いざ行かん

「まさかこの俺が、春休みに二日連続で外出する事になるとは、な」


 パジャマでもなくスウェットでもなくジャージでもなく、青色のシャツに黒ズボンという春先の気温に適したラフな出で立ちの圭太郎が、玄関で独りごちる。

 買いたい物があるとは昨日聞いてはいたが、まさかその翌日に行く事になるとは思ってもいなかった。ソフィア、行動力の塊である。これが圭太郎ならば計画を立ててから一週間はまず何もせずに、やらなきゃやらなきゃと思いながらも、ただ手をこまねいてるものだと言うのに。

 複雑な心境で圭太郎が物思いに耽っていれば、階段を駆け下りる音が聞こえてきた。待ち人の身支度が完了したらしい。

 

「圭太郎、お待たせしちゃってすみません」


 案の定、ソフィアが小走りで姿を現した。

 淡い水色のカーディガン、白色のスカート。そんな至ってシンプルな服装のソフィアが、圭太郎の目の前に立つ。

 

「おお……」


 自然と、ひとりでに、感嘆の声が圭太郎の口から溢れ出た。

 シンプルだ、とてもシンプルだ。だが無駄な要素が欠片も無い分、素材の味が一層際立っている。昨日のパーカー姿といい、ソフィアの場合はシンプルこそがベストなのだと、圭太郎は身をもって理解した。

 

「どうかしましたか?」


 ソフィアがこてんと首を傾げつつ、惚けている圭太郎にそう尋ねる。

 

「いや、可愛いなって思ってさ。凄い似合ってるよ」


 圭太郎の口からさらっと放たれたのは、そのあっさりとした口振りとは相反した、ヘビー級のストレート。

 圭太郎は恥ずかしいからと隠さずに、素直に感想を伝えられる人間だ。そういったシチュエーションに直面した場合、可愛い子には可愛いと、しっかり言える人間なのだ。

 まあ、それが良いのか悪いのかはまた別の話なのだが。

 

「……はぅ……そ、そうですか……?」

「ああ、俺が保証する」


 ソフィアが顔を赤くしながら控えめにそんな事を聞いてきたので、圭太郎は当然だろうと言わんばかりに頷いた。むしろ自分ごときの保証はいらない筈だ。

 ただ歩いているだけで通行人がザワザワするのだ、可愛くない訳が無い。今からでもすぐにアイドルにだって女優にだって、ソフィアの美貌であれば簡単になれるだろう。

 

「えへ、えへへ……照れちゃいます……」


  真っ赤な頬を両手で押さえて、ソフィアがテレテレとしている。とても可愛いらしい。胸が高鳴る可愛さだ。

 だからこそ圭太郎はあえて触れない事にした。下手に薮をつついたら、ヤマタノオロチが出かねない。重いカウンターを受ける訳にはいかないのだ。

 そういう訳で、


「さて、と」

 

 圭太郎はくるっときびすを返して、玄関の方へと向き直った。本筋に戻ろう。

 

「じゃあ、行くとしますか」


 そう言いながら圭太郎は、玄関の収納棚の上に置いておいた黒い帽子を手に取り、目元に濃い影が差し込むぐらい深く被る。

 

「……帽子、ですか?」

「まあ、ちょっとな」


 まだ顔が赤いままのソフィアが疑問の色を宿した瞳で見上げてくるが、圭太郎は明確な答えを返す訳でもなく、曖昧な答えでお茶を濁した。


(昨日嫌というほど理解した、ソフィアの隣はかなり目立つって事を。外でソフィアといる時は、顔を隠しておいた方が無難だ。サングラスとマスクまでいくと逆に目立って、有名人と勘違いされてしまったりといった、デメリットが生じかねない。帽子を目深まぶかに被るぐらいがちょうど良いな。何事もやり過ぎたら意味が無くなるってのは、古今東西、歴史が物語っている。……まあ……とは言っても、どうせこの無駄に高い身長のせいで、どんな偽装工作も全て無駄になるんだろうけどさ……)


 ついつい自虐的な事を考えてしまって、やりきれなくなって、憂鬱な気分になって、深く嘆息。

 圭太郎、まだまだ成長期である。父親の身長が180代後半で、母親が170前半。遺伝子的には更なる成長の余地が、それはもう大いにある。190への到達も普通にあり得る。今ですら色々と不便だというのに、そんなのは考えただけで体が震えた。

 

「似合ってないか?」

「いえ、そんな事ある訳が無いです。ミステリアスな感じで、素敵ですよ。とってもとってもカッコいいです」


 ソフィアがブンブンと首を振る。そして、強い否定の意がこもった目で見つめてくる。

 その評価を聞いた圭太郎は帽子のつばを指で押さえながら、収納棚の向かい側の壁に取り付けてある鏡を横目で眺めて、

 

「ミステリアス……うん、悪くないな。その評価が出るなら充分だ」


 と、満足そうに呟いた。目元が隠れているというだけで、プライバシーが確保された気がする。顔の全貌が見えなければ大丈夫だと、圭太郎は楽観的に考える事に決めた。深く考えすぎても良い事は無い。

 よし、心身ともに、これにて準備は完了だ。圭太郎は人差し指をビシッと立てた。それから堂々たる宣言を行う。

 

「では、改めていざ行かん!目的地は昨日と同じ隣街、妻本つまもと市の繁華街にある大型ショッピングセンター、ツマモールなり!」

「わざわざ隣街まで行くんですか?」


 圭太郎の言葉を聞いて、ソフィアが小首を傾げる。

 ソフィアの言葉を聞いて、圭太郎は遠い目をした。

 

「ソフィア…………この山のふもと辺鄙へんぴな地に、オシャレなショッピングとしゃれ込める場所があると思うか?」

「あぁー……確かにそうですよね」


 常識を言い聞かせる時のような平坦なトーンで圭太郎が問い掛けると、ソフィアは合点がいった様子でポンと手を叩いた。

 

「まあお前がいた頃よりかは、この辺も多少の発展はしてるんだけどな。何せスーパーとかコンビニが出来た訳だし。いちいち電車や車に乗らなくたって、ネットや生協に頼らなくたって、歩いて買い物に行けるようになったんだぜ。でも服とか雑貨を買うとなったら……まだ無理だな。無理よりの無理だ。閉店間際の古着屋とかしかない」


 建物よりも自然の多い僻地の村。山と田畑と錆びたシャッターの生息地に、今どきの若者が欲しがる日用品を買える場所などある訳が無い。

 頑張ってこの地の良い点を挙げるとすれば、自宅から徒歩十分以内の場所に無人だが駅が存在する事と、小学校が片道にして四十分以上はかかる遠くにあったので、付近に同年代の人間が誰一人として存在しない事ぐらいだろう。

 

「はい、限界集落というものですね。……私と圭太郎で復興させないと……フットボールチームが作れるくらいは、頑張らないと駄目ですね……っ」


 ソフィアが両手の拳をグッと握りながら、噛み締めるように呟いた言葉は、異次元の少子化対策であった。とんでもない事を口走っている。

 

「……?何か言ったか?」


 幸か不幸か、後半部分が上手く聞き取れなかったので、圭太郎は不思議そうにソフィアを見遣った。何らかの決意を固めているようだが、それは一体何なのだろうかと疑問を抱く。

 

「い、いえ!何でもないですよ!この村の行く末を考えていただけです!少し先の未来を見据えていただけです!」

「へぇ、真面目だな。ネイティブ村人の俺ですら何も考えちゃいないのに」


 ソフィアが慌てた様子で、顔の前でわたわたと手を振る。圭太郎は特に疑う事無くその言葉を信じた。ソフィアが真面目とは正反対が過ぎる事を考えていたとは、圭太郎は夢にも思っていない。

 

「にしても……本当にこんな田舎に来て良かったのか?ホームステイをするんなら、東京とかの方が絶対に楽しめたろうに。お前の学力なら選び放題だったろ。実は後悔してたりしないか?」


 この寂れた村にはお世辞にも褒められた要素が無い事を、住んでいる本人だからこそ、圭太郎は強く自覚している。ソフィアがまた来てくれたのは凄い嬉しいが、それでも花の女子高生が選ぶホームタウンとしては明確な誤りだ。都会の方が良いに決まっている。

 圭太郎としては気遣いのつもりで放った言葉に、ソフィアは激昂した。

 

「ノー!する訳ないです!最初からここ一択です!圭太郎の側じゃないと嫌なんです!それにどこであろうと住めば圭太郎なんですよ!」


 ソフィアが怒涛の勢いで詰め寄ってくる。圭太郎はその勢いに押されそうになるが、みすみすと聞き流せない言葉が混じっている事に気が付いた。何度も聞いた事があるようで、なのに生涯で一度も聞いた事のない言葉が。

 

「都だろ。何だそのおかしなことわざは」

「圭太郎のいる場所が私にとっての都という意味のことわざです!」

「使い道が限定的すぎる」

「他にも色々ありますよ!圭太郎の上にも三年とか二階から圭太郎とか圭太郎の川流れとか、圭太郎の耳にも念仏とかもあります!」

「俺が拷問の果てに死んじゃったよおい」


 聞き慣れたことわざも一部を変えて、挙げる順番を間違えたら、残虐なコンボを決められるようになるらしい。

 とりあえず、真面目に取り合うのは辞めておいた。ここは仕切り直すとしよう。自分達には、今ここに立っている目的がある筈だ。


「さぁ、そろそろ本当に行くぞ。電車の時間ってのもあるし」

 

 玄関のドアハンドルに手をかけて、圭太郎が扉を開く。すると眩い太陽の光が一気に全身に降り注いだ。思わず圭太郎は目を細める。

 

「涙が出そうなほどに良い天気だことで。これがお出かけ日和か」

「本当に綺麗な青空ですね」


 家から出た二人は、頭上の青い空を見渡した。高層ビルなんてものは無いので、どこまでも広がる雲一つない晴天。アウトドア嗜好の人間には大歓喜の空模様なのだろうが、どんよりと淀んでいる圭太郎にとっては爽やかすぎて見ていられない。

 

「……あ、あの……圭太郎……」


 重い足取りで圭太郎が家の門から出ようとすると、後ろから恐る恐るといった感じで声を掛けられた。振り返るとソフィアが俯いているのが見える。

 

「ん?どうした?」

「……えっと、その……あの……その……」


 ソフィアは途切れ途切れのか細い声で、単体では機能しない連体詞を呟いているばかりで、肝心なその内容を切り出してくれない。何かを頼みたそうだが、それは一体何なのだろうか?圭太郎は考える。

 ソフィアを良く観察してみた。右往左往と手を動かしているのが見えた。何だか手持ち無沙汰なように見える。

 なるほどな、圭太郎は即座に理解した。ソフィアに向かって己の左手を差し出す。

 

「ほら、さっさと行こうぜ」

「……えへへ、圭太郎の手……温かいです……」


 どうやらその回答は大正解であったらしい。圭太郎の手を握ったソフィアは、とても幸せそうな顔になった。次いで指が絡んでくる。いわゆる恋人繋ぎというものである。

 途端に圭太郎の心臓は早鐘を打ち始めたが、すぐに圭太郎は己の心を落ち着かせた。ポカポカとした春の陽気に包まれてるとはいえ、まだ心なしか肌寒い。ソフィアはきっと寒いんだ、圭太郎は自分に言い聞かせるように心の内でそう唱えた。


(…………田舎にも、利点はあるんだな)


 周囲に人影は無い。人がいなければ目立つ事は当然無いので、ソフィアの隣にいても視線なんて刺さらない。凄く気が楽だ。

 圭太郎はリラックスした状態で、繋いだ手から伝わるソフィアの温もりを味わいながら、ひたむきに駅を目指す。


 道中は何のトラブルも起きる事もなく、つつがなく駅へと辿り着けた。

 

 ド田舎の駅は都会と比べ電車の本数が格段に少ないのは当たり前の話だ。それでもここは利用者数と立地の割にはまだ多い方で、三十分に一本ぐらいの間隔で電車がやって来てくれる。

 それに加えてレトロおんぼろな外観の割に、文明の発展が進んでいるのも良い。何とICカードが使えるのだ。この村唯一の自慢かもしれない。

 駅には想定よりも少々早く辿り着いたので、昭和の香り漂う待合所のベンチに腰掛けて、十分ほど二人で電車を待った。


 その間も手はがっちりと繋いだままだった。

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