といった感じで、子どもの無垢な視線と、その親御さん達のとてもとても生ぬるい視線に、圭太郎達は晒されていた。
しかし、二人はそれに気付ける余裕が無い。ただただ羞恥に駆られ続けている。
かといってだ、ずっとこのままでもいられまい。圭太郎は深く息を吸って、深く息を吐いた。新鮮な酸素を取り入れ、二酸化炭素と羞恥を吐き出した。
意を決したように帽子を被り直して、ソフィアをしっかりと見つめる。
「……ま、まあこれは最後だな。持ち歩くのも目立つし、先にエプロンを買ってからにした方が良いと思う」
グイッと急ハンドルで、圭太郎は話題の方向転換を図った。
「そ、そうですね。私もそう思います。そうしましょうっ」
ソフィアも意図を察してくれたようで、すぐに流れに乗ってくれた。
「このフロアには雑貨屋もあったから手っ取り早いな。サクッと買いに行こうぜ」
「はいっ、分かりましたっ」
圭太郎はつとめて平静を装いながら、店の外に出ようと歩き始めるも、その動きは錆びたブリキの人形みたくギクシャクとぎこちなかった。
なお、ソフィアも同様である。
次なる目的地に向かっている道中も、頬の熱は中々引いてはくれなかった。
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